このコーナーは、日頃感じた事を、なるべく思ったままに書いていきます。
記事によってはアブナイ内容もあるかもしれません。
これは林檎亭々主の
日記のようなものです。


おあとがよろしいようで1へ


普通の生活が続く 2005/6/22
 何かに燃えているわけではない。ごくごく普通の生活を送っている。今年の農作物のできはどうだろうか、とうもろこしの市場価格はどう推移だろうか、子供は本当に志望校に行けるのだろうか、血圧をあげないために何を食すればいいのだろうか。などなど「権兵衛狸」の出だしのような、ごくごく普通の生活が続いている。

年寄りはすごい 2005/4/24
 今日は道路愛護デーの人足。78歳のおきよさんと一緒に作業をした。元気のいいおばあさんでとてもその年齢には見えない。鎮守の森まで一緒に行ったのだが、神社や石仏のことなどをいろいろと教えていただいた。やっぱり年寄りはすごいなー。おれ達は、農村の文化を引き継いでいないし、次の世代になどとうてい手渡していけないのが現状であると感じた。

僕の反省の瞬間 
2005/3/22

 頭をどこかにごっつんとぶ゛つけると、何か悪いことをしたのではと、その日の反省をする。昨日写真を撮りに行ったらわからないうちにカメラがケースから飛び出ていた…それがなんと水の中に。昨日人の悪口を相当言った、言い過ぎたかなと反省するくらい言った。これかな…、これが原因かな…。ケースのふたをしっかりしておかなかったのや、ほかのことに気をとられ注意が散漫になっていたからだが、そう思うことにしている。この落胆は計り知れない。頭を下げパソコンに手を乗せ、あのお猿さんのように「ハンセー」。
 あーア。

峠を越えて57年1ヶ月 
2005/3/19
椎坂峠の赤い屋根…
私の住む片品村は四方を山に囲まれている。栃木県からの金精峠、福島県からの沼山峠、水上町からの坤六峠、川場村からの花咲峠(背峰峠)、沼田市からの栗生峠と椎坂峠という具合にどこから来るのも峠を越えなければ片品にたどり着かない。峠を越えないでくる道が一カ所だけありますが、その道は嶮しい。片品川の深い谷と薗原ダムサイトの切り立った岩をけづりとった細い道である。
 とにかく片品は峠を越えなければ行けない村といってもいい。片品に新任で赴任する、小中学校の先生は、椎坂峠を越えてもまだ目的の村が見えてこないと不安になるような山国である。公務員の片品勤務は僻地手当が出るらしい。
 林檎亭家内は、初めて家に来たとき、この椎坂峠を歩いてやって来た。何かを確かめようと思ったのだろう。 
 私は、赤ん坊の時分から、よそにでる時はいつも峠を越えている。
 今日白沢町から、椎坂峠の赤い屋根のオルゴール館をみたらそんなことを思い出した。


『人間は一人のほうがいい』
 2005/2/8
 阿久悠と森田公一の名曲『人間は一人のほうがいい』を涙しながら聴く。

480分一本勝負 2005/2/3
 
昨日、恋人でも無いのにある人と8時間もしゃべった。夕方から夜半まで…。これはなんだろーなー。
 読み始めた丸山健二の小説『虹よ冒涜の虹よ』(上巻)が行方不明になった。内容は鮮明におぼえている、早くその次を読みたいのに…。

立ち読みの限界
 2005/1/16
 
沼田文真堂書店の店員さんの挨拶が、「いらっしゃいませー」と言う、語尾のあがる声かけから、「いらっしゃいませ、こんにちは」となった。
 本屋は立ち読みが許されている。新刊の井上ひさし本、丸山健二本のチェック。文芸雑誌チェック、写真入門雑誌のチェック、コンピューター本のチェック、DVDの新作チェック、お笑いネタチェック。それらを済ますととても90分では足りない。また90分以上の立ち読みは体力的に続かない。
 新刊い行のなかに久しぶりに井上ひさしの本を見つけた。吉野作造の戯曲「兄おとうと」新潮社刊だった。何年も小説を読んでいないので、この小説の棚を見ても知っている人が少ない。名前は知っているが呼んだ事もない作家が目白押しだ。その点文庫の方が気持が楽だ。
 「できるよりわかる中級のパソコン入門」という本を買ってきた。



今年は小説を読む
2005/1/1
 
五年ぶりに今年は小説を読む。


ここは教室 2004/12/21
 今、農業者はいくら勉強してもし過ぎというのはない。何人かで勉強する時に、その勉強をする場所がない。気軽に遅くまで、話ができる場所が…。そこで林檎亭々主が大型ストーブをかって冬の林檎亭を開放する。借りたい人は遠慮なく使ってくれ。ここはプロジェクターを買ったら映画館にもなる場所である。

会議場になる林檎亭



僕の人生 2004/12/1
 新しい車は、CDがきける。これは便利だ…、ま、今では当たり前の話だが、わが家では2ヶ月前の最新情報。これで小沢昭一の歌のフルコースを聞いた。いい歌がある。全て哀しいおじさんの嘆き節という感じにもとれるがなかなかいい歌が詰まっている。

 『お父さんエレジー』 小沢昭一作詞・作曲
 
 昔のお父さんは
 家の中で一番威張っていたけれど
 今のお父さんは
 みんなの機嫌とって
 まごまごすると
 こどもに怒鳴られて ニタニタ笑っている
 お父さん お父さん 今日も働くお父さん
 あなたの背中は泣いている

 昔のお父さんは
 おかずが一品多かったけれど
 今のお父さんは みんなと同じか
 まごまごすると
 あらかた食われて 茶漬けをすすっている
  お父さん お父さん 今日も働くお父さん
 あなたの背中は泣いている

 これからずっと歌って「風呂掃除したり」「部屋の隅で寝て女房に踏んづけられたり」します最後は、「昔のお姐さんは、情があって優しかったけれど」と続くのです。

 ここまでは前置きです。このアルバムに、やはり小沢昭一の作詞・作曲で『僕の人生帰り道』という名曲があります。デキシーのリズムに乗って唄う歌です。
 この詩は、今の自分の人生を比喩を使って表現しています。

 僕の人生⇒半分以上
 僕の人生⇒帰り道
 僕の人生⇒変わりはないさ
 僕の人生⇒残り酒

 この歌のさびの部分はこう表現しています。

 夢も希望もはかなく消えたけど
 まだまだ何かやれそうだ
 何をやろうか 何をやろ

 私たちおじさんを励ましている歌でもあります。
 小沢さんは、人生帰り道と例えましたが、
 今、私はなんと表現すればいいのか考えました。
 僕の人生⇒もう半分
 僕の人生⇒山手線

 僕の人生⇒回覧板
 僕の人生⇒へのへのもへじ
 僕の人生⇒B級品
 僕の人生⇒荷鞍山
 僕の人生⇒ハニークイン

 僕の人生⇒ゴムパッチン
 僕の人生⇒日本国憲法第九条
 僕の人生⇒どっこいにつけてはいけないもの「夫」
 僕の人生⇒真夏の西日
 僕の人生⇒戦争末期のお寺です。(鐘が無い)
 僕の人生⇒都会の仏(はかない)
 僕の人生⇒

 
こんな事を考えていたら23時になってしまった。



久しぶりの東京 
2004/11/14

 昔憧れた東京は、疲れるところだ。結婚式、寄席、カメラ屋そして秘密の場所にも行ってきた。久しぶりの東京は楽しかった。そして疲れた。教会の結婚式は、今の私にストレートに「幸せかい、かみさんを愛しているかい」と遠慮無しにツッコミを入れてくる。
がくちゃん幸せね。
恵比寿にある、元ベルギーだかの大使館建物を利用した結婚式場のベランダからの東京。東京は賑やかな街

夜の秋葉原、賑やかでした。
秋葉原



お金持ちの方から頂いた縁起物 2004/11/8
縁起物
 中国のお土産をいただき、早速自宅の柱にかけました。
 縁起物です。お金が貯まるといいです。そんなには「欲張りません勝つまでは」というところです。









一人涙する作業場の夕暮れ 2004/10/11
 いやー、今日は情けなかった。子育ての悩みとでもいいましょうか。思うように子は育たない。そしてその原因を作ったのは我にあるわけですから…。まぁ、どこがその原因だか自覚はないのだけれど。こどもに幾つも望みがあるわけでは無い、たった一つなのになぁー。まだ間に合うだろうか、ま、自らが反省し、後ろ姿をこどもに見せて、それを教訓として生きて貰わねば…。ホームページによくここまで書くと自分でも思う。そしててここまて゛しか書けないのである。もう少し書いた方が断然面白くなるのだが。



とにかく良い写真を…
2004/9/1
 
写真の練習は毎日している。車にはいつもカメラが積んである。今日も絞りを調節して栗を撮ってみた
 渋い写真を撮りたい…栗だけに…。


うちの子どもと違うこども達 2004/7/24
 子供会育成会の役員になった。村の球技大会(ソフトボールとドッジボール)の練習に菅沼地区の子どもを連れていって練習にもつき合った。夜間、スポーツを本当に楽しそうにやるこどもたちがいた。うちの子どもとは、ぜんぜん世界が違うようなこども達だと感じた。これはこれで凄いナー。



小鳥が一羽 2004/7/22
ことり トラクターに乗っていると、蛙や蛇や小動物を踏みそうになる。急ブレーキをかってもなんとかよける。とにかく潰したくない。昨日道路脇の草むらに小さな鳥を見つけた。もう少しで踏みつけるところだった。無事に大空に飛び立つことを祈ってそっと畑の中まで追った。何という鳥かなー。ひばりかな…。関係ないけど美空ひばりは凄い歌手だった。
 オオルリさん教えて下さい。



いつもカメラを
 2004/6/2
 いつもデジカメは車につけてるんだいね。ホームページの取材でどんなことがあるか、どんなにきれいな場所があるかワカンネーからね。本当はマニュアルで撮れる4〜5万円くらいのが欲しいんだきょん、経済的理由でしばらくお預けなんだいね。
 今日夕方、新しいトラクターの写真撮るベーと思って持って出たんさーね。夕日と赤いトラクターと言うテーマ?で何枚か撮ったんだいね。そん中に面白れえのがあったんで紹介しとかいね。ま、あんまり面白くねーかネ。


 
写真はトラクター、えん麦、りんご園、御座入山、そしてその向こうに夕日が沈む武尊山があるんだいネ。
 写真を説明しちゃイガネーけど、バックミラーに写る林檎亭々主は一生懸命だっちゅうのはわかると思うんだいねー。




立ち読み 2004/3/11

 久しぶりに文真堂沼田上原店で立ち読みをした。一時間の予定が30分ほどオーバーし会議に遅れそうになった。
 いろんな本と出会っていたら、新刊売場に平積みになっていた、村上龍の『13歳のハローワーク』(幻冬舎刊)という傑作があった。副題に「一番好きなことを仕事にできたらいいな」とついていたかな…。俺が知らないだけでずいぶんと話題になったのではと思う。単行本: 455 p ; サイズ(cm): 257 x 182 という大判でイラストもたくさん入っていた。ハローワークというのだから、まず農業が入っているかどうか確かめた。お、あるある、そしてお笑いとかいろいろ見ていったあと「戦争が好きな人に勧める仕事が出てきた。ここに傭兵とか、軍事評論家とか、アメリカ兵というのがあった。これはすごい…。。傭兵とはフランス軍で、まずフランス語から訓練するらしい、日本の任侠の人も銃の取り扱いや、射撃の腕を上げるため送り込まれるのだが、最初のフランス語の特訓で挫折する人が多いいと、そんなことまで書いてあった。職業の紹介のところどころ村上龍がエッセイを寄せているのだが、農業についてもいろいろと書いてあった俺がやっと理解できるような事もあったので中学生には難しいかもしれない。しかしこれは幅広く職業を網羅した質の高い本です。片品中学校にも1冊くらいはあってもいい本です。昔の農家には、家業を継ぐというのが宿命のようにありましたが、どんな道に進んでも良いというのなら、こんな本をむさぼり読んだことでしょう。立ち読みの為、深く読めませんから責任は持てませんが、いい本だと思います。とりあえず本屋で手にとって見下さい。
 家に帰り、かみさんと次男にその話をしたら、やはりもうその話題は古いといわれた。中学校の図書室にももう揃えてあるそうだ。どこが良いのか、話題になったのか聞いたがそれには答えて貰えなかった。
 坂本龍一はこんな推薦文を寄せている。
「この困難な時に、この本に出会えるかどうかは、
その子の一生を決定するだろう。この本に出会えた子は幸運だ。」


ゲッツ2004/1/9

 わが家のお客様、お馴染みの理想的りんごオーナー田辺様からの頂き物です。届いてすぐにセーターの上に来てみました。ドレスシャツも頂いたので、蝶ネクタイがあればこれでOKです。林檎亭々主か息子が芸能をやろうとするときの衣装になります。結婚式や新年会などの余興にも使えます。田辺様ありがとうございました。この衣装は貸し出しますので借りたい方は申し込んで下さい。
 これで私も漫談ができる…。素人芸人の復活か?!?。芸名はゲッツ大穴またはつぶやきイエロー。またまたまたは、昔の芸名宍田権助をモジッてゴン宍田てのはどうかな……。


他人は当てにするな!!2003/12/30

 この言葉は誰でも言うし、誰でも思っていることだと思う。人(他)に頼るとろくな事がない。わが家では株瀬高原リゾートという会社に、スキー場とゴルフ場を作るために土地を貸していた。本来なら代替えの土地を見つけて貰えるはずが、実現しないまま倒産した。耕作補償や地代などを入れると年間かなりの額が入るはずだったが、現在ではその時の一割強の額しか入らなくなった。当てにしていたのが大きな間違いであった。今の時代よく考えれば、サエラリゾートもなんとか営業が続けられ、少しでも地代が入れば良しとしなければなるまい。

 片品村には、東京や埼玉などの要望で戸倉ダムという大きなダムができる予定であった。しかしこの12月突然ダムはいらないと言うことで建設が中止と決まった。これなども私たちの村に大きな影響を与えるだろう。村や地域や各事業者は大きな期待を寄せていたはずであるから。

 日本は、アメリカを当てにしている。相当頼りにしている。こんなに頼りきっていていいのだろうか。…と思う。


元気がないとこの景色2003/12/22 

自宅の居間の定位置に横たわると、写真のような空間が見える。車の前と白い土蔵の壁と、青い空が見えるのだが、視野が狭く、心まで閉じこめられたような心境になる。青い空の時はまだいいのだが、どんよりと曇った日などはたちまち憂鬱になってくる。そうしてマイナス思考が続くとアッという間に数時間が経ってしまう。
 昔はそんなことが度々あった。


いつも驚くこと 2003/11/20 (と)
 カインズホームの吉岡前橋店と言うところに寄ってみた。町に出ると必ずスーパーに寄って、野菜やりんごの値段を見る。わが家もりんごやもろこしの小売店であるわけだから大いに気になるところだ。野菜は安かったし、りんごも安い。青森のりんごだったけれどそれほど美味そうでもない。これでは農家の手取りはすくないだろうなァー。
 食料品からホームセンターの全商品が長さ数百bのワンフロアに並べてある。まだ園芸館というのが別にあるので広大な敷地で様々な物を売っている。これはすごいことで、既存の商店がこれに対抗する手段はあるのかと思う。…無いでしょう。小さな所はどんどんつぶれていく。わたしが驚くのは、そのようなことではなく、様々な商品が溢れているというです。ただただその商品の多さに驚き、日本はすごい国なんだなーと思う。庶民だからよくはわからないが、ただ、ただ「もうこいでいいっぺ、充分だっぺ」と思う。


開運招福 2003/9/9
 あるお宅に伺ったら、中国の縁起ものの人形が飾ってありました。写真を撮らせてもらいましたので紹介します。
 パソコンの前でひれ伏して拝んでみますか…。



ひんぜる 2003/8/3
 今日、地区の寄り合いで「ひんぜる」という言葉の話になりました。何か食べ物を、仏壇とか、神棚に供える事をひんぜると言います。もともとは進ぜると言うのが変化したのかな?。語源はわかりません。片品の方言かもしれません。昔は何でも一度仏前に供えて、仏様からいただいて食べたものでした。新しい農産物が出来たときも供えたし、貰い物も必ず供えたものでした。今はそんな習慣も年寄りがいないとなくなってしまいました。今わが家の仏壇には、ばあさんがひんぜたお菓子がある。


小さい事はいいことか 2003/5/11

 「大きいことはいいことだ」山本直純だったかな、今でも歌が頭のどこかに残っている。でも今はその反対が重宝がられる時代のようだ。小さかったり、軽かったり、薄かったり…。この間は四国の今治からのお客様がお土産に日本一小さい饅頭というのを持ってきてくれた。これが本当に小さい。さらに味もいい。これを見ていると小さい事も売り言葉になる。群馬生まれのりんごで「スリムレッド」という小さなものもあり、これが人気らしい。…と考えてみると、わたしほしのときおも小さい、軽い。身体だけでなく人間も軽い、度胸も小さい、内容も薄い…。私の時代が来るだろうか…。

 よいしょー。


僕の作文 2003/3/13 午後

 今日は今年になって書いたΡΤΑの作文4つの中から、二つを転載いたします。何故ここに書くかというと次のような理由からです。卒業式の祝辞に他の人はどんな事を言うのだろうかと気になり、インターネットで細かく検索したけれど参考になるようなものは見つからなかった。隣村利根中の会長井上正文君や、水上中や沼田南の女性会長はどんな祝辞を述べるのだろうか、強い興味があるがそれもわからない。そんなこともあり、誰かの参考のために私のものを載せる事にしました。
 文章を書くのはそんなに難しくないと思った時期があったけれど、とてもとても…。私には無理です。なるべくなら書きたくない。これしか書けないからです。更に卒業式の祝辞は息子達からの注文もある。その注文とは、短いこと、笑いをとることだという、これは難しい。儀式となると、自分を捨ててかからないとなおさら難しい。笑いをとりながら、私の言葉で語りかけたいのだけれど、常識の枠を越えられなかった。結局、ごくごく普通の文章になってしまったようだ。物音ひとつしない、しーんとした緊張の雰囲気の中での祝辞でした。ここで緩和するような事を言えばドット受けるのは明らかだが…。飛び道具とも云うべき奥の手を出そうか迷ったがやめました。
 それでは卒業式の祝辞と、談志師匠の影響を強く受けた私の幸せ論(そんな大それた文ではありませんが)の一部をご覧下さい。読んでくださった方が幸せになれますように願いをこめて…。

祝辞 (平成14年度第56回片品中学校卒業証書授与式式の祝辞転載3/13)

 ΡΤΑを代表して一言お祝いを申し上げます。
 三年生の皆さん卒業おめでとうございます。

 皆さんはこの三年間、将来の為の基本となる学習をしてきた事と思います。その将来の目標はできましたか、何かやりたいことは見つかりましたか。見つかればしめたものです。これからはその目標に向かって、自信を持って、思いっきり頑張って下さい。その頑張りに私たち親は感動し元気を貰います。

 私は、この二年間ΡΤΑの役員として何度も学校に足を運びました。皆さんの顔も覚えました。そして皆さんの姿に感動したことが幾度となくあります。一つだけ例をあげてみます。
 修学旅行に付き添いとして参加させて貰いました。その中日、夕食のあと洛北大徳寺で座禅体験をした時のことです。薄暗い山門を入るところからもう始まっています。必要なこと以外の私語は禁じられていました。座禅の作法を教わり、しっかりと組むことができました。座禅の時に無言のうちにも、皆さんと先生方の気持ちが、通い合うのがわかりました。生き生きとした貴重な体験ができたと思います。その様子がよかったのでしょう。お坊さんの講話の時に、片品中の皆さんと先生方が褒められました。覚えていますか。絶賛されたといって良いでしょう。ΡΤΑの会長として、自分の学校の生徒と先生が、旅先で褒められるという、こんな嬉しいことはありません。あの時のお坊さんの話を聞く皆さんの目の輝きは、とても素晴らしいものでした。修学旅行は多少のハプニングもありましたが、中学校生活の大きな思い出の一つとなるでしょう。私にとっても感動の一ページであります。

 この広い宇宙に緑の地球があること、人間が住んでいること自体、奇跡だといわれています。更に長い歴史の中で、平成の平和な日本に皆さんが生きていること、この片品中学校を一緒に卒業していくことはまさに奇跡だと思います。この奇跡とも思える現実を大切にして、大きく羽ばたいて下さい。

 最後になりましたが父兄の皆様に心からお祝いを申し上げます。また丁寧なご指導を頂いた先生方に厚くお礼を申し上げます。地域の皆様方には、私たちΡΤΑの行き届かないところのご指導を頂いた事に、深く感謝申し上げ、私の祝辞といたします。
  平成十五年三月十三日
  星野時夫



  しあわせの基準 星野時夫 (2003/3/12発行片品中生徒会誌より転載)
  生徒の皆さんと、この二年間ΡΤΑの役員として、何度も会う機会がありました。そのたびに、皆さんの頑張っている姿をみると無性に嬉しくなりました。みなさん自身は感じていないかも知れませんが、そんな皆さんは輝いています。これからもその時々で輝いてほしいと思います。一つのことに向かって、真正面から真摯に取り組むことが、端からみると輝いて見えるのです。私たち大人もいつまで輝けるかが課題でもあります。

 片品中学校ΡΤΑの会員の中で、私は年長のほうです。つまり経験だけは多く積んでいます。失敗や、苦い思い出もたくさんあります。涙をこぼすほどの感動も経験しています。そんなことを回顧しながら幸せについて書いてみたいと思います。
 昔のことですが、鑑賞と創作という二つの目的で小説講座に通ったことがあります。講師の作家、神山圭介先生の講義の中から学んだ「人間は何故生きるのか」と云う私なりの結論があります。それは「幸せになるために生きている」と云う結論です。どうもこれはいろいろ調べていくと、幸福主義と云うみたいです。

 私はこれを全ての事に、全ての行動に当てはめます。具体的に云うと、勉強する事は幸せになるため、仕事を持つことも同じ、歌を歌うことも幸せになるため、芝居を見ることも、お化粧する事も、旅行をするのもそうだと考えます。親に心配をかけないことも、他人を思いやることも幸せになるために必要なことです。宗教の道に入る人はそれも幸せになるためだと思います。結婚するのもそうです。政治的な発言をするのも、選挙に行くのも突き詰めて云えば幸せになるためです。それは自分だけでなくみんなが幸せになるためでもあると思います。私は、迷ったら幸せになるために生きているのだと再確認する事にしています。
 では幸せというのはどういう事でしようか。言葉の意味なら「身心共に恵まれた状態、満ち足りた状態」ということになるでしょうか。満ち足りた状態というのはなかなかありません。ではその幸せの基準を決めなくてはなりません。幸せの基準をどこに置くかで人生が変わってきます。昔は、飢えと寒さが凌げれば幸せでした。今は違います。食べ物は満ち足りて、本もビデオも好きな物が見られます。一人づつ部屋があり、車も自分専用の物があります。携帯電話は個々で持ち海外旅行にも出かけられます。それでもまだ不景気で、いつになったら幸せになれるのかと言う考え方です。これではどこまで行ってもキリがありません。わが家はそれほど余裕はありませんから、そんな心配もありませんが。

 私の幸せの基準は、家族がいて、その家族がみんな元気に生活している状態と言うことにしています。
 生徒の皆さんは学校に通い、迷ったり悩んだりしながらも、将来に夢を持って元気に生活しています。その状態を幸せの最低基準と考えています。それが崩れるようなことになれば、親はすぐにも解決のための対策を立てなければならないと思います。

 最後に質問をします。皆さんは今幸せだと思いますか…。


三日坊主 2003/3/10
 私は飽きやすい、何をやっても長続きしない。これには自信がある。日記なんぞは二日と続かない。健康のために、何がいいとか教わっても続かないし、また健康食品など貰っても半分ぐらいでやめてしまう。とにかく長続きしないのである。趣味の作詞も途中で実作はしなくなった。俳句や文章なども作法の本がたまるばかりだ。小説を少しは読んで楽しんだものだが、まったく読まなくなった。読みたいと思う作品を買っては積ん読である。この一年まったく読んでない。どうせ読まないからとね滅多に本も買わなくなった。これは情けないと思うほどだ。とにかく飽きやすい。
 パソコンは4年間毎日いじっているけど、これも仕事がらみだから続くもののいつやめるかわからない。趣味だけのサイトなら、今が止め時という気がする。こんな文章を書いたとて、誰が喜ぶものかと思う。小学校のころよく通信簿に「飽きっぽい」とあった。その先生はよく見ていたものだと感心する。
 そんな中で続いていることがいくつかある。まず本業の農業だ。若い頃は迷って迷って悩んだものだがとにかく続いている。いまだに目標は所得税を払う事だとシャレで言ってるくらいだから、経営は不安定だが…それでも続いている。
 あと落語を聴くことは好きだ、テープやビデオやCDも聴くが一番は生の落語だ。でもその機会は決して多くない。チャンスと体力、経費が続けばまだいくらでもいける。そういえば、映画もいくらでもOKだなー。あとけいり……ま、この辺でいいか。
 そういう訳で三日坊主でもやめられない、やめない事があるというネタでした。


またまた転載ネタでご機嫌を伺います 2003/1/16

ΡΤΑ研修報告というのを私の所属しているΡΤΑで出しました。そこに書いた文章を転載します。

 三度の食事の重要性
         星野時夫 

 今年五回の研修会に参加しました。研修とか視察はいくらやっても、それを実際に生かせないと意味がないといつも思っています。
 まず研修で感じた私の結論から書きます。
 @どんなこどもに育てたいか明確な目標を持つことが大切だと思います。
 Aこどもは基本的に、親が家族と協力して育てるもの。様々な努力をしながら、先生方や他の父兄、地域の人と連携すべきとこはしていくと言うことだと思います。
 B健全なこどもに育てるには子どもたちの学校での様子を知る事も重要です。ことあるごとに学校に行こうと強く皆さんに勧めたいと思います。
 ◎新ΡΤΑ会長研修、三月二十二日前橋テルサホール
講演「心と脳と栄養」岩手大名誉教授大沢博
 今まで脳と食事の関係の研究はされていなかった。これまでの教育論はこどもたちの脳は正常であるという暗黙の前提としていた。しかし今は今それを問い直す時期であると言ってました。心を左右する脳は、栄養に左右される。食生活が変わるにつれ、脳の栄養が不足しているのだという。脳のブドウ糖の不足、低血糖症、インスリン過剰分泌などが脳に悪影響を及ぼす。
 それはどんな食品によって、どんな悪影響があるか。その食品とは、スナック菓子、インスタントラーメン、スポーツ飲料などである。特にそればかりを食していると脳が必要としている栄養が不足するという。清涼飲料水を飲み過ぎる人達のペットボトル症候群も問題になっている。不登校、いじめ、キレれるこどもたちを調査すると、同じようにこれらの食品を主食のように食べていたと言う。
 心の健康の善し悪しは、栄養で大きく左右される。栄養の重大性の認識は、心の作用です。生きる意味を見いだせないとだんだんに食事の中味に興味が無くなり、食事さえも無関心になる。
 では何を食せばいいのか、まず日本人は米であると言ってました。米を食べると元氣になります。氣の字の中に米と言う字が入るくらいですから。この講演会ではありませんが輸入農産物の恐怖とも言うべき、日本では許可されていない薬品付けの食品も問題視されています。ではどうすればいいのか…。
他の研修会で、生きる力を養うと言う事の基本は、事故や危険から身を守ること、そして食べ物を確保する事と教わりました。一つ付け加えるならば、それは安全な食品選びも教えなくてはいけないことと言えます。


募集掲示板・人生案内から 2002/12/15

 わが家の掲示板の一つに募集掲示板があります。そこでは「遊句」と名付けた5・7・5の文芸、うさ晴らしのぼやき、更に人生相談を受け付けています。ほとんど「遊句」で占められているのですが、ごくたまに人生相談が来ます。林業をしているアントニオ檜木さんという方からの相談で、我がページのレギュラー回答者豊年万作氏が答えております。興味深いやりとりなんで、こちらにも掲載して皆様に読んで頂きます。

質問 町会議員になりたい アントニオ檜木

ただ何となくホームページを見つけては見ていたら、このページがでてきました。 私はある小さな町に住む、31歳の農林業者です。山林(木材とキノコ栽培)とこんにゃくをやっています。
まわりの町会議員や有力者と言われている人と話をしますが、まったく情けないと思うほど勉強しないし、町の将来の事など考えていません。
思い切って私が町会議員に立候補してみたいと思います。 市や町や村の議員の資格というのはあるのでしょうか。また若輩者が当選できるでしょうか?。

答え 人生案内 町会議員の資格 豊年万作

久しぶりの相談で、張り切っております。管理人ともうこのコーナーもお終いかな…と話していたところです。

法律的には25歳すぎれば誰でも立候補できますが、ただそれだけでは年間300萬円以上の手当に見合う仕事はできない。
私が考える議員になるにはと云う最低条件がありますからそれを書いてみます。

1自分の仕事が順調に運んでいる。つまり業績がある標準に達している。
2町を良くしたいと云う強い意欲を持っている。
3今までも建設的な意見を度々世間に向かって発言してきた。
4情報収集のためにインターネツトを活用している。
5物事の現状を把握する能力を持っている。

以上があれば大いに立候補し、町議員として活躍して貰いたい。
今、そのあたりにいる議員の質の低いこと、嘆かわしいと思います。
町の活性化、町営企業の赤字解消、多くの課題をかかえてそれを解決できないでいるのが現状でしょう。庶民は、論理的には分析できないけど本物か、適しているかよくわかっていると思います。
内容的には素晴らしくても、選挙に勝てないとなれないのでそこが難しい。しかし上記の5つの条件をクリアしていれば大丈夫でしょう。
ご活躍を期待しております。

県庁に行って感じたこと 2002/11/20

群馬県庁に初めて行った。目的は一階ホールで開かれているリンゴ共進会を見るため。もう一つは新しい県庁を見るためだ。
全自動収納の駐車場から始まって、地上32階の展望ホール行きのエレベーターにも急行があるのに驚く。中で働く人は洗練されていないように見えるのに、施設ばかりが豪華だったように感じた。談志師匠は文化レベルの低いところほど大きいホールを作りたがると必ず云います。ここもそのクチかな…とそんなことも思いました。毎日こんな素晴らしい所で働いていると、自然に庶民の心と離れていくのではと思います。こんなすごい所で働いていて、県内各地の一般庶民の要望を吸い取るのはきわめて難しいのではとも思いました。この建物は世界と比べてもひけを取らない素晴らしい物に見えます。そこに長年いるとこの生活が当たり前のように思ってしまうのではないか…、感覚が庶民とかけ離れて行くのではないかと強く感じたわけです。
31階にレストランが二つ、ここは営業時間が11時半から、喫茶だけでも、なんでもっと早くから始めないのか不思議でした。だって県内各地から、毎日大勢の人が来ているのに…。
どうもうまく書けません。批判をするわけでは有りません。ただ、建物と県の職員のイメージがあまりにもかけ離れているので驚いた次第です。
夕方高崎のスズランの地下、つまりデパチカというのに入りましたが、あらゆる食品が溢れていてこれまた驚きました。不景気なんつうのはまだまだですねー。これだけの物が売れようが売れまいが、存在するのですから…。

群馬県庁32階からの眺望、右手前赤城山、奧が武尊山、その向こうがわが片品村。


バラのお風呂でリフレッシュ 2002/10/20

昨日は温泉、今日は自宅でバラの湯に入った。ずいぶんと贅沢である。
私はこれを小さな贅沢と呼んでいる。バラのピンクと白と薄紫とその香りが、わが家族の心をリラックスさせてくれる。

バラのお風呂


ネタがあっても書けないときは…2002/10/19
書きたいことがある、しかし時間が無くてと言うか、気分が乗らないのでかけない。
気分が乗らないと言うのは、まだそのネタが熟成されていない証拠で、もっとその事を深く追求しなくてはならない。
その書きたいこととは、家のお客様との10円の攻防戦であります。結果は1勝1敗の引き分けでありました。
そのネタは次回、本日は珍しい写真をお見せして、お後と交代致します。



ネタが無いときは… 2002/9/17 

ネタが無いときは子供を登場させるのが定番である。
子供への期待と、のびのび育って欲しい願いをこめて…。
これ世間では、親ばか度120パーセントと言う。

林檎亭の天井裏で、小説の次回作の構想を練る貴泰氏。

天井裏にて

体育祭1500メートル決勝で2位をキープ?、優勝目前?の星野君。
実はこのレース予選はない。しかも、本当の1位から5位くらいまでは一周多く周回している…のだ。

体育祭

ポーズを取るのが得意なTAKAは菅笠と提灯で、幕末木枯らし紋次郎の気分。
木枯らしでなく、コスモス紋次郎と言う。
コスモスと坊主


一度書いた物はよそでも使え 2002/7/21

PTAの会長になると、年に7回以上文章を書かなくてはなりません。挨拶と言う形もありますが、自分の訴えたいことを好きなように書いたものでいいと思います。この機関誌にはこのことを書くとか、まぁだいたいは決めてしまいました。そんな中でどうして勉強しなければならないかという長年考えていたものを、ついこのあいだPTAの会報に書きました。せっかくかいた物ですし、そんなに多くの人がちゃんと読んでくれないらしいからここに原文のまま掲載します。枚数に限定がありましたから、最初に書いた物より相当短くなりました。この文章から削除したその先の文章まで想像して読んで貰えるとありがたいです。

今、伝えたいこと 星野十季男
  会員の皆様には、今年一年さまざまなPTA行事に参加して頂いて、その質を高めて貰えればと思います。よろしくお願い致します。
一 勉強する理由
 食事のあと、しばらく家族で話をする。映画やサッカーの話、ボケ突っ込みと乗り突っ込みの違い、本の話のあとは、芥川でも読んでみればと助言する。他愛のない話題が多い。先生の車が傷つけられたんだって、子供も学校の事を話しだす。そこまで来ればしめたもので、次々に質問を浴びせる。授業は静かに受けているか。いじめはないか、部活は楽しいか、先生の教え方はどうだ。こんなやりとりで子供の様子が少し判る。私はこれをおやこ会議と呼んでいる。締め括りは私の出番だ。
 「お前達何故勉強しなければいけないかわかるか。なに、お父さんのようにならない為…。お母さんそれシャレにならないよ。ま、それもけして誤りではい。中学校は将来社会人として自立していく為の基礎的な知識を得る所だ、それだけの理由でも今勉強しなければならない。それともう一つ大事な事がある。お父さんがいろんな人に問い掛けて出した結論だ。将来なりたい職業が見つかった時に、今、少しでも多く勉強しておけばその職業に就ける可能性が高い。将来どんな事をしたいか、どんな仕事に就くか具体的に目標を決める時、その選択肢が広がる。これ、これだぞ。」私は何事も理由を丁寧に説明するよう心がけている。

二 修学旅行の印象
 先生は生徒の事を本当に良く把握している、驚くばかりだ。そして丁寧なきめ細かい指導をして頂いた。これには頭が下がります。多少のハプニングはあったがいい旅行ができたと思う。中でも座禅体験は印象深い。洛北大徳寺の山門をくぐった所から私語を慎み、座禅中は無言のうちにも先生の思いが生徒に伝わり、それに生徒が応え、理想的な座禅体験ができた。
  最後のお坊さんの話の中で、片品中の生徒と先生が称讃された。会長としてこんな嬉しい事はない。法話を聴く時の生徒の眼差しは輝いていた゜聴くと言う字を分解すると、十四の心できくと書く、正しくこれがその「聴く」という行為そのものであった。三年生は、是非この体験を時々思い出して生かして欲しい。


 襲名(改名)披露口上 2002/6/吉日

本日はお忙しいところ、当ホームページ「おあとがよろしいようで」にご訪問頂きまして誠にありがとうございます。心より御礼申し上げる次第でございます。私くしめ星野時夫は本日をもちまして、姓名学上素晴らしい名前であります、下記の名を襲名致します。由緒ある名前を継ぐときに襲名を使います。今回は改名が正しいのですが、あえて襲名とさせていただきます。一年前までは、運勢とか姓名判断とか、全く意に介さない生活をして参りました。しかし友人尾瀬ドーフ代表、千明市旺さんの強い影響もあり、良いものなら信じて見ようかなどと思うようになりました。
今回の名前はその市旺さんが、東京のエライ先生に見てもらい、付けていただいた名前です。一年前まではそれらのことを頑くななまでに拒否しておりました。そして今回の改名は、その心の変化というのも自分でも驚くばかりです。なんとか現状を打開しようとすると、その人なりに最大限の努力をするものです。その努力と並行して今回の改名襲名となった運びです。親から貰った星野時夫という名前は、戸籍上はもちろん生きており大切に致します。この新しい名前はなるべく多く使わせて頂こうと思っております。名前は変わりましたが、それだけで本人が変わるはずもなく、今まで通り、優しくて強い心を求めながら、様々な努力、精進を重ねて参る所存でございます。以前にもまして、ご贔屓、ご指導の程心よりお願い申し上げる次第でございます。

新しい名前

この名前は画数が良いのだそうです。その姓名学上の説明は省かせていただきます。十の季節の男、四季だけでも世界に例のない素晴らしい自然の移り変わりがある国だというのに、十の季節とはこれまた細かな季節の移り変わりで、縁起がいいような気さえいたします。季と言う字は49歳でなくなった兄もこの字が使ってありました。兄のことについては小説になるくらいの事情があり、後悔と時間の足りなさを感じております。その事はこれ以上ふれませんが、この新しい名前がその季が入っているのが何か因縁を感じるのです。貧乏脱出作戦最終ラウンド、そして人間50過ぎれば順不同、人生の後半戦を星野十季男で元気に楽しく行きたいと思います。

それでは皆様のお手を拝借。襲名(改名)を記念いたしまして、こちらのホームページにお出での皆様方のご健康と、片品林檎亭の繁盛を祈り、3・3・4と手拍子をお願いいたします。さぁ、マウスから手を離してどなた様もよろしいですか。

イオー、…。あその前にイオーというのは、硫黄ではありません。祝うと言うのが変化してなったのであります。
イオー・シャシャシャン・シャシャシャン・シャシャシャンシャン。ありがとうございました。

片品林檎亭


田舎のトマソン 2002/4/24

昔、作家赤瀬川の兄弟が、兄だか弟だか忘れたけど、街の中のどうでもいいようなもの、
ジャイアンツのトマソンのようなものを研究していた。前橋の私立図書館でその講演を聞いたことがある。

下の写真、道路際のタンポポはまさにその極み。群馬片品これが田舎のトマソンである。
わかるかな…、ワカンネーだろうなー。
舗装の中のたんぽぽ


歳と共に異常な上がり性 2002/4/17

私は上がる性分です。昔もそうでしたが、今はそれに輪をかけてひどくなりました。3年ほど前に花咲で落語会をやったとき、漫談をしたのですが、これはひどかった。唇が乾いてどうしようもなく、舞台に上がったその時より、数日後の方が恥ずかしかった。さらにその気持を長く引きづり、晴れ晴れとした気分になれないでいる。これを名付けて小心者の潰瘍性格、引きづり亭主と呼んでいます。
また近頃では、疲れが重なると、心臓が波を打つ、この動悸が声を震わせ、深い呼吸をしないと倒れそうになる。そんなことは、滅多にないが。昨日のPTAの合同役員会と先生全員が出席した会合で会長として挨拶をしたのだか、この症状が出てしまった。もともと話が下手なところに持ってきて、昼に川口市までお葬式に行き、飛んで帰って癖になっている昼寝もせず会場へ…。…参りました。原因は必要以上に相手を、対象を意識しすぎたのか、それとも体調のせいか。予定の笑いも取れず、最後には「失礼しました」とわけのわからぬ事を口走ったりして、どうも実にひどいものでした。「俺は談志の弟子だぞ」と言い聞かせて挨拶に望む、手のひらに人という字を3回書いて飲むのと同じようなものだが、とにかく情けなかった。言いたいことは、こどもたちの学校での様子を知って下さい。そのために学校からの通知、通信、文集など全てのものをよく読んで下さい。それと学校に足を運び、特に年5回ある、一日学校開放参観日に出かけて、現状を把握し問題があればその解決に立ち上がって下さいというお願いでした。何故このようなことを書くかというと、このままでは気になって仕方が無いのです。上手く伝えられなかったと言う後悔が…。文章なら何度も何度も推敲出来るから良いのですが、ライブは大変です。頭の中できちっと整理して言ったはずなのに。私は毎日、話術や挨拶について、テレビでも何かの会合でも、内容と話し方について深い研究をしているので特に昨日の自分について考えると落胆したわけです。私は文章を読むのが好き、講演を聴くのが大好きなのでその二つのことで、自分の書いたこと喋ったことが、自分なりに満足できないと引きずってしまうのです。しかしこの性格を恨むこともなく、ちょっとのことで、あがったり、興奮するのは新鮮で嬉しいことだとも思っているのです。


ちょっとだけ祝辞を考える2002/4/8(と)

結婚式の祝辞を言うのが一番面白い。何でも有りだからです。出てきて海老一のポーズで「おーめでとうーございます」とか、本音トークも許される。爆笑をめざし、誘うのも許される…と言うか歓迎されるだろう。。神父をイヤ新婦を褒めて、新郎をけなしてもOK。そんな祝辞と違って、今日出席した入学式の祝辞は全て理想と建前の祝辞です。校長先生のは良かった。私はメモを取ってきましたが、素晴らしいです。構成、内容ともに、こどもたちはちゃんと聞いていましたが、メモを取るわけでもなく、聞くだけですから、どう伝わったか、理解できたかは疑問です。校長、教育長、村長、村会議長、県会議員、それにPTA会長の私ですから6番目。聞くのは大変だ。一人5分でも30分はかかる。みんな難しいそうな言葉や表現を使う。中学生は短いのを喜ぶ、今日のは良かった短いから…と言う。入学式の祝辞で何かを伝えようと言うのは難しい。印象しか思い浮かばないと思う。本人は原稿を書いたり、読んでみたり、手直ししたり、充分な推敲も出来るから、自信もあるだろうし、どうだと言う気持もあるだろう思う。しかしなかなか頭には入らない。今はテレビのバライテーだって、いちいちセリフがカラーの字幕で出てくるのだ。字が大きくなったり、ぽわわわーーーんと振るえたりする。だからこの入学式の祝辞を理解するのは難しく、覚えてなどいられない。私も祝辞を言ったのですが、巻紙でなく、桜の便せんにワープロ行書で印刷していった。緑のしゃれた封筒を買ってきたのだが、やはり当日は白い和紙の袋に入れ替えて出した。内容は以下の通り。皆さんと言うところを自分の坊主次男の「貴泰」と置き換えてみて大丈夫のように書いたつもりです。帰って息子達に感想を聞いても、評判は悪かった。これからも挨拶はたびたびあるらしい、出来るだけ面白い事を入れるように心がけよう。

下にその祝辞の全文を掲載します。これを出すというのは、私をさらけ出すことになり、恥ずかしいことでもあります。ま、私の内容と言うのはこの程度です。引用もありませんし、比喩もありません。短くて、こどもをヨイショして、親に学校に行って本当のこどもの姿をしってほしいという気持だけで書いたものです。この祝辞より、大事な提案があり、そのあとの本部役員会のほうが気を使いました。これは以外宅哉益汰。
   
 祝辞  
 新入生の皆さん、入学おめでとうございます。
皆さんは気づいていないかもしれませんが、皆さんのすごいところはたくさんあります。いくつか例をあげてみましょう。
 例えば、パソコンを操作させれば、すごい速さで覚えてしまいます。私たちはとてもかないません。
 携帯電話は、いくつもの機能をあっと言う間に使いこなす事が出来るでしょう。勉強をやればやるだけ頭に入っていきます。これも私たちにはかなわないことで、羨ましいことでもあります。皆さんの頭の中に、メモリ不足と言うのはありません。ブロードバンドも対応と言うところでしょう。
 また身体を使った後の回復力も、ものすごいものがあります。体力的にもそろそろ負けてしまいます。
 人間は一人前になるまで時間がかかります。立つのに一年、しっかり歩くのに五年、言葉や生活の知識を、良く覚えるまでに十五年は必要です。人生の二割が基礎的な学習です。
 これからの中学校生活の三年間は、その最後の仕上げの時期だと思います。いろんな事を学び、将来どんなことをしたいのか、明確な目標を見つけて下さい。明確な目標を見つければしめたものです。
皆さんのすごいところは、誰にも同じようにたくさんあります。自信を持っていろんな事にチャレンジして下さい。私たちPTAが応援します。

 最後になりましたが父兄の皆さんにお祝いを申し上げます。初々しい制服姿で入場したお子さんをみて、感激された事と思います。本当におめでとうございます。
 これからはPTAの会員として一緒に活動していくことになります。どうかよろしくお願い致します。
 今、学校が大きく変わろうとしています。今まで以上に、お子さんの学校での様子を知る必要があると思います。学校行事に、なるべく多く参加していただいて、お父さん方にも来ていただいて、学校でのこどもたちを良く把握して下さい。時には叱ることもあるかもしれません。励ましながら良いこどもたちに育てていきましょう。
 本日はおめでとうございます。             

 平成十四年四月八日       PTA会長 星野時夫


子供との会話 2002/3/21(と)

昨日はテレビの特番で漫才を聴いた。島田伸助が仕掛け人らしく、テレビ朝日で何度目かのお笑いライブ版である。漫才のネタだけでは、どうしても持たないらしく、松方弘樹や、デビイ夫人、セイン・カミューにも、漫才やコントをやらせていた。このセイン・カミーはあの「異邦人」のカミューの親戚らしい…。そんなことはどうでもいいが。

私とこどもたち3人で見たのだがなかなか面白かった。中でも、アメリカザリガニ、中川家、クリームシチューなどが印象に残っている。NHKの深夜でお笑い芸の番組があるが、これは一部中学生も見ているらしい。ここで名を売って、将来は、ダウンタウン、うっちゃんなんちゃん、ロンドンブーツ、キャイーンなどをめざすのだろう。これらの売れっ子とて、一番面白いのはネタで15分なり20分喋るときだと思うのだがなかなかやらない。こういう売れっ子を寄席に出せば客が溢れるだろうに…。小朝がやってダウンタウンが続き、談志師匠も出てきたりする。ま、それはおいといて…。
うちでは中学2年の息子と、お笑い芸人について、あるいはネタについてかなりつっこんだ話をする。何故面白いか、どこのネタが悪かったか、相方の突っ込みが足りないとか、あれでは片方はいらないとか、ビートきよしみたいになるとかいろいろ話をする。中川家は現在の若手ではトップクラスの実力があるが、わが家では、小さい方のお兄ちゃんのボケやボケ突っ込みなどもう少し上達すればナーという結論に達した。
前から思っていたが一つ驚いたことがある。若手芸人のなかで英語を多用したネタを出すものが何組もいる。もうこういうネタが普通になってきているのだそれらをこどもたちは大喜びで聴いている。


心配御無用 2002/2/1 (と)
 この提灯は、わが家のお客様で超理想的オーナーTANABE.TVの田辺様にいただきました。何か効果的な使い道はないかと考えています。昔なら、戦争に行く人を送るときとか…。今でもやはり戦争、選挙のときに陣中見舞いに夜これを持って伺うのはどうだろう。10人くらいででかければすごいです。何しろこちらの村会議員は、200とれば必ず当選しますから。

モデルは宍田権助師匠
 


ヤッタ、ヤッター!!!! 2002/1/29 (と)

 家の親父は、早死にだった。兄も同様で、二人とも患ったのをよく見ていたから、これよりなんとしても長生きしなければと思っていた。親父の亡くなった歳を過ぎた日には「ヤッタ、ヤッター」と叫ぼうと心に決めていた。今日は誕生日、親父より長生きが出来る。もう昔のこととはいえ、この歳で世を去るのはさぞかし無念であったろうと思う。その時俺は高校を卒業したばかりだった。さしずめ今度の目標は、子供が成人して社会に出るまでということにしよう。体調のいい時というのがきわめて少ないので、あまり自信はない。しかしなんとしても生きなければならない。
 今日があることに感謝し、これからの決意も込めて、右手の拳をにぎり「ヤッター」と叫ぶことにします。



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