ともかくそれでも本は買っていた。私が読みたいこともあって「ブッダ」12巻「ブラックジャック」14巻「三国志」20巻それに石の森章太郎の「シャーロック・ホームズ」など(ここまではマンガ)最近では「異戦国志」。さらに今年に入って再現日本史という週間の歴史解説みたいのが出て今は耕介はそれを買っている。貴泰は「コナン」をずっと買っているがこのところ青い鳥文庫の「パスワードシリーズ」「夢水清志朗シリーズ」。
 図書館も利用してはいるが。まあ一月1000円の小遣いはやったりやらなかったりなのでこれがその替わりとでも言おうか。貴泰がいくら勧めても読もうとしなかった「ハリーポッター」を学校から帰るなり広げているのをみてはこの誓いにこれからも縛られるしかないだろう。


沼田演劇をみる会会員募集 2001/10/12 (と)
 
 昨日はみる会のサークル代表者と会員会議に行って来ました。会員減が赤字をもたらし、これが慢性化すると、存続が危ない状況になりました。ここらのスキー場と同じで客が増えればすぐ良い経営になりますが、その客、つまり会員が増えない。同じ会費で、年5回例会を4回にすれば乗り切れますが、それでは根本的な解決にはならないし、実質値上げになる。今は1回の例会は、単純に計算すると6000円、4回になれば7500円になります。そんな事情もありまず会員を増やすことが課題でしょう。でもこれは、もう2〜3年言い続けてきた事でそれが、実現できないでいる。サークル代表者が頑張っていたのですが、(本当に増やすために努力したのかは疑問だが)増えなかった、会員の人に会員を増やしてもらうと言っても、会員は動かない、辞めるのをくい止めるのが精一杯というのが現実でしょう。7年くらい前からそのことは言い続けて来て実現しなかったのです。ならばオレ達代表者が本当に、増やさなければ会がつぶれるのだという認識で会員募集をする以外に道はない。つまり俺が新しい会員を見つけられれるかが問題であり、見つけられれば同じ条件で存続出きるのだと思う。会長は代表者があまり負担を感じないで会員全体でと…と言っておられましたが、会員は動かない、この6,7年の現実が示しています。サークル代表者だってみんなは動いていない。リーダーはそういう、前向きな事を言わないといけないし、それが理想ではありますが。
 1サークル1名を増やす。増やせない所もあるだろうから、その分も増やすとすると、2〜3人か。簡単そうに見えるけどそれが難しい。
 こういう問題にぶつかると、どうしても演劇をみるというのはどういう意味があるのか。また鑑賞団体、すなわちみる会で見続けるというのはどういうことなのかと思う。そしてどうして会員が増えないかと言うことに繋げていくと、浅はかな知恵で考えた結論はこうなる。「演劇を見続けている人が、結果を出せないでいることではないのでしょうか。その結果がほかの人に分からない。見続けたからこうなったとか、良いことがあったとか…。それが明確にでてこなからではないでしょうか。大きな結論は、幸せになるために演劇をみるのですから、それを見続けて行けば優しくなれるはずだと思うのです。しかし現実は、それが何処にも伝わっていないと言うことか」。
 私(たち)が作ったみる会が最大の危機に立っています。「面白くなってきやがったぜ。」と言う気持で最後の一踏ん張りをしていこうと思います。
 「沼田演劇をみる会では、会員を募集しています。今、入会金をサービスしています。10月は2500円でみられます」

 この文は、昨夜の事を本日の朝書いた物で、まだまだ変わります。本日の掲示板とあわせて読んで頂ければありがたい。


ホームページの副産物 2001/10/5 (と)

 ホームページを公開して、いくつかの副産物があった。普及センターで出している農業の情報誌「ほほえみ」に紹介してもらったり、褒められたことがほとんどない私が褒められたり、また村の総務課から、IT情報住民意見聴取会に出てくれと頼まれたりもした。今日は片品中学校3年2組総合学習第4班の萩原君と大竹君がホームページを作りたいのだけれどと意見を聞きに来た。いろいろアドバイスをした。誰かに云われたのではなく、みんなが、自ら作ろうと思ったのなら必ず出きる。パソコン、インターネットと最新の機械を使うのだけれど、作るのは人間だし、みんなが作ればその特徴がでて、ほかの人に出来ないものが出きると…励ました。先生からも頼まれていたのだけれど、できあがったら、表紙のケーキの絵の所に君たちのホームページをアップしてあげる約束をした。11月中頃、この生徒達5人が作成した、片品紹介のホームページができあがったら、相当いい扱いで公開、宣伝します。皆様も楽しみにしていて下さい。
 よく考えたら、私もずいぶんお人好しだなと思いました。でも本当に誰にでも応援します。ホームページを作り、いろんな情報を公開していこうというのは良いことです。わかることは全部さらけ出して助言します。作ろう、作りたいと言う方は、メールか掲示板で遠慮なくご質問をどうぞ。


ジョージ・ウィンストンのピアノ 2001/9/26 (と)

 15年も前になると思うんだけど、天気予報のバツクに、この人のたしか「わが愛」という曲が流れてたんです。これが印象に強く残っていて、いつかこの曲のCDが欲しいと思いました。それからしばらく経って隣家の賀代チャンが、ピアノでこの曲を練習してたのを聴いて、タイトルと奏者を教えてもらったんです。それから5年ほど経って、やっとCDを借りてコピーして良く聴いてるんです。乗用車の運転中に聴いていると、心が静かになります。これは素晴らしい曲で、心の中に染み込んでくる。この曲を聴いたときの気持でいつもいられたらナーと時々思います。


夫婦喧嘩をすると…2001/9/26 (と)

 わが家の夫婦喧嘩は、長く緒を引くことはない。無いと断言できるが、かみさんにとっては、深く根に持って、それが蓄積されているかもしれない。そしてそれがある日突然爆発して、家庭内離婚の道だって無いことはない。今日はそのような事を書く予定ではなく、つぎのことが話したかったわけである。
 家のかみさんは、喧嘩をすると、先に折れてしまい、言葉がやたら丁寧になる。外国の宮廷に使える侍女のようにバカ丁寧になるのだ。それをまた私が気に入らなくて怒る。そんなときは、それに乗って、王様の様に振る舞えば良いのに…とあとで思う。この丁寧さは、小説を読むのが好きで、普段の自分でいるのが耐えられなくなり、自分から抜け出し、刃向かうことが許されない立場の召使いに変身してしまうのではないかと考える。ホームページもこのくらいの事を書かないと面白くないでしょう。いや、もっと詳細に書いた方がいいのか…。おあとがよろしいようで、本日はこれまで。


今日の僕 2001/9/7 (と)
 「百姓生活35周年に思う」とか「片品は老人の宝庫」とか「天からのプレゼント雹と人情」とか「田中康夫と星野巳喜雄」とか「全国りんご研究大会に参加して」などこのページに書こうと思っているのだが、なかなか書けない。忙しく集中して考えられない事と、疲れで眠くなることが原因だ。じゃあどのくらい忙しいかを書いてみる。
 今日一日を書いてみよう。朝、5時15分ころ起きた。目覚ましをかけ忘れて15分ほど寝過ごした。すぐもろこしの収穫に行き、7時までに5s箱で80箱分の量を収穫してきた。家につき箱詰めの段取りをして朝飯。朝はパン食なので、パンを喰いながら、パソコンのメールと書き込みをチェックする。ま、パンだけでなく、おにぎりだったり、婆さんの作るやきもちだったりもする。今日は昨日、花の駅で買ってきた、手作りパンだった。これが20から30分。その後コーヒーを呑みながら新聞を流し読み、レースの情報もみる。8時少し前に手伝いの、てるあんねえが来たので、一緒に箱詰めをする。かみさんは少しやると、リンゴ狩りの店を空けるため出かけた。10時頃までに箱に詰め、農協の集配センターに出してきた。いつもより少ないのに時間ばかりかかった。小さいのが多いせいか。もろこしのゴミを捨て、宅配便の荷物を林檎亭に届け、トラクターに乗り換えて白菜の畑を作り、今年最後の白菜を植えた。お昼を食べて、メールをチェック、一時間昼寝をして、もろこしの消毒を、20アール、売店用の野菜の消毒を15アールこなした。
 そのあとシャワーを浴びて、髭をあたり、ガソリン代の支払いに行った。帰りに中学校により、子供の将棋の県大会参加についての送迎のことで校長先生に質問をした。学校に何か聞きに言ったのは初めて。すぐ帰り、ばあさんが収穫した、秋ミョウガを洗った。家に帰り、子供を英語塾に送り、夕飯、鉄火丼を食し、またパソコンで、リンゴ狩りのチラシの印刷や、メールの返事を書いた。たいていかみさんが行くのだが、今日は塾の迎えもオレが行った。往復10分ほど。知り合いに届ける豆腐の注文をFAXし、この文を書き、いくつかのホームページの更新の下書きをして、風呂に入り、津島さんにもらった柳家小三治「落語家論」の一部を読み、メールの最終チェックをして就寝。最近疲れているので、10時頃には寝ることにしよう。
  昨日は10時に寝ようとしたら、メールにもろこし宅配便のクレームがあり、その対処の返信メールに30分かかり、結局11時をまわってしまった。とにかく忙しい1日が続いている。昨日の午後は、農業共済のりんごの雹害の評価に立ち会い、役をしているため、片品の他のりんごの農家の園も訪ねた。夕方はりんご狩りのポスターを貼りに花の駅片品に行って風呂にも入ってきた。尾瀬豆腐の生豆腐と、チーズケーキも喰ってきた。そんなこともあるが、大抵暗くなるまで働く。だから冒頭の文章が書けない。これだけ書けるなら、それを書けばいいのに…とも思うが。まーよく仕事が次々と出てくる。明日の午後は、沼田に会議で出るが、寄るところがいくつもある。仕事で忙しいより疲れは少ないと思う。これ以上長くなると、また11時をまわってしまう。おあとがよろしいようですので…。


尾瀬片品げんきキッズ 2001/7/6 (と)

ドッジボールの練習 第11回全日本ドッジボール選手権大会県予選に尾瀬片品げんきキッズというチームが出場します。これは民宿ジョイフルいっちゃんの紀美子さんが子供たちを集めて参加するものです。目立つ強い選手はいないらしく、また人数も12人ギリギリの中で戦い抜くのだそうです。うちの6年の貴泰も誘われまして、考えた末出場する事に決め練習に参加しています。一度練習を見たのですが、何か映画にあった弱い野球チームを監督が仕込んで、だんだん強くなり、野球の楽しさを知り、友情が芽生え…というような感じのドッジボールチームの印象です。これは紀美子さんが是非参加させたいと、自らこどもたちを集め、自費で計画運営しています。当日も自分の家の民宿のバスで旦那さんが乗せていってくれます。私たち親にとっては、運動がそれほど得意でない子供を県の晴れ舞台に登場させてもらったり、ないものを引き出してもらったり、ありがたいことだらけです。片品に嫁に来る前は小学校の先生をしていたのでできることかもしれませんが、これは素晴らしい活動です。
 7月22日(日) 前橋ぐんまアリーナ 午前9時ホイッスル。子供たちの一夏の体験、いい体験が出来ますように。


人のふり見て  2001/6/14 (の)

 菅沼の婦人会で日帰り旅行に行ったときのことです。ある有名なそこに行った人は、必ずそこでお昼を食べるというようなお店に行きました。バスを降りてお店に向かっていくと暖簾をくぐったところでお店の人に「予約が入ってないので隣の入り口に行ってくれ」と言われ、みんなで言われたようにするとそこの玄関を入ったところでまた「さっきの店で間違えた。戻ってくれ。」と言われ、みんなで「なんのこっちゃ」と思いながら、戻っていった。
 予約はちゃんと入っていて人数分の箸まで並んでいた。懐石なので順番に出てくるのを待っていると早いこと早いこと。食べきれないうちにせかされるように次々運んでくる。それを運んでくるおばさんが着物を着ているのだが「はあはあ」と息を切らしてやっている。70は越えていると思われるおばさんなので「もっとゆっくりやって下さい。」と言いたいところだが口を挟む間もない。そのうちに天つゆがきたが白い色だったこともあって一人が間違って呑んでしまった。揚げ物を持ってきたときにおそるおそるその旨告げると「まあ、呑んじゃったの。」とエライ剣幕。「また貰ってきてあげるから今度は呑まないでね。」と怒られた。
 もう一人若い人が運んでくれたが一人がいない間に小声で不満を漏らす。「それは私たちに聞かせたいわけ」と聞いてみたい。そのうちに違う部屋に団体が入ったらパタリと来なくなった。こちらは後はデザートだけ。運転手さんも待っているし予定の時間には出たいのだけれど、と気をもんだ。なんとか全行程ががすんだが食べた気がしないお昼だった。5500円也。
 出る前には各々トイレを済ませてと思うものだが、他の団体とも重なりなかなか思うに任せない。玄関で下足を出して貰うにもおばさんの「全くみんな責任がないんだから」という不満の声に送られて肩をすぼめながら店を出た。
 私もあんまり忙しかったり、主人が店を空けてばかりいたとき、お客さんの前でこんな風になってないだろうか。


ホームページ開設2周年の決意 2001/5/24 (と)

 ホームページを公開してから2周年。アクセスカウントは6万を越えた。最初は5人、10人とわずかだったが、丸二年を迎え平均90人くらいの人が見てくれていることになる。これは大変ありがたいことで、心から嬉しく思う。夏場のもろこしやりんごの時期は毎日250人から300人くらいアクセスがあったから、開設して、見てもらうところまではマズマズの成果だと思う。しかしもろこしの売り上げは、まだまだ伸びる余地がある。あるどころではなく、まだまだこれからというところだ、先は明るい。
 ホームページについて教わった多くの方々にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 わが家のホームページの目的は、もろこしを売ること、リンゴ狩りの宣伝をすることです。そして片品のPRも少し、その目的を達成するには、まずアクセス数が多くなくてはならない。多いだけでは売れないから、売れる内容にしなくてはいけない。アクセス数の増加のために、「遊句」大賞募集とか、趣味の競輪や、映画演劇まで持ち出し、片品の達人、はたまた友達の落語家まで登場させてきたわけです。ホームページの一番の眼目は、もろこしの産地直送便の売り上げを伸ばすことにあるのだが、それとは別に、副産物と言うか、いろんな広がりが出来たことが、予想外に素晴らしい事であった。それは同じ農家との交流、あるいは趣味のサイトの素晴らしいホームページ管理人との交流などがある。またそれらのサイトの管理人の方々がわが家のもろこしを買ってくれたことに感動を覚えた。このホームページがきっかけで、九州から訪ねてきてくれた方がいたり、いくつかの予想外の展開もありました。
 これからは、お客様に片品林檎亭ホームページをより楽しんでいただくのが一つ、またホームページの充実を図りながら、もろこしの販売やりんごの宣伝、片品のPRも積極的にしていきたい。

 「おらいちは、普通の百姓だから、お客さんは5000人くらいいればいいんさぁね。そのくらいの人数なら、一人一人コツコツ見つけていける数字じゃないかと思うんだいね。つまり一人の人が、二人くらい、あるいはもっと多くの人を紹介してくれたりしてくれているから、実際自分が見つけるのは、2500人とか、3000人でいいんだいね。ま、そういう、ありがたい、優しいお客さんには、なんでお返しが出きるか考えると、いい農産物を栽培するしかねえんじゃねえっぺか。ここんとこはよく解かんねえきょん、とにかく、ホームページ上では、俺とかみさんの人柄を前面に押し出してやるしかねえと思ってるんさぁね。」


片品村立片品中学校入学式 2001/4/25 (と)

 この間よー。ようなんて気安く言ってはまずいですけど、中学校の入学式に出席して驚きましたよ。中学一年生が生き生きしていた。そのことでは無いのです。実はですねー。この入学式での、国旗の扱いです。わが家にも貰い物の国旗があり、旗日に思い出せば掲揚しますが、この入学式には驚きました。校長から来賓、PTA会長、新入生、校歌の伴奏の生徒まで、ステージの中央にある国旗と校旗に丁寧に、ものすごく丁寧に一礼するのです。登壇するとき、さらに降壇するときもです。これは、県や国の教育関係機関から細かな指導があるのしょうか。それとも会社で言えば、社長よりエライという校長の思いのままか、それとも職員会議で決めるのかなぁ。あの時の皆さんは、あれだけ丁寧にお辞儀をするのですから、普段から国旗という物をものすごく大切にしているんでしょうね。例えば郵便局の前に掲揚してある国旗にも挨拶するでしょうし、自宅では、祝日にいつも国旗を揚げるだろうし、国旗の上にある、きんの玉などいつもピカピカに磨いているのでしょう。来年オレはPTAの会長になります。あそこで挨拶をすることになる。その時、同じように深く丁寧に一礼しなければいけないのか…考えると今から眠れなくなってちゃう。「国旗に付いて考える…明日の心ダー」。
 今年の5/5は国旗を忘れないであげよう。オレの郵便配達区域でよく確かめたのだが、元日に国旗を揚げていた家はたしか二軒だけだったかな。この時の事と入学式があまりにもアンバランスなのでビックリしたというお話。おあとがよろしいようで。 


りんごの売り上げを伸ばすには 2001/3/29 (と)

 りんごの剪定をしながら、太い病気になった枝をジーコ、ジーコ切りながら思ったんさぁね。りんごの売り上げを伸ばすにはどうしたらいいだっぺかと。昔、桂凡太郎という落語家が、味の素の社内で売り上げを伸ばすには、という懸賞に応募して、見事アイデアを採用されたという人の漫談をやっていたんだけど、そのアイデアちゅんは、出る穴を大きくすると言うことだった。なるほど…。オレもりんごの増収は、一番に値段をあげると言うことをきづいたんだけど、それはどうもまずい、手っ取り早いけど。じゃあ、値を下げるつうのはこれは喜ばれる。でもその分多く売らなければならない。では…、値段を上げないでいいものを提供できればOK。つまりは値下げと同様になる。そうすれば評判も上がるし、それには…結論が見えてきたぞ。いいりんごを多く収穫する以外にない。仕事を間に合わせ、丁寧にりんごの手入れをするのが一番かナー。これもやるといいのだが…というのを本当にやる。ま、これは何事も同じだけど。
 この凡太郎のネタに、こんなのもあったなー。街頭の唐辛子屋が十二味の唐辛子を売っていた。どこが違うんだいときくと、「街頭で売ってるんでゴミ(五味)が入っている」と言うネタだった。裸の写真を買わねえかと言われ高く買わされ、家に帰って楽しみに開くと相撲取りだったとか、若い女の子だよ、全裸だよー、家に帰ってよく見ると、あかんぼーだったとかやってたナー。そんなことを思いながら、りんご狩りのお客さんも、りんごのオーナーさんにも、何かアイデアを考え、打ち出していかないとお客さんに飽きられてしまうなという結論に達したのであります。


単なるトイレの話ではない 2001/2/25 (と)

 バイトの郵便の配達に出ると、途中でトイレに行きたくなる事がある。片品は6カ所くらい公衆便所が整備されていて、そこを利用すれば困ることはない。しかし一月に東小川地区に配達に行った折、腹具合が悪くなり、この地区のトイレに駆け込もうとしたが、鍵が閉まっていて開かなかった。慌てて知り合いの民宿で借りて用を足したのだが、これには往生した。ここの管理は観光協会がしていると聞いたことがあったので、毎日集荷に行くので聞いてみると村の観光課が管理しているという。職員の方がそこに電話をしてくれた。翌日からどうなるのかと注目していたら使用禁止のステッカーのようなものが貼られただけでまだ2/24現在でも使用できない。金精峠がしまっているので開けないのか?。そういえば前の観光課長さんにも手紙でついでにこの事を書いたことがあったっけ。返事は求めていなかつたので、もちろんなかったが。でもまた今年も使用できないでいる。何らかの事情で使えないならその旨表示しておくべきだと思う。あまりここに人がいるのを見たことは無いが、家族連れのワンボックスカーを見かけたこともあるのだから。
 これは多分寒さで水が凍るので使えないのではないかと思われるが、それでは済まされないことだと思う。つまりどういうことかというと、観光片品と叫んでいるのにこうゆう小さな身近な事がいい加減になっている。担当職員も、この地区の人も、議員も、そんな小さな事と解決しようとしないのです。気も付かないのかも知れない。ここのトイレが使えなくて、何も言わないくらいだから、この周辺が汚くても誰も解らないのかもしれない。私の体験からいうと、小さな事が解決出来ないのに大きな事はなをさら出来ないと言うのが現実です。こういう小さなサービスを徹底させたり、お金を使わなくて出きるサービスをしていくというのも地道ではあるが片品のイメージアップに必要な事だと思う。もしこれが、花咲だったら、須賀川だったら、どうなるか、地区の観光取り組みの姿勢の違いや利用頻度ですぐに苦情がでて解決してしまうのではと思ってしまう。しかし東小川地区は静かだし、地元の人がどう考えているのかまったくわからない。
 役所も個人も、片品全体が、こんな調子で進んでいるのではないかと思う。それでいいのかもっと考えるべきか。みんながもう少し頑張ればなぁと私は思う。
 ついまた愚痴が出てしまう。「ま、いいかそんなことは」。今のところ、自分のことをちゃんとすることでも考えていよう。


今日は車がお陀仏 2001/1/5 (と)

 世の中には次々と事件が起きてくる。これには驚く。三木助も自殺したそうだ…。この頃政界には事件もなく静かだなと思っていたら、よその事どころではなくわが家に、小事件がおこった。今朝出勤途中、軽ワゴンのエンジンの調子がおかしいと思っていたら、突然エンジンが止まり動かなくなってしまった。惰性でそのまま知り合いの庭に乗り込んだのだが、もうエンジンがかからず、うんとも、すんとも言わない。仕事の配達は郵便局の空き車を借りてすました。だが車は農協に取りに来てもらい、調べてもらったのだが、エンジンが焼き付いてもうお陀仏だとさ。7〜8年使ったし、9万5千qも走っているから仕方ないか。車には長い間頑張ってもらって感謝をしている、ご苦労様でした。
早速新しい車を買うことにした。新しい車を買うことだけなら目出度く万歳だが…、わが家には特殊な事情がある。貧の乏である。ま、なんとか捻出しよう。
 ここでまた植木等の「そのうちなんとかなるだろう」という歌を思い出した。なぜ焼き付きをおこす羽目になったかの反省だけはきちっとして、あとはもう忘れよう。夕飯の支度がよろしいようで。 


これじゃあ本屋はたいへんだ2000/12/28 (の)

 本屋は主に沼田サティの4階にある「BookAおみ」(ブックエースおみ)を利用している。まだサティができなくて尾身書房だった頃、私が高校生の頃からのお付き合いだ。レジにいるみね子ちゃん(奥様)と短い無駄話をするのが楽しみだ。耕介は去年はブラックジャック、今年は三国志、今は異戦国史というのをシリーズで買っている。セットで取り寄せてもらって置いて少しずつ買ってくる。こどもたちもすっかり慣れていてこの間はいつも買っている本だからと2000円も借りてきてしまった。お金を持たずに本屋に行ったらしい。それでも「いいよ」と貸してくれる。主人が最近売れている本ベスト2の「中坊公平・私の事件簿」というのを買ってきてくれというので、借りを払いながら行ってきた。ところが初めから集英社新書は入らないという。本の題名を言うと「ちょうどそれならお客さんの注文で入ったばかりだがはいるまで二週間かかった。」と言う。すごく売れているらしく、中次ぎにもどこにも在庫がない。年末年始が入ると、注文してもさらに時間がかかってしまうと思いそのまま引き上げた。帰り際に文真堂にもよったが集英社文庫は十冊ほどあったがお目当ての物は勿論ない。
 いままでインターネットで本を買ったのは主人が談志師匠のH.P.に直接注文しただけだったが、今度アマゾンという本の専門のサイトができたのでそこにアクセスしてみた。すると24時間以内に発送可能とでている。「ほんとかなあ」ととりあえず注文してみた。すると注文から一日おいた今日の昼間、ペリカン便で本が届いた。送料は無料。決済はクレジットというのが初めてなのでなんかおそるおそるだがこれが当たり前の世の中になっていくのだろうか。本屋さんにとって受難の時代だ。 


人生の仲入り 2000/12/22 (と)

 寄席の構成は、7・3のところで仲入りがはいる。この寄席を人生に例えるとわたしの年齢50歳を少し過ぎたところが、ちょうど仲入りにあたる。小さな頃が前座、青年時代が若手の出演。結婚の頃は、若手の人気者、売り出し中の芸人などの出演に当てはまるだろう。こどもが出来たり、育てたり、地域の役をこなしたりするのは、漫才コンビや、実力派の真打ちの出演に当てはまるし、厄年を過ぎ、方向や、考えもしっかりし、社会的にも仕事でも少しは実績というのを積み上げつつある。このあたりが中トリでお客さんもひと感動というころ。最後のトリを期待しつつここでひと休みだ。3〜4年攻めるのや、積極的な活動をやめ、少し休んで、もう一度過去を振り返り、もう一度将来を見据えて目標を持つという段取り。これがわたしが名付けた人生の仲入り、休んだあとは軽い活動から始める、それが寄席の形式で食いつき。それから徐々に人生の大真打ち(大トリ)へと進んでいく。そして最後に落語家がお客をうならせ、満足させるという寄席という形式がお開き。つまり生きていて良かった。面白かったと自分の人生を肯定して結びたいわけです。人生いろいろですから、思うように演じられず、ミスがあったり、とちったりしても、それはそれで勿論認める。トリの代演はなんとしても立てたくないし。病気のため代演などになれば悔いが残る。たとえの説明がわかりづらかったと思うけれど、いいたいことは、ほぼ、おわかりいただいたかと…思う。
 そんなわけで去年当たりから、人生の仲入りに入りました。


最後は人と人の繋がり 2000/12/15 (と)

 わが片品林檎亭のお客さんの中には、ずいぶんと様子のいい人がいる。もしその方々がお客様商売をなさっているのなら、お訪ねして仕事ぶりを拝見したいと思っていた。そんな折り、うちのりんごオーナー会員さんで、船橋オートレース場の予想屋ミスター船橋氏の仕事ぶりを見せていただいた。人気者でテレビに出たこともあるらしい。どこの公営レースでもこんなに人だかりの出来る予想屋さんはいないだろうと思うほど賑わっていた。そして一人一人のお客さんを大切にして仕事をなさっていた。私もオートレースは解らないのだが、予想通りに車券を買ってみたら見事的中した。私が見ている一時間ほどの間に、いくつもの差し入れ、親しそうにそっと声をかけてすぐ離れていくお客さんもいた。わが家のりんご直売は勿論、民宿など片品の観光業は、最後は人と人の繋がりが商売繁盛を作り上げるという持論が証明されたような気がした。今でも、ミスター船橋氏がレースの解説をしたあと忙しそうに予想を売りさばいている光景が浮かんでくる。京葉線南船橋駅前、人口スキー場ザウスの隣、オートレース発祥の地入り口正面にいる。
 片品林檎亭もいい品物を栽培するのが最優先されるのだが、心からお客様に真摯に接することを心がけるのが、これからより大切になっていくような気がする。


病気自慢 2000/11/1 (と)

 団体旅行の朝、朝食を済ませて部屋に戻ると、みんながそれぞれ薬を取り出して飲み始める。薬の説明も始めるので、まるで病気自慢をしているようだ。ま、これは中年以上のおじさん達である。病気なんぞしてないように見える人が痔で悩んでいたり、便秘で苦しんでいたり、頭痛持ちだったり、鬱病を自覚していたり、痛風だったり、とにかく他人に見えないところでいろいろある。
 オレの場合、40歳で肩を痛めた。ソフトボールが投げらんない。ついこの春先は首が痛くてまわらなかった。銭のまわりも悪く首が回らないと言う言葉がぴったりと似合った。この分だと、60で腰が悪くなり、70で足に来て、80でお陀仏てえことなるのではとつい思ってしまう。これに加えて、十二指腸潰瘍、高血圧、股関節周りの痒み、おまけに口が臭くて、屁も臭い。一病息災どころではなく、いくつも病気を抱えて元気を装う日々。それでも明日を夢見てる。…となんだかよく、訳がわからない状況でありんす。これが正真正銘の病気自慢でゴンス。てなわけで、お後の支度がよろしいようで。


キャンプのまねごと 2000/9/1 (と)
 夏休みにどこにも連れていってもらえなかった子どもたちは、林檎亭の裏にテントを張って泊まりに行きました。

林檎亭の庭のテント


長野県果樹試験場の視察 2000/8/23(と)

 きのう、隣村の利根村りんご研究会と、わが片品村のりんご研究会の合同視察研修があり参加してきました。
 とにかく暑くて暑くて大変でした。標高300メートルくらいの長野市周辺の盆地、暑い一日でした。ここにはとても住めないと思った次第です。長野市の関りんご園さんの、無科学肥料栽培と近くの洋なし栽培農家、それと果樹試験場を見てきました。できる奴と、普通の人の差は、研修で得た物、情報、知識を実際に応用、活用できるかです。どんな職業でも視察研修に行きますが、なかなか、ただ行くだけのことが多い。ただ行くだけなら行かない方がいいし、行かない人との差が出るか出ないかが、一つの成果の目安になります。
 試験甫場はきれいだった。いまりんご栽培はどんな方向に進もうとしているのかがわかりました。私たちには教えない研究もされているのでしょうが。ここを見て、自分の園の事を考えると、細かくは書きませんが、こことここを修正しないといけないことを思いました。
また関さんという農家の若い後継者のりんご栽培の姿勢、と自信の有り様はなかなか頼もしいと感じました。
 忙しい中の視察研修、やはり参加して良かった。かみさんはもろこしの出荷と、宅配便の、対応に大変だったらしい。家のミスもあり、お客様にご心配とご迷惑もおかけしたらしい。しかし、それらのことを責めないで、またご注文をしていただいております。本当にありがたい事です。たまっていたご注文の発送を終えたので、かみさんの伝票整理は楽ななるし、私の発想ミスは少なくなると思います。
 お土産に買ってきた、試験場のソルダム一袋150円は美味かった。
 「やっぱり忙しくても、りんごの勉強は積極的にいがねぇと駄目だいねぇ」。 



二重の虹 200/8/9 (と)
 今日の夕方6時半過ぎ、東の空に虹をみた。もろこしの房かきをパッ、パッ、パッと素早くしていて次の列に移るとき、空を見ると雨が少し降っていて、暗い東の空に少し太陽の明るさがあり、そこに虹が二つ出ていた。虹をくぐっただけでも幸せになれるという。二重の虹を見たのだから、何か少しくらい良いことがあるかも知れない、あればいいなと思った。家に帰り、風呂に入りビールを飲み、夕食の豚カツを食べた。そのあと口喧嘩が始まった。次男の貴泰が婆さんに発した言葉から始まったのだ。久しぶりのファミリーファイトである。毎日、毎日、長いにわか雨があり、雷が鳴る、気持ちが滅入っていたのだろうか。
 かみさんが言うには貴泰は、夕方の空の色が良くないから、今日は夫婦喧嘩があるかも知れないと予想したらしい。今日のそのきっかけは貴泰の口の効き方から始まったのだ。昼間、林檎亭横に張ってあるテントの使い方についてオレが注意したら、テレビが見たいために、いい加減な応対をしたので意見をした。それに端を発したといっていい。このオレの気持ちは、トスカの一つの形かな。
 食後メールを見るともろこしの注文が夕方だけで3件もあった。…お後がよろしいようで。


『らくご日誌』ホームページ終了 2000/8/3 (と)

 インターネツトを始めて巡り合った、大好きな縁の下のきりんさんのホームページ『らくご日誌』が終了した。いくつも新しいサイトが登場しリンクを張らせていただいたが、終了したのは初めて。残念だけとこれは仕方ない。ホームページを開いて未来に向かって羽ばたいていくのも目出度いことですが、ホームページを閉設して、新たなる前進をしていくのも、これまた新しい角出で、お祝いしたいことです。そしていつか必ずまたどんな形かで、私たちファンに活字の文化を運んでくれることと思います。私が楽しませて頂いたのは、約一年半、本当にありがとうございました。


物事は多角的に見たい 200/7/15 (と)武尊山近影

 武尊山を沼田方面からみるのも良いし、片品でもそれぞれの地区からみる武尊山がそれぞれ美しい。360度の方角から見る景色全てが違う。さらに同じ角度でも、近くと遠くではおもむきが全く違う。物事何事も違う方向からみる眼、その力を養いたい。

この写真は武尊のすぐ麓、『眠る男』のロケ地(山小屋のシーン)近くからみた武尊山。うちのページにときどき登場する武尊山の写真は、ここと見比べて下さい。




公約と批判のその後 2000/7/1 (と)
 選挙の公約も守られないね。あれいうだけだね。ひどいね。各政党だけでなく、国会議員候補者も。もっと身近なところでは、県会議員、村会議員まで本当に言ったことやんないね、情けないね。もっとも村会議員は、公約なんてほとんどなくて、そろそろ村会議員くらいやんなけりゃと言うところで立候補するんだけどね。だから何をするというのでもないから、当選すればそれだけ、議会報告も、支持者に意見を聞くこともない。質問しても答えられないよきっと。「村営オグナほたかスキー場の問題点は何、そして今どうゆう状況か、解決方法は、そしてあなたはどう進むのがいいと思うか」今すぐ答えられる村会議員さんいるかね。
 昔、全部の政党がひとつの選挙で消費税反対って言ったんだよ、それでもなくならなかった。今度の衆議院選挙のチラシなどとっておいて、次の選挙の時見ると面白いですよ。このあいだの選挙で、景気回復に全力で取り組むと言ってたけど、本当ならすごいよね。全力で取り組むんですから。全力ですよ。全力。
 それに何かやるろうとするとすぐ批判するけど、その問題が終わるとそれっきり。一応、一度反対して騒ぐけど、その問題が解決したら、総括しなけりゃ。自分の批判が間違っていたら謝らないとまずいよ。
 ネタを身近なところにかえるけどさ、「花の駅片品花咲の湯」を批判したり、ぼろくそに言ってた人いたけど、開館2年目、職員と地域の人の努力で成功し、終始もプラスになったらしいけど、その時の批判の内容はどうなったんだい。その意見どこ行ったんだい。間違った批判や文句が明らかになったときは、謝らなければまずいよ。オレの友達も随分悪口言ってた人いたけどね。ある問題についてひとつの結論が出たら、強く批判していた人達は、総括し反省し、言葉で傷つけた人には謝罪して欲しいよね。そうゆうのあげるといろいろあるけどね。ちゃんと論理的に反対や、文句言ってたわけではないけどねこの人達。ま、論理的に反論できない人が、陰でいろいろ言うんだけどね。
 今日ビールをのんで更新したらこうなりました。(6/29)
 お風呂の支度がよろしいようで。本日はこれまで、いよっ。


国際電話の請求書 2000/6/2 (の)
 KDDというところから突然請求書が来た。南米のドミニカ共和国というところに国際電話をかけたらしい。まったく心当たりがない。
明細に乗っている日付は主人は一人で出かけていたし、私は畑にいたし、こどもたちも全く覚えが無いという。インターネットならあり得ないこともないと思ったがそれなら市内通話になるはずだと思った。ところがKDDに問い合わせたところ即座に「インターネットをやっているご家族はいませんか」と聞かれた。「家族でやっているがその時間はだれもパソコンには触っていないはずだ」というと「最近多くなっているトラブルの一つで以前にアダルト系のサイトなどにアクセスした際にそこからウイルスのように入り込んだ信号が人間が留守でも勝手にパソコンを立ち上げて国際電話をかけるのだ」そうだ。このトラブルを防ぐには常時繋いである電話線を外すようにする以外にないと言う。ただ、この電話番号からは絶対に海外にかけないと解っているならば「国際電話はかけない設定」というのにできると教えて貰った。
履歴を見れば怪しげなサイトが発見できるが残念ながら最近のパソコンの不調で、メモリの空き容量を確保するために履歴は削除してしまっている。 インターネットは主人があちこち見ているので何かのついでにつなげたのかもしてないがちょっと眉唾な話のような気もする。留守に勝手にパソコンが立ち上がるとは・・・。中学生の長男を疑いたい気もするが国際電話をかけるまではやらないと思うし・・・。
 インターネットには様々な危険がひそんでいるとよく言われるが、こうゆうことか。


 そんなに勉強してどうしるだっぺ 2000/5/28 (と)
 中学一年になった長男が、英語塾に通っている。週二回、夜8時から9時まで、もっぱらかみさんが送り迎えをしている。月謝は7000円だそうだ。6年の時は、塾には絶対行かないと言っていたのだが自分から進んで行くことになった。厳しい先生らしい。当人やる気もあり、英語も面白いようだ。同級生はかなりの数が塾に行っているという。英語だけでなく数学の塾にもいっている人がいるという。だけどそんなに勉強してどうしるだっぺ。良い高校に入る為、少しでも、有名な大学に入る為、さらに良い会社に入る為か?。全ては、良い会社に入って良い給料を貰うためか。やりたい仕事があって、その仕事につくためには、どうしても勉強しないとなれないと言うならそれしか道がないかも知れないが。落語のセリフにあったけど「商売に貴賤はない、汚く稼いできれいに使え」と。ふつうこの仕事は良くて、これは悪いというのはないだろうに。給料を50万円もらう人が幸せで、25万円の人は、半分の幸せしかないのか。そんなことはないはずだ。多少不便ではあるけど、それが幸せの基準ではないはずである。どこの親も、そう思わないから必死に受験戦争に勝とうとしているのかなぁ。この受験戦争は、とにかく参加しないと不安らしい。
 うちの子どもの小学6年のときの作文の夢を読んでしまったので、どう対処したら良いか迷うが、本当はこう言いたい。
「おい耕介、また勉強したんか、勉強はなるべくしんなってゆってるべえ。昨日は2時間しただとー、明日から30分以内にしとけ、とにかくのびのび気楽に行けやい」と。
 今日は家の手伝いでとうもろこし播きに連れていった。月に2、3回だから、大した時間ではないけど家でゲームしてるよりいいし、テレビを見てるよりいい。本を読むよりいいし、まして勉強よりはるかにいい。いや、これも広い意味の大切な勉強である。
 頭がよく回らない。しかし、今の学歴社会はおかしいという疑問が強く心にある。しかしここまでしか書けない。どうも歯がゆく情けない。このことは、もっと勉強しないとつっこんで書けないようだ。今年初めて、朝5時に起きて仕事したら、眠くて眠くてもう限界。本日はこれまで。ぐっない。 


東 由多加 2000/5/10 (と)
 4月に東由多加がなくなった。東京キットブラザースの主宰者でミュージカルの台本を数多く残している。彼の作品を初めてみたのは『心は孤独なポアロ』だった。この作品は三回みた。柴田恭兵と坪田直子の共演、大好きな北村易子さんも出ていた。20年も前ものことである。この作品から、最後の作、演出となった。『バスストップ』までいくつもの作品を楽しませてもらった。『悲しみのキッチン』や『SHIRO』は強く心に残っている。だから私の知り合いには、たいていキッドのミュージカルは見てもらっている。ファンクラブにも入っていた。本もレコードもビデオも持っている。沼田演劇をみる会の私たちのサークル「キートン」というのは、北村易子さんのニックネームからもらった。
 『心は孤独なポアロ』のナンバーに「憤りがあるうちならば」といういい曲がある。詩と曲は、小椋桂だけれど、東由多加 のミュージカルの一番言いたいところを伝えているような曲なので紹介する。今の私たちにも十分通用する。今の若い人には通用しない内容なのかもしれない。

憤りがあるうちならば

 数々のこと してきたくせに 何もしてないようで
 すべてのことが むなしく見えて 人生までも 捨てたくなる
 
   誰にも 必らず そんな時が
   一度は 訪れ来るものさ
   心に 憤りがあるうちならば

 只 何気なく 苦しみもなく 上手く生きてるようで
 そのくせ 胸を 熱くするような 夢も生まれずさびしくなる
 
   誰でも それほど 完璧な
   時間を 過ごして いないものさ
   心に 憤りがあるうちならば

   誰かれ かまわず 嬉し泣きに
   抱きたく なるよな 時を追おう
   心に 憤りがあるうちならば

 今日病院で定期診察を受けた。周囲の大変そうな人を見ると、いつか自分もと思いつい滅入ってしまう。そんなことを考えたら、東由多加のことを思出した。享年54歳、まだまだ若かった。そういえば親父も53で逝った。今、オレは52歳と3ヶ月。帰りに温泉に入った。新緑の中の露天風呂、野鳥が近くで鳴いていた。遠くの山に白樺とビンクの山桜が満開だった。……おあとがよろしいようで。  


ホームページ開設一周年 2000/5/9 (と)

 明日でホームページを開設して丸一年が経ちます。何年も続けているような気がしますがまだ一年です。おかげさまで順調に更新を続けております。アクセスカウントも、もうじき二万になります。ご贔屓をいただきまして、本当にありがとうございます。
 時々考えるんですけど、ホームページってなんですかねえ。わが家は、貧乏脱出のために、もろこしを売りたいと始めたことなんですが、どうもそれだけではないような気もします。片品の宣伝、農業のピーアール、そしてオレ達夫婦のメッセージ、また友人知人の文章を頂いたり、いろいろと内容が増えてきました。これらは、夏のもろこしと、りんご狩りへの布石みたいなものです。ですから、これで夏になってもろこしが売れなければ、たんなる自己満足に終わってしまうのではないかという不安があります。
 一年が経って特に思うことは、内容が重要だと言うことです。この内容を高めていかなければと強く思います。となると、物事を見る目が大切です。また表現力も、文章力も必要です。写真を使うならその技術も高めなければなりません。ネットの怖さもありますからどこまで書くかも大切になってきます。
 片品林檎亭@管理人として、絶えず「ホームページとは」を考えながら続けていきます。これからもよろしくお願いいたします。

 と、書きましたが、何か一年を振り返っての文としては、不満足です。なにか大事なことを忘れていると思います。こんな当たり前のことを書いていたのでは、読者は減っていきます。減ってもいいのですが。……なにかが足りない。この何かがわかれば、ここを乗り越えられれば当サイトも人気サイトになるでしょう。とりあえず二年目に突入。二周年には、その何かが見えてくるでしょう。


主婦の休日  2000/5/6 (の)

あーあ、ただ映画を見に行くだけでどうしてこんなに大変なんだろう。今日は貴泰と前から約束していた「名探偵コナン」を見に行くわけでせっかく伊勢崎まで行くのだから「スペーストラベラーズ」も見てこよう、とすると9時半のコナンに間に合うには7時半には家を出た方がいい、となると逆算するといつもより早い6時に起きなくてはならない。家中で出かけるのならお昼の心配はしなくていいけれど、今日は家に主人と長男と姑がいるわけで当然お昼の用意はしておかなくてはならない。夕飯にも間に合わないことも考えられるのでうどんを作っておくとなるとこれは大変と前の日のうちに朝飯のサンドイッチを作っておいて電気釜も洗って朝はすぐお米を研げるようにしておく。
こうなると緊張してきて夜もよく眠れない。3時に目が覚め、4時に目が覚め、6時に起きだし、お湯をかけてうどんをこねてジャガイモを剥いてカレーをうどんと平行して作ることにしたところで番狂わせが発生。ヨモギを摘んできた姑がやおら小豆を煮始めた。どうやらあんこを作るつもりらしい。ガスを一つ占領されてしまっては、予定は総崩れだ。とにかくうどんを煮かけておいてトマトのハウスを開けに行く。「早く出るならトマトは俺に任せておけ」と前の晩に豪語していた主人は座って新聞を広げている。何か言うのはイヤなので自分で行って来る。帰ってくると「かけたままいなくなるなんて」とぶつぶつ言いながら姑がうどんを上げている。だいたい時間を見て行ってきたんだし、丁度いいわけなのに。とにかくあいたガスにカレーをのせて朝飯を食べる。そうしながら米をといで、浅漬けを作って、洗濯物を干して、風呂を洗って、新聞記事にコメントしている主人の話に答えたりして、出かけたのが7時21分。頭に来ていたおかげか普段なら車庫から出すのに3回切り返す乗用車を一回で出して、結局化粧もしないで飛び出した。
 見たいテレビがあるからどうしても7時までに帰るという貴泰と喧嘩しながら帰り道をとばし、二回目の映画に遅れそうになりながら選んだ姑の腕時計は「まだ前のが使えた」という言葉で歓迎され、うっかり注意しておかなかったので、「どこまで行ってきた」という姑の問に貴泰が正直に「伊勢崎」と答えたため「映画を見にそんな遠くまで行くなんて」とまるで月まででも行って来たかのように言われ、これは3日は尾を引く打撃でした。あとで貴泰と検討した結果、今度は夕飯まで外で食べて姑が寝た頃帰ることに。
 次の朝、ハウスに行くとトマトはともかく、その隣で私が育てている花の箱はからからに乾き、主人を問いただすと「やたら水をやってはいけないと思った」と言う答え。なんのために毎日働いてるのという休日の顛末でした。


アンジャーネェー 2000/3/14 (と)

 人を勇気づける、また自分自身も元気が出てくる、そういう言葉をさがしていました。フランス語でいえば「ケセラセラ」英語でいえば「ドンマイ」みたいな。世界にも十分通用する言葉で。駅伝とか競輪も世界の言葉になりましたが。それも片品弁もしくは、上州弁なら最高です。
 そしてとうとう見つけました。ホームページの群馬の方言とかをみたり、農協の片品弁の使い手、ヤマちゃんと話したりしてやっと見つけました。。それは「あんじゃーねー」と言う言葉です。元々は、案ずることはないから変化した言葉で、心配ない、大丈夫というような意味だと思います。  
 語呂もいいし、音もいい、さらに意味が非常にいいので使い甲斐がある。よその人にも話しかけられるし、自分自身にも言いきかせられる。発音しやすいし、世界にも通用するだろう。群馬が生んだ世界の言葉。アンジャーネェー。皆さん是非流行らせましょう。
 このネタは、4/15の群馬落語会同窓会、花咲落語会の漫談宍田権助のネタの一部です。


 鼻歌 2000/3/20 【と】

 鼻歌がでた。カラオケは全くできないし、ほとんど歌など唄わない。それがついでてしまった。 『心に空き地を』と言う歌で、詩、曲とも小椋桂の作品。昔、東京キッドブラザースのミュージカルの中でも唄われた。ここに書いてみますが、著作権にふれるのでしょうか。ま、いいか。

 何事もなくても
 終わっちゃうよ人生

 結局闇という
 出口へ間違いなく進む
 時間のエスカレーター

 そこは君のスーパーマーケット
 限られた買い物かごに
 何を買い込もう

 馬鹿げた空想や
 愚かな夢なんかを
 そっと置く場所を

 最初の5行を繰り返し
 
 さびの部分は
 
 欲張りたいだけ、欲張りなさい
 ただできれば心に空き地を
 心に空き地を残しておこう

 馬鹿げた空想や
 愚かな夢なんかを
 そっと置く場所を
 
なかなか言い曲であります。
 『憤りがあるうちならば』という東京キッドのミュージカルナンバーもあるのですが、これはあとで紹介します。
これらの曲があれからもう20年近くたちますが少しわかるようになりました。


川にションベンするとチンチンが曲がるぞ 2000/3/16【と】
 家の前に小さな小川が流れていた。井戸といってその川をせき止め野菜とか手や足を洗ったりもしていた。水道ができる前は、顔を洗ったり水を飲んだりもしたと思う。オレ達が小さな頃はもう野菜を洗う程度だった。そばに水神さまがあって川をとても大事にしていた。その川のそばの草むらには、螢や、おおくまトンボの幼虫がいたりして、朝早くおおくまトンボをとりに行くこともあった。
 その川を汚したりすると、大人に怒られた。ましては、ションベンなどすると「チンチンが曲がるぞと脅かされた。川を大事にしなさいと言うことだったと思う。
 いま田舎も水洗トイレになり、浄化槽がついたり下水道処理施設が地域ごとに出来始めている。私の住む菅沼集落は、片品で一番最初にその施設ができてもう10年近くたつ。浄化したとはいえ、その先は川に流れる。家の前の小川から片品川、利根川と流れて太平洋に注ぐ。途中農業用水になったり、水力発電所に利用されたり、飲料水になったりする。
 きれいな水にして流すとはいえ、悪い言い方をすると、ションベン水を下流に流しているわけです。川の上流の人は、チンチンがまがんねっぺか。そんなことを考えると、このあたりの川の問題は、単にオレ達だけでなく、町の人の問題でもあるようだ。
 さらに融雪剤の塩化カルシウムは、大量に川に流れ込むし、これも環境上あまりよくなさそうだなぁ。そんなことを考えても仕方ないか。まぁなるようになるか。都会の人が言い出すまで黙ってベエ。


現金自動支払機  2000/3/7 【の】
 ご多聞に漏れずうちにも確定申告の季節がやってきました。主人は去年一年のレシートが入っている引き出しをひっくり返して月ごとに分けなにやら書き込んでいます。
 片品林檎亭では去年から宅配便の支払いを銀行振り込みでしていますが、私は支払いを済ませるたびに「このレシートを無くしてはいけない」と、一度寝てから思い出したときには布団から這い出してそのレシートをいれる引き出しに納めてきたのでした。何十万ものお金を振り込んだにしては余りに小さい銀行のレシート・・・。ところが主人は振り込みの控えがどこにもないと言うのです。そんなはずはないと引き出しを全部引き出して小さいものだからどこかに入ってしまったのではないかと捜したりほかの伝票を一枚一枚はいでみたりしましたがありません。そこで現金を下ろしたときのレシートを見せて「大きさや紙質はこんなものだけど覚えない」と聞くと「そういう小さいヤツなら何枚か棄てた」と言うのです。なんとうちの主人は一度も現金自動支払機を使ったことがないのでどういうレシートがでてくるのか知らなかったのでした。こういう人もいるのです。


ある親子 2000/1/19
 スキー場の売店に立っているといろいろな人がやってくる。特に親の様子を見ていると自分にも覚えがあったりして興味深い。
昨日の親子は圧巻だった。親「おい、何が食べたい。」子「フライドポテト」親「お、団子があるぞ、団子が良いんじゃあないか」
子「僕、ポテトがいい」親「何がいいんだ、肉まんか、焼きそばにするか」子「ポテトが食べたいんだけど」親「しょうがないなあ、
はっきりしないで。たこ焼きでもいいぞ」子「ポテト・・・」親「そんなにはっきりしないんじゃあもうなんにもいらないんだな。・・・生ビールひとつ」
 どうしてポテト買ってやらないの。たこ焼きより安いんだよ。子どもの声はわたしにだって聞こえているのにどうして聞こえない振りするの。自分の気に入ったものじゃあないと駄目なわけ。もっともわたしも子どもと出かけて結構こういう押しつけがましい会話しているかもね。


国旗掲揚 2000/1/3 【と】
 一月一日祝日。この日に国旗を揚げた人は何人いただろうか。わたしの郵便配達地域は、約150戸の世帯があるが、ほとんどあげていなかった。気がついたのは、たった一軒だけであった。陰に掲げる筈はないのでもうほとんどの人が揚げていないと言っていい。わが家は、もちろん掲げない。掲げないどころか持ってない。国旗はいくらぐらいするのだろうか。一つ欲しいな。昔は、家にもあったし掲げていた。それなのに今は、正式に国旗に制定されているのにたったの一軒。どうしてなんだろう。わたしは、君が代とか日の丸とかなるべく関わらないように、遠くにおいていたのに、いまなぜそういう気持ちになったのか。年のせいかなぁ。たった一つの国旗掲揚をみてわが家にも国旗が一つ欲しくなった。君が代は、歌えないけど国旗は、あってもいいと思っている。


怠惰な季節 1999/12/14【と】
 一年のうち一度か二度無気力な日々を送ることがある。何かやっても気がのらない。車の運転などすると、目的もなくどこまでも行く、沼田ぐらいすぐで、そこの本屋でまただらだらと何時間も立ち読み。新聞を読めば気を入れずだらだらと読む。記事は、頭に入らない。テレビを見ればそのままどんなくだらないものでも見るとはなしに見ている。腕枕で寝ながら窓の外を見ればそのままいつまでも見続ける。雀が土蔵の屋根の瓦の中に出入りしている姿や、窓から四分の一ほど見える空の、雲の動きをいつまでも追っている。ほとんど考えずに今していることを続けていくのが一番楽な動き。次のことが始まらないのだ。このようなことがたびたびだと問題があるけれど。そんな気分の季節がまたやってきた。何もしたくないということか。こんな時詩人は、一人旅に出るのでしょうか。
 こんな気分の時どうしても悔やみに行かなければならず、その気持ちになるまで何時間も車の中で気持ちを整えたことがあったなぁ。
 おあとが……よろしく…ない。


パソコン生活丸一年 1999/12/13 【と】
 パソコンを買って丸々一年、ホームページを開いて7ヶ月です。。満足のいくパソコン生活をしています。誰にあっても、パソコンのすごさ、楽しさ有益さを強調している昨今です。これからは、パソコンの時代、早く始めた方がいい、生活に広がりができるし、家庭にいながら友達もできる。老後の趣味にもなると言いふらしています。まぁ本当の活用まではほど遠いのですが。パソコンは、いつも勉強です。どんどん新しくなって行くし今現在の機能も使いこなしてないのですから。かといって何もしなくても楽しめますが。ここに訪ねてくる方には、パソコンを勧める必要はありませんが。本当にパソコンを始めて良かった。皆さんもそうでしょうきっと。


半弦の月  1999/12/10【の】
 
人は一生の間にいくら稼いだかで価値が決まるものではない筈だとプロ野球の契約更改のニュースを見て思う。それでも細かいところで「どっちが得か」をいつも天秤に掛けている。
 忙しい忙しいといってコンビニに慰めを求めて立ち寄る人達。もっとお互いに優しくなれたらいいのに。
 中学校の坂をあがったら下半分だけのめっぽう細い月がかかっていた。


料理は楽しい? 1999/11/20【の】
 
半月ほど前のこと、舌の先に口内炎ができて痛くて痛くてたまらなかった。話すのも食事も思うようでなく、
痛くて食べられないからますます悪化していくという感じで最悪といったところだった。
 晩の食事のとき「お母さん、口内炎ができちゃって。」と子どもたちに言うと「僕も。」「口内炎なら僕もできてるよ」と口々に言うのである。これにはまいった。ビタミンが足りないのか、とにかく食事に問題があるに違いない。確かに店が忙しかったり、発送荷物に追われていたりすると、つい簡単なもので・・・と走ってしまう。
 姑がいるのでコンビニ弁当になることは絶対ないが、揚げ物だけとか焼いたものだけとか、時間がないからではなく、気力が無くなって妙に貧しい食事になってしまうことも少なくない。
 店が終わって16日に片品村の消費生活展があった。わたしも生活改善グループという農家の主婦が主体のグループに属しているのでこの日に農産加工コンクールといういわゆる料理コンクールに出品しなくてはならなかった。気にはなっていたので家を手伝ってくれたペンションの人になにかアイデアがないか聞いて「紫キャベツと豚肉のワイン煮」というのを教わり作って出した。
 朝、盛りつけてもっていくと「これはすごい」と舌を巻くような作品が並んで、トッピングにりんごのバターローストをのせては見たもののわたしのはちょっと研究不足だなという感じ。夕方役員の人がサラダ油2カンの参加賞を届けてくれた。
 しかしどうしたことか、冷蔵庫にまともに食事の支度をしなかった間にたまった食材を片づけようと、一念発起。今週はクリームシチュー、ロールキャベツ、コロッケ、と手作りが並んだ。ちなみにこれはわたしがやる気を出したときのおきまりのメニュウ。加えて先日テレビの特集で見たカレーを作りたくてたまらない。この一週間で2kgは太ったと確信しながら。


リンゴ狩りを終えて 1999/11/12 【の】

 リンゴ狩りの売店を終了してちょっと気が抜けた。主人は早速落語会に出かけた。しかし、これから冬のバイトが始まるまでにりんごの後始末。残ったものを売ったり出荷したり、ふじを収穫して箱詰めしたり。りんご園に肥やしを散らすとか、トマトや花豆の畑の片づけ、顧客名簿の整理、散らかり放題の家の片づけ、大掃除。それにとうもろこしが始まってから手伝うばかりでどこへも連れていってやってないこどもたちとも遊びたいし。
 


一円玉がいっぱい  1999/11/5 【の】
 
今年からペリカン便も使うようになって、月々の支払いを銀行振り込みですることになった。9月に始めてA.T.M.で振り込みをした。結婚してから主に農協を利用していて銀行にはあまり行ってなかったので普通預金か当座預金かで間違えて、請求書を取りに店まで引き返したりした。
10月の振り込みの時には手数料のことを忘れて、丁度の金額を用意して行ったので機械に「不足を入れろ」
と言われ、やむなく財布の奥の一万円札をくづすという羽目になった。ところで、振り込みの時だけは機械が小銭を受け付ける。預金預け入れの時は札に限られるというのに振り込みの時は硬貨という口が開く。そこで今回わたしは金庫にたまりにたまった硬貨で手数料を払おうと思った。まず支払金額の端数299円を全額一円玉で用意した。そして、手数料の315円は五円玉で用意して、振り込みに臨んだ。

 機械の「現金をお入れ下さい。」の指示に従って札は札の窓にそして硬貨を硬貨の窓に入れた。まず50枚の一円玉。機械は窓を閉じてカウントしている。窓が開く。また50枚の一円玉。また窓が閉まる。カウントしている。窓が開く。また50枚の一円玉を入れる。ところが画面の表示が変わっている。「現金をお取り下さい」となっている。えっと思っているといきなりピコピコピコピコと音が鳴り出す。窓が閉まってさっき入れた100枚の一円玉が吐き出されている。窓が開いて、一円玉をわたしが回収し終わるまでピコピコピコピコがやまない。
はじめからもう一度やってみたが同じだった。後ろで待っている人がじれているのが伝わってくる。
仕方なくひきさがって、その人が用事を済ませるのを待ってもう一度、今度は百円玉で払う。しかし、耳の中にはピコピコピコピコが鳴っていて、胸がどきどきしているのもやまない。
見渡したが一度に投入できる現金が50万までという表示はあるが、一円玉で50枚までという表示はない。
それともこんなこと考えつくのはわたしだけなんだろうか。とにかくまた、コンビニ袋にいっぱいの一円玉をもって銀行をあとにした。 「一円を笑うものは一円に泣く。」んだからな。機械のヤツめ。 


菅沼は大騒ぎ 1999/10/29【と】
 
オレは、サエラリゾート尾瀬の地主なんです。そのサエラの親会社が事実上倒産。これには、驚ろいた。幸いといおうか、なんといおうか、このサエラを運営している尾瀬高原リゾートは、まだ大丈夫。しかし鈴木総本社と言うところの子会社で、スポーティングマネジメント社に経営を委任したという。借金だらけで、この冬スキー場を経営できないための苦肉の策らしい。
 地代の、昨年度分は、まだもらってない。この先もわからない。高原野菜に適した畑を貸している。代替地を見つけてくれるのを待っている畑もある。昼間は、役場で会社側の説明を聞き、夜は、地権者総会を開いた。
 鈴木総本社と言う会社の実体も、噂ばかりでよくわからない。誰か教えて下さい。会社の倒産は、良くあることとニュースで見るが、その実害を被るのは初めて、これから先、サエラは、どうなるのか。第3セクターで農協や役場も絡んでいる。鈴木総本社を片品の7スキー場運営協議会も歓迎しないらしい。新聞社も4社ほど取材に来ているし。菅沼、いや片品では、最大の問題が発生した。オレ達地権者の取るべき最良の道とは、どんな道か。 わが家もサエラからの地代などの金が入らないため、貧乏に拍車がかかっている。本当に人生一難去ってまた一難だなぁ。


観光りんご園のサービスとは? 10/20【と】
   今日三人連れのお客様で、昨年ジョナゴールが美味しかったのでとまた買いにきてくれた方がいました。「細かいことをいうと、陽光もジョナもほんの少し早いかなと言うところです」と説明して「食べてみますか」と試食の品を出しました。それは、食べませんでしたが贈答用に一箱注文してくれました。つがるの樹上完熟のあまりを収穫してきてジュース用として使おうとまだトラックの上にあったものを娘さんが見つけて、これが欲しいと言われました。色は、すごく濃くて美味そうに見えます。でも柔らかくて、押せば指の跡がつきます。「少しぼけています。これは、生食には、向かないので売れません」と言いました。三個持ってきていたので、もしおまけで良ければお持ち帰り下さいと言いました。それは、いやだと言われました。おまけなどもらえないという風でした。お金を払わないものは、もらわないとも言われました。またわが家の自慢のジュースもだしたのですが、せっかくだからと呑んくれたけれどお代を払いますと、二杯で500円を置いていったそうです。その時、私は表で何がそうさせたのか、泣いているように見えた娘さんに少し質問をしていました。私たちが何か悪いことをいったのだろうかと心配になって。
 りんごを1500円ほど買われて、「キャベツ、おまけね」という方もいれば今日のお客さんみたい方もいます。わが家で普通に「ジュースを呑んでくだい」という言葉がひどく迷惑な人もいることがわかりました。わが家にとっては、安いりんごでつくったジュースをサービスで出したのに一杯250円を払っていくというのも非常に迷惑な話ですが。【良いりんご一個とジュース用りんご14キロが同じ値段】
 今日は、一日中このことばかり考えていました。だいぶ疲れてきたのである結論をだしてお仕舞いにしましたが。
 いいお客さんというのは、わが家にとって都合のいいお客さんだといえます。お客さんにとってもいいりんご園というのは、都合のいい店だと思います。だからこの両方が一致すれば最高です。ですからわが家にとって都合のいいお客さんに大勢来てもらいたい訳です。その接点に美味いりんごジュースのサービスがあります。今日は、初めてそれを、有無をいわせず否定されたので驚いたのです。
 美味いりんごを作るだけでも難しい。さらにお客さんをよぶのも難しい。さらにまたそのお客さんとの交流も……。 
 お客さんにここに来て良かったと思っていただきたいし、オレ達夫婦も楽しく林檎亭を経営していきたいと思っています。それを忘れないようにしたと思います。
 予定ですと営業日数は、あと18日皆さんよろしくお願いいたします。


白菜の値段 10/10 【の】
  今年は白菜の出来が悪い。いつもなら立派な白菜を山のように積みあげている林檎亭の店先も
寂しい限りだ。どういう加減かまかり始めると枯れてくる。
 白菜を播くのは姑。育苗箱に砂を入れ、穴をあけて一つ一つ播いていく。芽が出れば毎日水遣り。
植えるのは私。穴をあけ、苗を置き土を寄せる。日照りが続くと枯れてしまう。草むしりをしたり、薬も少しかける。そんな風に丹精しても、ものにならないことも多い。
 スーパーで130円で売っているのよりはましだな、と思って100円の値段を付ける。朝からいいものから売れて、お昼頃にはちょっと貧相なのが並ぶ。それでも街道筋では200円とか250円とか付けているんだしと思って、「白菜が出来が悪くてすみませんね」と言いながら売る。
 今日バスが入った。本来なら受けない団体だが、下見にきた人が是非にというので受けた。その運転手の人に白菜を値切られた。八つ残っていたのを全部買うから500円にしろという。「できません6個ならいいけど8個で500円とは」「こんなに軽いやつなのにか、おれは運転手だぞ」
 運転手だからまければまたお客を連れてくるとでも言うんだろうか。結局負けなかったので買わずに行った。わが家では、初めからなるべく安い値段を付けることにしている。掛け値なしでやっている。それをいきなりまけろとは……。そういう駆け引きも楽しみの一つにはあるが、林檎亭ではやっていない。このまままければ一言いった人だけが得をすることになる。横柄な人にも控えめなお客さんにも同じようにサービスしたいと思っている。
 この商売で人間のいろんな面が見えてくる。


片品の10月は同じようなイベントばかり 9/29【と】
 
おらいちのホームページの、イベントコーナーを見るとわかると思うきょん、10月は、同じような催しが一杯ある。オレのところであげてないのもまだあるし。どうしてこうなったんだっぺ。秋の行楽シーズンになんとか大勢の客を集めべぇちゅうことかな。でも今ひとつこじんまりしてるんだいね。ゼニは、あまりかけない、そしてお客さんからも取らない。少しなにか買ってもらうくらい。目的は、なんだっぺ。わからないけども、なにかもう一つたりないんだいね。こういうことに明解な答えが出せるよう勉強しなけりゃだめだね。それには、貧乏脱出。心に余裕を懐には、お金をというところ。どうもそうゆうこと得意な人もいないようだね片品には。理論的にね。


遠くの物は大きく見える 9/23【の】
 宮崎駿監督作品の「耳をすませば」の中に「近くの物は小さく、遠くの物は大きく見えるだけのこと」
というセリフがある。一見逆説的なセリフだけれど、本当にそうだなと思うことがある。4,5年前、片品おやこ劇場の事務局、会長をしていたとき、総会や例会が近づくと食べられなくなったり、怒りっぽくなったりしていた。終わってしまうとそれはそれ、なんとか切り抜けたなとか、成功したと実感したりとか今まで越えられなかった壁はないわけだが。それでもその日が遠くにあるうちはなんとなく大きい壁のように見えてならない。今は店がそうだ。始まる前はなにか失敗しないかとか、ちゃんとできるか・・・とかいろいろ
考える。考えていても同じでその日が来たら開店するしかない。さしずめ今は雫のようにバロンに手を取ってもらって軽やかに風に乗ろう・・・というわけにはいかず土の壁に両手両足でしがみつきながら越えようとしている。


無言電話の向こうへ  9/9【の】
 新聞に電話番号が出たためか、わが家の俄な忙しさをねたんでか、無言電話がかかってきた。主人は自宅で昼寝のため家の電話を店の方へ転送したので私が受けるはめになった。「はい、林檎亭です。」とでても何も言わない。転送しているとFAXが巧く入らないので解除しなくてはならないこともあってとまどったが二回三回と続いて無言電話と気がついた。今度かかってきたら歌でも歌ってやろうか、この忙しいときにふざけてる・・・と宅配の伝票を書きながらいろいろ考えた。こんな時うかぶのが昔覚えたヨハネの福音書3章16節「神は実にそのひとりごをお与えになったほどに・・・」だがチョット短い。詩編119編がいいんじゃあないかと思ったが全く思い出さなかった。そうだ「雨ニモ負ケズ」がいい。と思って、電話で言うとなるとつまずくかもしれないからと一応メモ用紙に全文を書いてスタンバっていた。
電話はそれきりこなかった。


林檎亭は大騒ぎ 9/6【と】
 群馬県の邑楽町出身の小説も書ける落語家立川談四楼師匠が、日刊ゲンダイの7年間続けているコラムに、わが家のことを書いてくれました。大変な騒ぎでした。1日の夕方から、3日の昼までたくさんのFAXや電話が入りました。まだ今日も少しですが注文が入っています。パニック寸前でした。注文して、食べて、さらに美味いのでと、また注文が入ります。二次注文とでもいいましようか、本当にありがたいです。立川談志師匠も言ってましたが「自信をもっていい。」本当にそんな気分になります。でも冷静に対処します。ご注文いただいて、まだ送ってない方、もうしばらくお待ち下さい。
 これからの『味来』は、おもては、ちゃんとしてるけど中身が虫食いのものがあります。これが入らないよう、細心のの注意が必要です。そんなことに気を使いながら一度つかんだお客さんは、絶対に逃がさないぞと言う決心です。そうしなければわが家は貧乏を脱出できない。
 マスコミの力は、すごい。こわさなど知らないけれど、きっと恐ろしいものもあるのでしょうね。
 下の記事がその記事です。ちょっと読みづらいけれど読んでみて下さい。



捜し物は疲れる  8/25【の】
 時々いろいろなものが無くなる。何処においたかさっぱり思い出せない。さっきはお昼に来た郵便が無くなった。主人に聞きあちこちかき回し、主人もあちこち捜したのでファイルに綴じてあったときは非難ごうごうだった。たまに使う道具が無くなることも多い。網戸を修理する道具もないと不便だ。他のものではなかなかうまくゴムを溝にはめられない。それがなくなった。置いておくところが決まっているのにそこにない。こういうのはだいたい散らかったところを片づけるときに「とりあえずここに置こう」と思ってとりあえずがそのままになってしまうことが原因だ。さっき持っていたものが見つからないと言うのも良くある。そういうときはそれが見つからないと何も他のことが手に着かない。そしてあちこちひっくり返しているうちに予想もしないものが出てきたりしてまた時間がかかる。今主人は昼間チェックしていた預金通帳を捜している。


疲れたり、自分を励ましたいとき読む本・その一 
         『
西の魔女が死んだ』 1994 梨木香歩    8/23 【の】
 
魔女になるのに大切なのは意志の力。自分で決める力。自分で決めたことをやり遂げる力。・・・
ありがたいことに、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれますよ。少しずつ、長い時間をかけて、だんだんに強くしていけばね。
 そういう一見不思議な体験はただ頭を高く上げて無視するんです。上等な魔女は外からの刺激には決して動揺しません。
 その時々で決めたらどうですか。自分が楽に生きられる場所を求めたからといって後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。
 
 実はわたしも毎日魔女になる修行をしている。この人の書いたものはだいたい読んだ。一番好きなのがこの本。あまりにも当たり前のことを丁寧に言ってくれているのでずいぶん助かっている。     


わが家の豊かな食材8/7【の】
 またことしも次々となすがでかくなる季節になりました。「木が傷むからどんどん穫れ」とおばあちゃんに言われてもそんなになすばかり食べられないし。しかし毎日取りに行く。キュウリも同じ。インゲンも。小さいうちに取ると美味しいけど、大きくなったヤツは美味くない。あとシソ。キャベツは出荷しないのでほったらかしだから、いかにも無農薬栽培です・・・といったのがごろごろ。夕べは長男の好物のロールキャベツにしようと取ってきたけど、ぼろぼろでキャベツを重ねて作ったからでかいこと。もちろん中に入れる人参もうちの畑から。わが家の食生活を支えるおばあちゃんの「せんぜば」にはほかにじゃがいも、えだまめ、小豆、ピーマン。それに秋の売店で売るように9月からは変わりキャベツが2種類。白菜、ブロッコリー、もちろん売っているからトマト。もうすこししたらいやというほどとうもろこしが食べられる。あとかぼちゃ。大根はうちでは今はできないけど生産農家に行って規格外の白菜と交換してくる。
 トトロの中でさつきが「おばあちゃんの畑って宝の山みたい」と言ってキュウリにかじりつく場面が出てくるが、菅沼ではだいたいどこのうちでも宝の山を持っているというわけだ。
 ただ食材の豊富さと料理に対する熱意が比例するわけではない。山ほどある野菜を前におばあちゃんの好物はカップラーメンだったりする。ちなみに主人は刺身と揚げ物。でもこれ以前に野菜のおかずがあるのは当たり前・・・と言う感じ。
 どなたか食べても食べても飽きの来ないなすの調理法知りませんか。


片品は涼しい村 8/2【と】
 片品にいると気がつかないほど慣れてしまうんですが、町へでると暑くて暑くて、体調を維持するのに大変。もう参ってしまいます。昨日高山村のぐんま天文台に行って来たのですが、暑さにはまいりました。片品を離れると涼しいのがよくわかります。裏を返せば、さぶいところと言うことになりますが。つまり暑さには、耐えられないけど、寒さには、強い。標高850メートルから、300メートルの沼田へ行っただけでも、暑さとともにモワーという気力を萎えさせる何かが襲ってくるような気がします。夏は、片品以外では、過ごせない体になってしまいました。


風のステージへ・寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント競輪・最終日決勝戦7/6前橋グリーンドーム【と】
 ギャンブルの好きなヤツは、なにがあっても出かけるんだいね。不景気だろうが、誰が患おうが、どんなに忙しかろうが。オレもたった一つだけ勝負事をするんですよ。麻雀もトランプもパチンコもできないけど、競輪だけは楽しみにやっているんです。電話投票の会員が全国で25万人いるんだけど、オレもその中の一人。
 戦いが終わるとやっぱりということになった。嫁さんを群馬からもらつた準地元と言っている児玉選手。絶対先行の三番手、まくり足がある児玉の優勝。この予想はつくけど、全レース穴狙いのオレは、これは買えない。神山は、稲村をあてにしたからだめ。吉岡は、追い込み選手になってしまった?かな。この大会新人の中村美千隆選手が大いに売り出して幕てぇとこでした。オレは、老眼鏡を忘れて、予想紙が満足に読めなかった。ああ情けなや。ぜん馬師匠は、第2コーナーの客席にいなかった。どうしたのかなぁ。あえると思ったのに。特観席にでも行ったかな。いい仕事が入ったかな。
 前橋まで70キロ、12時半過ぎに家を出て、6時半帰宅。残金小銭が100円足らず、いやー楽しかった。
 それでもオレは、まだ競輪をやめないぞ。今度は、普通開催のドーム競輪、地元の穴狙いを電話投票で愉しもうかと思う。しかし種銭が乏しくなったなぁ。


にわか観光地「菅沼ラベンダー畑」の隣で1999.7.5 【の】 
 
先週の土曜の上毛新聞に「菅沼の人たちで育てているラベンダー畑」の様子が紹介された。一面の真ん中になかなか大きな写真付きで。最初から大きな写真を載せるつもりが無かったのかちょっとぼやけていたが。風に揺れるラベンダーが印象的だったのか当日から見物客がやってきた。そこはちょっとわかりづらい場所のため近くで仕事をしているとすぐそこなのに場所を聞かれる。地元ではこれほど反響があるとは思わなかったらしくいそいで駐車場を借りたり草を刈って看板を立てるなど対応していた。その駐車場の一つが私のハーブ畑の隣なのでラベンダーを見物してきた帰りの人が車に向かうと家の畑が目にはいるらしい。昨日は近所で仕事をしていたのでハーブ園のまわりにいたわけだが駐車場からおりてハーブ園の中に入る人もずいぶんいた。だいたいが家のハーブ園には一応看板も立っていて「ミニミニハーブ園なんだな」とみてみようとという気になるのは十分わかる。見てもらうようにつくっているわけだし。しかし「こんにちは」とか「見せて下さい」という人は一人もいない。おばさん達は勝手にこれはあーだのあれはこーだのいって写真を撮っている。私も草むしりが間に合っていないので気づかずにいろいろ踏まれるんじゃあないかと思ったが生来の気の弱さで文句を言えなかった。わたしが近くにいるわけだから一言くらい断ってから入ってほしかった。
 ハーブを黙って摘んでいく人はいなかったが、私自身もどこかに出かけてあんなふうに行動していなかっただろうかと思い返した一日だった。


生活改善グループ一日研修 1999.6.30 【の】
 春の研修は小幡郷、相野田農産物直売所、甘楽富岡JAじぇら21の三カ所を回った。
 小幡郷は老人達が自ら町を案内することで町おこしをしている例という訳だが今日の案内のおじさんはだじゃれの連発でちょっとついていくのが大変だった。先に小幡郷が織田信長のこどもから7代までが移り住んだ所という知識がなかったし、城下町にどうして城がなくて殿様は何処に住んでいたのかとか疑問はあったが、まあだいたい様子は分かった。食い違いの垣とか、自分の家を思うように直せなくなるので文化財の保存に消極的な地域の人たちのことなど話は具体的だった。
 相野田農産物直売所は饅頭は美味かったが組合長の市会議員さんの話が飛びに飛んで自慢やらなにやら長いこと長いこと、こういうところは企画した側が時間を管理してかつ中身の濃いものになるように工夫してもらいたいもの。
 じぇら21というのは甘楽富岡JAの酪農家達が自分たちの牛乳を使った手作りのアイスクリームを販売しているこだわりの店。最近アイスクリームもコンビニなどで350円くらいの高級志向の商品を出したりしているので250円もおみやげならまあいいか、といったところ。ここの発起人の古館氏をまねいての
総会での講演会がとてもよかったのでここを訪ねたわけだが古館氏も1時間も遅れたにもかかわらず待っていて下さった。このアイスクリーム屋の隣には食彩館という直売所があるがここは明るくて商品も豊富でレジもきちんとしているしなかなか好印象。ぶんぶんとまと(ハウスに蜂を入れて交配をしたもの)
はとっても美味しかった。
 帰りに遅れを取り戻そうと頑張った運転手さんの好意があだになり車酔いになってしまったが、いろいろ考えた研修だった。


おばあちゃんの茶菓子  1999/5・23 【の】
 昔片品では朝ご飯のことはちゃがしと言っていた。お茶請けは、お茶菓子という。
めしといえば昼ご飯のことだ。
 おばあちゃんが嫁に来た頃は家族も多かったし、自分でちゃがしに焼き餅を焼いておいてもなかなか座って食べてはいられなかった。竈で湯を沸かし囲炉裏に焙烙をかけて焼き餅を焼いていた時代だ。餅と言ってもいわゆる餅ではなく小麦粉をこねて具(みそなど)を包み焼いたものだ。それをかじりながら、あちこちはいたり、洗濯したりしていたのだろう。そのころのくせがぬけなくていまでもよくおばあちゃんが出たあとの上がり框などに、かじりかけの焼き餅やら、さつまいもなどが残されている。
 


りんごの下草刈り 1999/5/15【と】

 りんごの下草刈りは、歩くよー。オレの計算だと全部おやすと30キロは歩くんじゃねえかい。乗用型は同じ作業能力で15万円以上高いもんで、自走式の30万のにしたんだいね。ハンドルを切るだけ、あとは、70センチ幅にきれいに刈れるんで、とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ、ただひたすら歩く。同じ列を何度もあるくもんで、りんごの木の状態がヨークわかるんだいね。病気がち、枝が多い、花が少ない。葉の色が悪い。いろいろ見えてくるんさぁね。七回同じ列をゆっくり歩く、これはみえてきますよ。
 とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ、とっとこ歩きながら、村会議員選の反省をしたり、いろいろ考える。。H君など大きい声でひとりごといってるらしいよ。エンジン音に消されて近くの人には聞こえないけど、遠いとこはエンジン音は、消えてひとりごとだけ聞こえるんだいね。「親父のバカヤロー」とか「ちごうちゅばなぁ」なんて、オレも聞いたことあらいね。
 それに、いろいろ思い出すんだけど、鹿の駆除で鉄砲ぶちが、網の中に入ってでられなくなった鹿をライフルで遠くから撃った時ゃたまげたいね。激しい音で。200メートル離れてたけど、音のすさまじさと言ったら草刈りしてる場合じゃなかったいね。何事が起こったかと思って、戦争つぅのは、あんなもんじゃねぇっぺけど。田辺ルームの銃器倉庫【お薦めリンクのHP】も、ちったぁおっかねえけど。
えっ、子供を床屋についてく……ああそうけぇ。
おあとがよろしいようで。 


山魁夷氏の訃報に寄せて  1999/5/12【の】
夕方のラジオでをニュースを聞いたときには言葉をなくしました。その絵はもちろん著作「わが遍歴の山河」と「風景との対話」を読んで真摯な生き方に強く感銘を受けたのがついこの間のことだったからです。
 特に「風景との対話」の中には書き留めておきたいと思うところが随所に出てきて、何度も何度も読み直しました。
 激動の時代を生きていながらいつも静かな確固たる姿勢で作品に臨み、それでも一つ一つ心の葛藤があったことを書いているこの一冊は私の拠り所でもあります。
 日本の美の世界についての奥深い考察、そして、「これがわたしの道なのだ。この私の置かれた場所で私にできる最善を尽くすだけだ。」と坦々として在るがままに在るひとすじの道を見つめきった生涯に感服しています。


ヒカルの時代 1999/5/5【と】

 宇多田ヒカルという16歳の歌手が売れていると、めざましテレビでゆってたけど、あの藤圭子の娘だってね。16〜18まで人生暗かった人の。CDの売り上げが540万枚とかですごい売り上げらしいけど、オレ達この歌自慢じゃないけどきいたことないもんね。売り上げ2位のルナシーさんの曲も知らない。アイドルといえば、オレにとつては、岡田奈々の『青春の坂道』までだね。
 どうも芸能の世界では、今の時代ひかるというのがいいみたいだね。西田ひかる、
伊集院光、大江光、大田光、大竹光一ってだれも知らないか。光GENJI、、ひかる一平ってだんだん古くなったですね。はいポーズの馮智英さんや宝塚出身の馮優華さん姉妹より、今なら末っ子の馮ひかるさんがうれるのではないかな。また立川談幸師匠も思いきり談光と変えた方が面白そうだね。光るって言えば、光ってる人少ないね。農協や役場の新人職員にも、若い農業者見ても。どっかにいないかねえ、光ってる人。百姓にもほしいねえ光ってる人。頭の光ってるひとは…いやいや。
おあとがよろしいようで。


やっぱり手紙が一番だね    1999/5/1 【と】

 トラクターは走るのが遅いから、いろんなものが見えて来るんだいね。もっと大きな農家は、トラクターも大きいからパワーアップでスピードも出るし、馬力もある。うちの32馬力くらいから下はみんなゆっくり、のどかですよ。トラクターも大きい農家は、フォードとかファーガソンとかいう外車に乗ってるんだいね。
 畑に向かうときは、道脇の林がよーく見える。ゴミばっかし目立つけどどうにもなんねえね。いつかあのゴミを片づけないと、観光片品としてなりたたねえと思う,んだいね。

 畑に入って、ロータリーで耕すと更にスピードは落ちるから、いろんなこと考えられるんだいね。子供のこと80になる婆さんのこと、新しい村会議員は、ちゃんとやってくれるだろうか。また石原新都知事は期待に応えられるだろうか。小渕さんは長期政権になるのか。北朝鮮の食糧問題は、NATO軍はいつ爆撃を止めるのか。いろいろ考えるんさぁね。権兵衛さんと同じですよ。
 そんななかで、パソコンやメールやホームページについて思ったんさあね。いくら便利でもすぐに情報が伝わると言っても、やっぱり手紙にゃかなわねえんじねえかって。手紙わすれちゃなんねえって。
 オレにとって談志師匠、井上ひさしさんそのほか、いろんな人との文通がオレを支えてきたんだから。女の人にもずいぶん書いたね。今考えると恥ずかしいのもかなりあるけど。まぁ今更言ってもしょうがねえけどね。
基本は、手紙を書く、書こうという精神を大切にしなけりゃね。
 耕した畑の虫を探しにカラスが出てきた。このカラスは、ぜんぜん逃げねんだいね。近くでよく見ると、これがカラスの濡れ羽色ちゅう色かな、美人の黒髪にたとえる。頭の中は、集中してなくていろんなこと混ざり合って先に進んで。そしてまたもとに戻って。
 ホームページ開設のお知らせは、手紙でだすべえ。そいがいいや。
おあとの支度がよろしいようで。


                   

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