<>2004/12/24  違反切符  

 鎌田から上がってきて林檎亭の前でどういうわけかお巡りさんに止められた。向の畑の中に誘導される。そこで窓を開けるとシートベルトの一斉だという。着用してなかったのでキップを切られた。罰金の所が80630円になっている。630円は消費税か。さらにこの間違反したときの分がまだ払い込まれていないと言う。たしかにこの前掃除の途中で洗剤がなくなり急ぎコメリまで買いに行ったとき大崖の所で一斉に引っ掛かった。その日はやけにパトカーが多かったので速度に注意して走っていたら須賀川の追い越し禁止で三台も抜いていったのにそのスピード違反は取り締まらずにシートベルトの未着用でキップを切られたのだ。
 後で主人に言ったら「お前が着用してないのが悪いのだから人の責にするな。」と言われた。それは確かにそうだけど。だけど確かあの時点数は加算されるけど罰金はないと言っていたぞ。それにだいたい朝六時、こどもを送っていって行き会う車と言ったら停まっている新聞配達の車くらいだというのに一斉やるかい。
 それにそれに、今日は旗日で子供は休み。私も定休日で久しぶりに朝寝をしようとまだ布団の中にいるジャン。なにこの悪夢は。



2004/12/16 運

 主人が本棚から近くの衣料品店の商品券を見つけた。明日からバイトが始まるので靴下でも買おうと行ってきた。ないと思っていた商品券だったので値段を気にしないで靴下とバンダナ、それに姑の割烹着を買って精算した。現金は190円。そこでレシートが2000円以上なのでくじを引かせるという。「商品券なのに悪いな」と思いながら昔ながらの福引きを引く。最初は何もでてこない。もう一回ゆっくりやった。受け皿に黄色い玉が転がりでた。黄色黄色・・・と係の人が照らし合わせたところなんと一等。「一等がでましたよ」と店中に大きい声で知らせる。お客さんが何人か寄ってくる。「俺が先にやれば良かったなあ。」「一等もでるんだねえ」と何かみんな興奮している。一等の賞品は組み布団一式か商品券一万円分。「とりあえず住所と名前を書いて下さい。」と筆ペンを渡される。
 商品券一万円分は嬉しかった。実家の両親にクリスマスに贈る服もちょっと奮発できる。しかしこんなところで運を使い切ってしまったとしたら・・・・。しかも店頭に名前を張り出すなんて。
 私の運よ。これを皮切りに上り調子になってくれ。 



2004/12/14 東急ハンズ、丸善、陶芸展

 

 どうしても行きたくて渋谷の東急ハンズに行ってきた。新宿の方がわかりやすいが、馮さんに連れられてそれと知らずに行ったときからもう20年、あの半階ずつ上がっていく迷路みたいな造りにワクワクしてしまう。欲しかったもの、見てみたかったもの、将来手に入れたいものなどゆっくり見て回った。日本橋にでて丸善へ。ところが閉店して改装中。張り紙にあった丸の内口のビルに行く。こちらはおしゃれで外からはどこに本屋があるのやらまったくわからない。知っていなくては行くことができない造りだ。フロアには欲しい本がいっぱい。来年の手帳もゲット。
 今回、上毛高原ではなく、高崎に車を置いたのは帰りに吉沢恵介氏の作陶展を前橋スズランに見に行く予定があったから。混み合う夕方の時間だったけど無事千代田町駐車場に入場。案内を貰っても行けないことの多い展示会だけど楽しみにしている。今回は手のひらに乗るようなお雛様やうさぎの餅つきやお相撲などの作品があってかわいかった。
 これで私の冬休みは終わり。バイトが始まるまでに頑張って掃除しなくては。





2004/11/29 変化

ふじの発送がぼちぼち始まり、外の仕事が暖かさに後押しされて進んでいるので順調と言ったところ。
 林檎亭で、年賀状の準備に、今年一年の宅配の伝票を50音順に並べる作業をしていると、いつものお客さんが到来した。今日はこどもを摺渕まで迎えに行かなくてはならなかったので30分くらいしか話せなかったけど時間が許せば2時間くらいはとりとめもなく話してしまう。今日も短い間に片品、沼田周辺のネット販売事情やら血液型と性格の相関関係やら情報交換をした。
 実は私はタバコが苦手。吸い殻が入っているゴミ箱のふたが少し開いていても気になって仕方がなかった。ところが最近お客さんの残していった灰皿を片づけないまま何日も置いても平気になっている。慣れは怖ろしい。




2004/11/12 反省

今年は野菜が最悪だった。白菜もキャベツも大根も播けば穫れるものと思っていたがどれもダメだった。
世間でもそうとう高値になっているからきっと全国的に悪いのだろう。私の作ったものではキュウリが早く終わってしまい、芽キャベツは一つも穫れず終い茄子も世話ができずカボチャも播いてみただけというのがあった。夏の草のひどい時期にとうもろこしに追われ草むしりが間に合わずいろいろダメにしてしまった。
去年悪夢だったミニトマトはまあまあ良かったし、イタリアントマトも様子がわかった。プルーンやりんごのジャムも作って手応えがあった。今年の失敗を活かして来年の計画を立てたい。



2004/9/11 私の手足

8月18日にパソコンが壊れた。それまでのデータが飛び顧客情報は1からやり直しとなった。頼みのソフトの開発者は夏休みで連絡が付かずその間もとうもろこしの注文はどんどん入ってくる。そうとうパニックになった。結局かねてから予定していた仕事専門でネットに繋がないパソコンを購入。21日頃からは気分も新しく再出発となりました。
さらに春先に主人が当て逃げされ、つぶれたまま乗っていた軽四輪を、だめ押しの如く私が自損事故を起こし、とうとう板金に出したところ新車のようになって帰ってきました。
私にとって手足とも言えるこのふたつが新しくなったことで秋も頑張って働く意欲がわいてきました。春からこっちやって来たこと、やろうと思いながらできなかったことの結果を見る秋です。播いた種が言葉どおり刈り取れるように。



2004/7/29 夏到来

 林檎亭便りの発送が、なんとかとうもろこしの収穫までに間に合わせられた。一段目が終わって二段目が色づくまでの端境期だったトマトがようやく色がつきはじめ、お待たせしていた皆さんに発送できそうになってきた。店の周りでは朝顔があちこちで咲き始め、変種のサルビアも色がついてきた。
 ご愛顧いただきましたジュースはしばらくお休みなので箱を片づけ、かわりにトマトの箱詰めができるように作業台を用意。気の早いプルーンが食べられそうになってきたし、黄色いミニトマトもやっと食べられそうです。
いよいよ収穫に追われる夏がやってきました。



2004/6/24 意見の相違

 考えの違う人間が一緒に仕事をするのは大変だ。それはどこでもそう。相違点が基本に近ければ近いほど共同作業は難しい。今朝の意見交換で相違点が浮き彫りになった。忙しいときは早起きをするという点では意見は一致している。私のそれがおよそ5時であるのにたいして主人の基準は7時だということ。起きるか起きないかではなく五時に起きて仕事をしているとき私が「当たり前」と思っているのにたいして主人は「これは凄いことだ」と思っている。
 ただ早くでて夕方早くしまう姑と、遅くでていつまでも帰らない主人の間に挟まれていたのを最近は自分のペースを見つけるようにしているので当初に比べるとまあ良いとすべきか。



2004/6/19 育つ

 トマトの管理をしていると最低温度が知りたくなる。5月の連休など昼間は暑い日に限って、夜間は温度が下がる。放射冷却が手伝って、遅霜が降りるのがこの時期だ。今年はとうとう最高最低温度計を買ってきた。朝行くと明け方どこまで気温が下がったかがわかる。昼間は25度にもなるのに夜間、5度なんて事もしばしばあった。それがここに来て10度を下回ることがなくなった。そうしたらいろいろなものが育ち始めた。ジャガイモの花が咲き、露地に植えた料理用トマトもすっかり根付いたらしく、はっぱに色がでてきた。いろいろ植えたカボチャは蔓を伸ばし始め、ズッキーニは小さい実を持った。遅くなったが花豆以外にも欲しいと思って播いたいろいろな豆も芽を出した。茄子も育ち始めた。もちろんりんごやトウモロコシも。いよいよ季節は夏至。育っていくいろいろなものが少しずつ実り始める。トトロにでてきたさつきの名台詞、「畑って宝の山みたいね。」そう言いながらキュウリにかじりつくのも、もう少しです。



2004/6/2  目標

 去年のトマトの成績はさんざんだった。気候も悪かった。雨ばかり降っていた。黄色いミニトマトは美味しかったが収穫しきれなかった。最盛期には朝取り野菜も終わっていた。露地に作った料理用トマトは世話も収穫も思うに任せず途中で投げ出したような格好だった。それで去年の反省は「世話できないほど作らない」ことだった。今年のミニトマトの種はなぜかあんまり袋にはいっていなかった。料理用トマトの方も選ってしまった。なんとか一つもムダにしないように収穫したいと思っている。
昨日、一昨日とハウスの針金を縛り直した。今日、ハウスの中にキュウリを定植したが、ピンと張った針金に誘引の紐を縛ったら妙に気合いが入った。


2004/5/27  突っ込み一日

恒例の婦人会の旅行に今年も行ってきました。行き先は「竹芝桟橋からのランチクルーズと宝塚星組公演」です。
何を思ったのか前日寝付けず、朝は寝過ごして目が覚めたのが出発20分前。何とも慌ただしい出発でした。終日小雨模様でせっかくのクルーズも見晴らしは最悪。羽田を飛び立った飛行機もアッと言う間にまっ黒な雲の中。宝塚の感想は他に書きましたが、他にもいろいろ思うところがありました。日曜日とはいえP.Aはびっしり。施設に入る前に並んでいる屋台からいい匂いがして、食欲をそそります。今回三芳ではトマトとキュウリが味噌か塩が付いて一個100円でした。いくらで仕入れたキュウリなのかすごい利益率だと思いました。場所代が高いのか。冷たくした水に浮かんでいると確かに美味しそうですが。バスの中でコーヒーを配ってくれました。お砂糖がユニマットの包装で上の所にCUT HEREと書いてありました。このくらいの英語は誰にも解るようになったということなのか。
しかしこの日の最大の出来事はある人から言われた他意のない一言でした。「典子さんが白髪を染めないのはなにかこだわりがあるんですか。」朝一番にこうきかれました。「う、自分では見えないから気にならないんですけどおかしいですか。」そういえば今回参加した菅沼婦人会の面々は全員私より年上ですが髪を染めていない人は一人もいないの・・・かな。



2004/5/21 

 ジャガイモを、今年は初めて一人で植えた。ジャガイモを植えるのは姑の仕事で、何年か前は「大変だ、大変だ」と言われながら、種芋とクワを畑に運んでやるだけで、手伝わなかった。一昨年だったか姑が白内障の手術でこの時期入院していて主人と貴泰と三人で植えたことがあった。この時は私は芋を並べるだけで土寄せは主人がやった。去年は姑はちょうど定期的に行く医者の日だったか私が播き始めたら帰ってきてクワで土をかけた。今年もサクは主人が機械で切ってくれたのでその後を一人でやったのだがクワで土を寄せるのは初めてだったのではえてくるまで心配だった。
おかげさまで今日見たら揃って生えてました。このページに写真を載せるのは初めてです。



5月に台風とは季節を先取りするにも程があると思います。摘果をはじめてから毎日雨ばかりで思うように進みません。合羽を着てても袖口から濡れるので腕がすっかり冷え切ってます。今は被害がないようにと願うばかりです。


2004/5/16 吉原選手


 
努力というのが必ず報われるとは限らないと思うけど、韓国戦をストレート勝ちした日本はすごかった。翌日、布団からなかなか出たくない自分を「全日本の選手だって毎日の努力の積み重ねが昨日の結果に繋がったんだ。」と奮い起こすくらい、印象に残った。特に吉原選手がすごい。佐々木選手や大山、高橋両選手、またトスを確実に上げる竹下選手もすごいけどやっぱり吉原選手の険しい顔を見るとすっごい気迫を感じる。今回の日本女子バレーにはまったく励まされています。
 ニュースでも少し前まではスポーツニュースを飛ばしてみていたけれど、最近は夢を実現していく多くの日本選手の活躍が楽しみではずせなくなりました。こういう楽しみ方があったのか、という感じです。



2004/5/1  ドラマに一考

ずっと書こうと思っていたことがある。この正月からやっていたドラマのことだ。スマップの剛が主役でとってもかわいい凛ちゃんを一人で育て始める話「僕と彼女と彼女の生きる道」を大体欠かさずみていた。銀行の営業マンで家庭を顧みずに働く男が妻に去られて子どもと向き合うのだが、今の仕事では子どもを育てられないと考え転職する。そこで疑問だ。なかなか良いマンションに住んでいるのだがあの年でローンは終わっているのだろうか。もしそれが残っていたらそう簡単に転職に踏み切れないと思う。もう一つ。素敵なキッチンにたくさんグリーンが飾られているのだがみな生き生きとしている。奥さんが出ていってしばらくはそんな余裕は無かったと思うのだが時々来た義母や家庭教師が水をやっていたのか。スーパーで葡萄パンを買うところがよくでてきたがビールを重たく下げているところは出てこないのに冷蔵庫にはいつもビールがいっぱい入っているのも不思議だった。結構感動したけれどいまひとつ生活感のないドラマだった。
今は「離婚弁護士」を見ている。こちらは舞台が事務所なのであまり疑問はない。自然に虚構だと解る作りになっている。



2004/4/26  百姓はバクチ

天気予報に敏感になっている。遅霜の警報、風の向きや強さ。一昨日昨日と雪が降った。リンゴにどういう影響があるかはまだ解らない。10年くらい前、婦人会の役員で5月5日に老人を役場に引率したときも朝、雪が積もっていた。その事は印象に残っているがそんなに遅い低温でリンゴがどうなったかはまったく覚えていない。
今年は桜の咲くのが早い。2,3年前にもこういう年があった。GWにリンゴが咲いたことが。今年もそうなるかもしれない。でもあの年も開花が早かったと言ってもりんごが熟すのは早くなかったのを覚えている。
去年は夏に日があたらずいろいろな作物が不作だった。そういえば大豆の価格が高騰して豆腐屋さんも大変らしい。
うちでいえば夏に来た一つの台風にやられてとうもろこしの収量が少なかった。リンゴはともかくトマトも最悪だった。今年はどんな天気がやってくるんだろう。やれるだけのことをやってあとは天に任せるしかない。今年もまた一年をかけた大バクチが始まる。


2004/3/8  パスポートセンター

 長男は今年の秋に高校の修学旅行で中国に行くらしい。ついては個人でパスポートを取得するようにと学校から用紙が配られてもう三カ月ほど経っている。それで入試で在校生が休みの今日を利用してパスポートセンターにいってきた。記入も「自著」とあるとこ以外は書いてやれという主人を無視して全部彼に書かせた。パスポートをとるなんて難しい事じゃあないけど、注意しなくちゃならないことがあったり二度手間にしないために確認を怠らないことを学んで欲しかった。初めは私が一人で行こうかと思っていたが何か不備があったら二人で行った方が対処できるかと思い連れていった。結局、係の人は主に彼に質問し私は単に付き添いだった。耕介という名前のUという標記はないのでKOSUKEにするか、KOHSUKEにするかを聞かれた。今回決めたことが一生更新の度継続されると言われ本人を連れてきて善かったと思った。
勉強は学校でやるのは少しだと思っている。大半は社会に出てから学ぶことになる。昨日の朝はうっすらと積もった雪にスキーヤーたちが道の端でチェーンを巻いていた。どのくらいやっていたのか知らないが私が通ったとき五人ぐらいで「やった」「できた」と喜んでいた。できなかったことができると嬉しいものだ。そんな彼らをみながら思い出した。免許を取って初めての冬、まだスパイクに履き替える前に雪が降ってチェーンを巻いた。たぶん会社のだれかが巻いてくれたんだろう。午後になって雪が溶けチェーンをはずすことになった。現場から帰ってきた一年先輩の現場監督がはずしているのを見て「これもはずして」と言ったら、「教えてやるから自分でやってみな。」と言われた。記憶というのはおかしなものでそのときの上目遣いのその人の顔までハッキリ思い出した。



2004/2/9/ 若者のきまぐれ

 高校一年の長男は朝6時半のバスに乗る。家を20分には出なければならない。それには、おそくとも6時には起きなければならないがいつもは6時に起こしに行って、もう一度起こしに行かなければ起きない。それが今朝は、5時55分に降りてきてまだ用意できていない朝食にかぶりついた。一時間ほど前に起きて勉強していたという。いつもは食べたものは出しっぱなし、靴下だけを洗濯物の中から引っぱり出して支度に行くのに皿からコップから流しに運んだ。出かけようというときにはたまっていた通信講座の答案を封筒に一杯入れてきて出しておいてくれと言う。バス停までの2,3分ですら寝入ってしまい、「ついたぞ」と起こしたりする日課に反して、再来年のセンター試験に向けて科目の選択について熱く話ながらバス停に向かった。
 うーん、私も覚えがあるなあ。いつもはできない早起き何ぞをして妙に勉強がはかどったりした日は、やたらハイになって自分にできないことはないような、そんな気分になったもの。もちろん二日は続かなくて寝不足で気持ち悪くなったりするのがおちなんだ。若いって良いなあ。そんな朝でした。



2004/2/7  冬を楽しむ

 ビールを飲んで寝てしまった主人の代わりにサエラにライトアップの写真を撮りに行ってきた。もっとも写真を撮るのは私ではなく貴泰で私は運転手ですが。今年始めてのサエラはなかなかきれいでした。土曜の夜だということで8時を廻っていましたがゲレンデにはまだ多くのスキーヤー、ボーダーが楽しんでいました。サエラの新しい名所は雪が吹き付けられた三角柱とカマクラです。カマクラの中にはテーブルと椅子が置かれなかなかいい感じです。始まったばかりのDJカフェというのは真っ暗で音量ガンガンで私には入っていけませんでしたがその手前にあった屋台のような店でおしるこ(300えん)を買って食べました。おもちが妙に弾力がありました。やはりゲレンデコンディションは今が一番にいい時期でついスキーをはいてきたいなと思いました。
次は花の谷公園でやっているスノーアートコンテストです。年々作品の数も増えているようで今年は慣れてきたのか秀作が揃っているように感じました。見ていたら突然ライトアップが消され花火が始まりました。尾瀬大橋の辺ででもあげているのかあるいはもっと遠くであげているのか雪が舞い散る中で見る花火もなかなかよかったです。スキー産業はすっかり傾き民宿の宿泊客も減る一方のようですがようやく片品の人達も雪を楽しみ始めたか・・・という感じでした。ライトアップが再び点灯し越本の御神火祭の帰りの人達か会場はまた賑やかになってきました。9時迄というわけでしたが延長してお客さんがいる間は点けて置くから楽しんでいって下さいとアナウンスが流れました。



2004/2/2  休日

今日は節分を迎えるには似つかわしい牡丹雪の降る一日でした。主人の記憶では二月ならまだもっと冬の雪が降っていいそうです。季節が少しずつずれているのでしょうか。 
スカーペッタシリーズの最新作「黒蠅」を読みました。一線を退いてしまった主人公やルーシーはチョット情けないようです。ファンには怒られるかもしれませんがイメージが湧かない作品になってきてるみたいです。だいたいわたしは始めにラストシーンを読んでベントンが生きているところを発見してしまい、今までのケイの悩みは、苦しみは何だったのかと思いながら全編を読んだので失敗でした。
コナンが何年一年生をやってても、のび太が二十年来五年生を続けてても少しも気にならないのですがケイ・スカーペッタが事件と共に年をとっていかないのがちょっと不満です。
「ハリー・ポッター」の最新作は今年の秋に発刊が伸び、価格が未定のまま予約をしてきました。スタジオ・ジプリの「ハウルの動く城」も封切りが伸びました。それまで楽しみが伸びたことにして生きていくことに致しましょう。



2004/1/29 冬来たりなば

雪道の運転にも慣れてきて、心配した子どもの早朝の送りもなんとかこなせて、季節は節分を迎えようとしています。
吹雪の中、ワイパーでかききれないような朝は一度だけでした。一晩にうんと積もって車が車庫から出せないのではと思ったのは一度だけでした。雪が原因でバスに遅れるというのは今のところありません。それ以外の原因でもありませんけど。
夕方、五時になっても外が明るくて春が近いんだなと感じます。雪も心なしか春の雪になってきました。もうすぐ、日溜まりでは雪が消えてチューリップに先駆けてクロッカスやチオノドグサが芽を出すでしょう。今の楽しみは去年ネットで種を買ったので送られてきたT&M社とサカタの種のカタログをめくってあれこれ思いを巡らすことです。ことしはどんな花で林檎亭の周りを埋めましょう。ハーブも今年はチョット違う感じにしたいと思っています。野菜にも力を入れたいと思っています。計画の季節です。



2004/1/22 春暁

今日は木曜日。バイトは休み。ちょうど重なった中学校の一日学校参観日に行く。予定表を見て、4時間目の国語を見に行くといったら貴泰が「テストが返ってくるだけだ。」と言ったが主人があれほど褒める佐藤先生の授業を見にいった。テストは返ってきたがその後は漢詩の「春暁」の授業で、なんか得した気分だった。佐藤先生は黒板の字が上手い。特に「春」の「人」が左右に跳ね上がっていて実に春らしい。春眠暁を覚えず、処処に啼鳥を聞く。夜来風雨の声、花落つることを知る多少ぞ。
前からこの最後の行の意味を納得できないでいたが、佐藤先生が「布団からでないで、戸も閉めたまま、鳥の声を聞きながら、夕べからの風と雨でどのくらい花が散ったかなあ、と考えているんだ」とおっしゃって納得できた。
2年1組は大変静かに授業を受けていました。何人かスキーの大会に行っていて空席がありました。この授業を聴けないなんて残念だと思いました。最後に日直の号令で起立礼をしましたが、小さい声で「ありがとうございました」と言いました。あんまり目立つと「次から来るな」と息子に言われるので。



2004/1/15 小正月

片品に来て驚いたことの一つに除雪の良さがあげられます。沼田では雪が降ると通勤の車が通ったあとに除雪が動き出すのでもう踏み固められていて全然除雪できません。年末年始の休み中に大雪が降ろうものなら、正月の七日頃になってようやくブルが入る道もあるほどでした。片品では再三言ってますが、降り始めれば真夜中でも除雪するので雪がさらさらのうちに道端に寄せられ、次の日にはそれが吹き飛ばす機械で畑のほうに飛ばされ道幅が確保されます。住宅が続いているところでは吹き飛ばす機械の後ろをダンプが付いて歩いて雪を持ち去ります。観光客の為、スキー客のための除雪かもしれませんが生活のためにもまったく助かります。天気が変わって陽があたればもう乾いた路面が現れます。嫌な季節の冬も大雪の回数は一桁ですし、またこれで村の何割かが冬中の仕事を得ているわけですから、寒さを避ける家があって着るものがあって燃すものもあれば、文句は言えません。
北海道のほうは大変なことになっているようですが、片品も珍しく吹雪が二日続いています。いよいよ林檎亭も雪に埋まりました。
お豆腐やさんのほうは14日から前橋スズランで物産展が始まり忙しくなりました。お近くの方はお出かけ下さい。



2004/1/4 謹賀新年

いつも12月は憂鬱に過ぎていく。寒くなって、日が短くなって、雪など降って。バイトに行き始めると、林檎亭の年賀状書きの仕事が進まなくて。ちょうど強く降る雪の日に車で走ると上から下に降っているはずの雪が、ウィンドウ越しに自分に向かってきているように感じるのとおなじ。変な閉塞感に囚われる。それが冬至をやり過ごし、慌ただしく年末が過ぎるとやっとホッとする。片品ではずっと先だがニュースで東京に梅が咲いたなどと報じられると心も体も動き出す。もっとも本当に寒いのはこれからなんですが。
それもこんなに暖かい日が続くと、きちんと春が来るんだろうか、夏は暑くなるんだろうかと不安です。この冬はなんとか雪が間に合ったので各スキー場は営業できているようですが。
天候の不順も長い地球の歴史の中のほんの一瞬のことかもしれません。それでも一喜一憂してしまう。私はその程度の存在です。
トーフやさんにいても、うちに帰ってきても、私は私にできることをただやるしかないと感じています。そんな新年です。



2003/12/23 今年もあと一週間

ご無沙汰しています。星野典子です。なんとか元気でやっています。店を閉めて、ふじを収穫、萱を刈って、トマトを片づけ、お豆腐やさんのバイトに行き始めました。おぜドーフはますます従業員が増え、仕事は楽になりましたが、人に疲れます。
今年の反省は、とうもろこしが作柄が良くなかったこと。台風の影響で倒伏して収穫にいつもの倍の時間がかかり、収量も少なかったこと。その疲れをずーっと引きずっているように感じます。花も思うようにできず、ハーブもなげやりで、店に来たお客さんからは「お店の人が変わったんですか」ときかれる有様。まえならハーブを見せてほしいなんて言われると、ハサミを持って草を踏み分けて摘んであげたのに。トマトも夏の長雨で管理がうまくいかず、ジャングルのようになってしまった。
来年は、トマトの周りを寒冷紗で覆って虫の侵入を防ぐようにすること、トマトやピーマン、出荷用のハーブなどは手が回るだけ植えること。芽が出るとついつい間引けなくて全部鉢上げしてしまうから結局管理も大変だし植えても世話ができなくて無駄にしてしまう。もっと計画を練って自分の力と時間の範囲をわきまえること。
良かったことがない訳じゃあない。クッキングトマトもイエローミニトマトも好評で、ミディトマトもとっても美味しかった。来年はハウスの中に少しだけ作ろうと思う。そして最後の一つまでちゃんと育てよう。



2003/10/14 連休の反省

10月の三連休が終わった。毎日、朝食前に野菜を穫っておくという目標は達成したが、何かと悔いを残す三日間だった。お客様が買っておいてお忘れになったものが一昨日がキャベツ一つ。今日はブロッコリー2つにとうもろこし五本。お客様を送り出す時に何か忘れ物がないかを確認するはずなのにそれを忘れ、荷物がいくつかに分かれるとそのまま置いていってしまうことがあります。
今日は10時頃から土砂降りの雨。その中をリンゴ狩りをしたいと何組かの方が訪ねて下さいました。それがちょうど一度に重なって用意してある傘も足らなくなり、店の中も何組ものお客様でごったがえし、一組のお客様が入園料を払いながら、やっぱりキャンセルして帰ってしまわれました。もっと傘があったら、こちらに余裕があってとりあえず待っていただけたら良かったのに。あのお客様がどこかで良い休日が過ごせたことを祈るばかりです。
あんまり雨が降っていると、「もいできて店の中で召し上がりますか」なんて言ってしまうが、主人は「お客様に任せればいいのでこっちできめることじゃあない」と私が言うそばから反対のことを言い出すのでそういうときどうして良いかわからなくなり、お客様の応対は主人に任せたくなる。さらにやっぱり一度にたくさんのお客様が来るとこちらの受け入れ態勢が万全でないのを感じる。
それでもはじめた頃から比べればだいぶパニクら無くなったのですが。
これからが本当は最盛期。おきゃくさまが帰る前の忘れ物の確認、混み合った時も落ち着いて一人一人に対応できるように。仕事はなるべく間に合わせておくようにしなくては。

2003/9/15  夢

一昨日、翌日の市場出荷がないので久しぶりに早く寝ることにした。注文も少なかったので、伝票(送り状)は朝作るから・・・と言い置いて早々に寝た。ところが、朝まで約九時間ずっと(のわけはないらしいが)一つ夢を見ていた。伝票が間違っていたり間に合わなくて送れない夢だった。朝起きて、こんな事なら伝票を作ってから寝たら良かったと後悔。おまけに夢の中では普段気になっていたのか「帽子が汚い」とか「エプロンが古い」とかお客さんに言われている姿が。
このところミスも続いているのでそうとう潜在意識とやらが気に病んでいるのだろう。今日も又、居眠りしながら伝票をつくっている。



2003/9/10 自尊心

私がこどもの頃は「自尊心」と「高慢」は同じものだった。持ってはいけないものだった。劣等感を感じているといえばそれは「優越感の裏返しだ」と責められた時代だった。つまり黙っていてもそれは身に付く物だったから、過剰に持っていたら隠していたのだろう。
ところがそれは一時代前の話で、たぶん敗戦を境くらいにみんな自尊心を失っっていたのだ。だから大人達も繰り返しスマップの歌を歌って自分にはみんなにない物がある。じぶんはこれでいいんだ。と言い聞かせようとしている。大人達がそれだからこどもはもっと自尊心がない。「お金が欲しいな」と思っているところに自分にお金になる物があると気付くとさっさと売り渡してしまう。それが若さだったり、幼さだったりをまた買う大人がいるのも現実だ。
身近にそういう話を聴くと実際どうして良いかわからない。こどもたちに言葉で「自分を大切にしてくれ」といっても説得力はない。親がどれほど大切に思っているかを伝えるしかないけれど、忙しくて弁当は手のこんだ物は作れないし、昼間はいないので天気がいいからとまめに布団も干せない。どうやったらこどもたちに親の気持ちを伝えられるんだろう。それができれば道を誤らずにすむと思うのだけれど。



2003/8/6 変わらないもの

 貴泰と一緒にドラマを見るのが私のささやかな楽しみ。今は、木曜日に「Dr.コトー」、金曜日に「金曜時代劇。茂七捕物控」、土曜日に「ER」を見ている。この前の「Dr.コトー」は面白かった。前の週からの続きで島にゴミ処理場を造ろうとやって来た、代議士が尿道結石になる。そこになぜか医者の卵の彼の娘がいてゆっくり休ませたいためにもっとむづかしい病気であるかのように芝居をうつ。
コトー先生は嘘を暴くでもなく、しゃしゃりでるでもなく淡々と自分の仕事をこなす。その姿勢が代議士に美しい自然を破壊することを思いとどまらせる。「世の中には変わっていくものとそうでないものとがある。この島には変わって欲しくない。」「いつか変わらないことが価値になるときが来る。」コトー先生のセリフ。ビデオに録画していたわけではないので正確ではないかもしれないけど、こんな感じだった。
吉岡君はいい役貰ったよね。中島みゆきの歌をバックに自転車なんかこいじゃって。・・・鈍感だなあその位わかるだろう。・・・などと勝手な突っ込みを入れながらふたりで見ている。
日本人は日本列島をどんどんいじってどんどん変えてしまってから変わってないものを懐かしむために探している。おかしな民族だと思います。



2003/7/29  朝取り野菜

今年も朝取り野菜の出荷が22日から始まり、たくさんの生産者が出荷を始めました。今年から新しく始めた人も多く、農家ではない人も自家用野菜を作っている人が頑張って早起きで袋に詰めて持ってきます。出荷するスーパーの数も増え、この人はこちら、この人はあちらと農協の担当者が振り分けるのもたいへんです。トマトセンターの広い入り口のこちらから車で入り、通りながら検査して貰い、決められた場所へ降ろします。当番があって私も日曜に出ました。ハーブを出す人、新しい生で食べるカボチャの「コリンキー」を持ってきた人、同じズッキーニでも一本100円の人、二本で100円の人、三本入れて150円の人など思い思いに荷造りするのが朝取り野菜です。
実は、寝不足で出た当番で、車がどんどん繋がってしまい急いで降ろそうとして軽トラの荷台に近づいたところ、その車がもう少し前進した為、後輪が私の左足指の上を通過しました。幸い空気圧が少ないタイヤだったのか痛みもなく、長靴の中で指も動いたので黙っていました。気が付いた同じ当番の人は驚いたと思います。慣れない作業は思いもかけないところでケガをすることがあると思いました。
これからは特に寝不足に注意しなくてはなりません。
今日の朝は畑に出たらだんだん霧が晴れてまるで宮崎アニメのワンシーンを見るようでした。レタスや大根を作っている人が二時や三時から仕事をしているのを見るとちょっとソワソワします。



2003/7/24  複合経営

 今年、農業改良普及所利根出張所に配属された果樹の担当の後藤さんが、林檎やは女の人が勉強しなければダメだ、という考えでアップルカレッジという企画をたてて、今日はその二回目。リンゴにブルーベリーなどの果樹を加えた複合経営をしている農家を視察しました。どちらも後継者がはいったばかりの元気なリンゴやさんです。ブルーベリーが今盛んで忙しそうでした。はじめに行った白沢の農家では広い敷地にリンゴ、ブルーベリーだけでなく、プルーン、梅、桃、いろいろ植わっていて、犬に、鶏、ヤギもいて「いいなー」という感じ。ずっと前にファームイン(体験型農家民宿)の講座を受けたとき、欧州ではファームインの資格には動物がいることが決まりになっていると学んだことを思い出しました。
川場村の農家はどこも傾斜地でしたがその傾斜がブルーベリーのためによかったようでした。それは金儲けのためでなくリンゴに繋げるためにやっていると言ってました。
観光農園の場合、「場所」ということをよく問題にしますがそれが響くのははじめの2年くらいだと思いました。今日行った農家の人もはじめはお客さんは少なくて3年目くらいから増えてきたそうです。ここはすごく「場所がいい」店なんですけど。うちも思い出すと本当にはじめの二年は店番してるのが嫌になるくらいお客さんが来なくて、そのあとだんだん来てくれるようになりました。あのころの「うれしい」気持ちを思いださなければなりません。
今日は何日かぶりの晴れで、「お昼をみんなで」という誘いを断ってみんなそれぞれ仕事に戻りました。きっと早く自分の畑に行きたかったんだと思います。そんな研修でした。



2003/7/18   明日から夏休み

今日で学校は一学期が終わり、こどもたちは夏休みに入ります。高校は二期制なのでまだ通信簿は来ません。休みに入っても補習が一週間続くのでまだ早起きしなくてはなりません。それにしても三ヶ月ちょっと「よくお弁当作れたな」と、当たり前、誰でもやってることかもしれないけど自分にビックリしています。一日も遅れたこともなかったし。二十年以上前、自分が高校に行っているときはこんなに早く起きなかったし、いつもギリギリに自転車をこいでいた。一応、三年間皆勤だったけど、今のように遊ぶところもなかったから、家を出たら学校行くしか選択肢はなかったし。じつは5月にはこの意気込みが体調を狂わせて、「更年期」を疑ったりしたけれど間違いだった。
昨日、白沢のアライ・トマト・ランドがオープンの日だったので行ってきた。ステビアを取り入れた栽培で成果を上げていた。奥さんは利根商の野球部の負けたことにガッカリしていたけど、トマトやキュウリ、スイカにタマネギ、バジルにイアタリアントマトいろいろ見せて貰って勉強になった。いつもは話さないご主人が農薬散布のことや、ステビアの利用について話してくれた。トマト栽培を長く続けていて、ただ続けるだけでなくいろいろ考えてやっていて羨ましかった。奥さんがこどもの事やらなにやらに時間を取られても、このご主人がしっかり後ろ盾になってるんだなと感じた。初日にもかかわらず私がいたほんの30分ほどの間にも次々お客さんが訪れていた。ここに行くと「私もがんばんなきゃ」と自然に思う。



2003/6/24  越後ワイン・ワイナリー  

片品生活改善グループ連絡会の研修で新潟の大和町にある第三セクターのワイナリーと湯沢町のアルプの里に行ってきました。
浦佐の駅前に田中角栄の大きな銅像がありました。そこから二分くらいでワイナリー。そこでは葡萄の生産から貯蔵、加工、瓶詰め、販売、さらにレストランの経営までが一体化されて経営されていた。冬の間3メートルも積もる雪を利用した貯蔵施設は他にはみられない工夫とその土地の特性を見事に生かした方法で、冷やすために電力を使わない画期的な施設だった。さらに地産地消の考え方からレストランでつかう茄子やピーマンまで敷地内で作ってしまう徹底ぶりでした。平日だというのに65席のレストランはほぼ満席状態。公園全体はまだ工事中でしたが群馬ならフラワーパークのような規模の施設になるようでした。
オープンして三年目ですでに返済がほぼ終わり、確実な黒字経営が続いているのは、人の姿が少ないところにも理由があるように思われました。帰りに寄ったアルプの里は湯沢町のスキー場の夏の利用方法として山頂付近に湿地帯やロックガーデンを整備して花を植えゴンドラを動かして集客に努めている施設でした。めずらしいヒマラヤに咲く青いケシがちょうど花をつけていました。風が強かったけどとっても花の種類が多くて見応えがありました。

ことしは林檎亭もただリンゴを買いにきてもらうだけでなく何かゆっくり楽しんでもらうことができないかと思っています。
そんなことでいろいろ参考になる研修でした。



2003/6/18  XP

昨年の春、伝票の作成に必要だということで新しいパソコンを入れた。当時とすれば画期的な無線LANをつないで使っている。ところが正直な話私は新しいパソコンを使いこなせてはいない。単に宅急便の伝票だけをファイルから取り出し印刷するという作業に限っては早くできるようになったが新しいパソコンのワードやエクセルは使えてないし、だいたい新しいファイルを作ったり、フォルダにまとめたりというのができない。やっていない。だからいつでもワクワクというより、ドキドキしながらパソコンをいじっている。やらなくて良いときはなるべくやりたくないとも思っている。これだからいろいろな仕事が後回しなんだ。結局時間切れになって慌てるんだ。そしてイライラして貴泰につけがいく。これはまずい、今日から始めよう。新しいパソコンとの仲良し作戦を。



2003/6/12  スランプ

夏に向かって仕事の準備を始めなくてはいけないのにパソコンのまわりは洗濯物の山。畳まれてもそこから家中の人が着替えを持っていく。つまり問題はタンスの不足にあるのだ。と子供のタンスを片づけ。こどもはドンドン大きくなっているのに小さいサイズのTシャツなどが捨てられない。「これを着ていたときは可愛かったのに・・・」という思いが手にしたものをまた引き出しに戻していた。気合いを入れ直して袋に入れる。
姑は「林檎が埒があかない」という。そうかなあ、結構進んでると思うけど。とうもろこし蒔きが主人一人でできるので私も林檎の仕事ができてるし。と、出かけようと思ったら目に付いた読んで広げたままの新聞、飲んだままの空き缶、空になったペットボトル、机に出たままの電話を片づけている。朝、耕介を起こしてバスまで送っていくので、いつもなら5時から7時頃までできていた一仕事ができない。朝飯と弁当を用意して畑に行き時間に携帯にかけて起こしたことが一度あったが、やっぱり心配で帰ってきてしまった。夜は疲れて、ただ子供の塾の送り迎えのために眠ることもできず、塾のない日は次の朝起きるためだけに早く寝る。これではいつ伝票などの仕事をしたら良いんだ。
私の焦りをよそにマイペースを守る主人は、朝はゆっくり、「その分」と言って夕方は7時頃まで畑にいる。ほこりになったからと風呂に入ってサッパリ、ビールを飲んでパソコンに向かう。それでは待ちきれない子供と姑は一足先に夕飯。主人と一緒に食べられない姑はいつもお冠。
朝、洗濯物がバカに紙屑だらけだと思っていると主人のポケットから競輪の出走表らしいプリントした紙が。他のことで忙しくてもこれを忘れないなんてエライというか何というか。

松井もスランプをぬけたらしいし、そろそろ復活しなくっちゃ。



2003/5/20 ジョルジュ・ルオー

 先週の金曜日に地域の婦人会の春の旅行に参加して、東京に行って来た。銀座で早いお昼を食べて、芸術座で泉ピン子の芝居を見物。そのあとカレッタ汐留でショッピングという日程だ。インターネットをこのさいうんと活用して、自由時間の一時間半を無駄にしないようにと、前の日になってカレッタを検索。ところが、パソコンの画面の日本語に切り換えるところをいくらクリックしても受け付けず、「カレッタ」という語句を入力できない。しかたなく英語のままで検索をかけたところ、カレッタ汐留の前にある松下電工のNAISショウルームの上の階にあるルオーの美術館の案内が出てきた。ルオーの作品はあちこちで見かけるがそればかりが並んでいるのをみたことがないので自由時間になり次第ここへ行くことに。
当日はネットで伊勢エビ料理の店と調べていっただけに地味な昼食にちょっとガッカリして、主人から「商業演劇をバカにしてはいけない。」と言われて一応寝ないように気を入れてかかった舞台は、暗転時間が長いのと演じる人の年齢にちょっと無理を感じる以外はまあまあ面白くて、京唄子が次々早変わりで歌を歌うところはこれで元は取ったという感じ。自分で行ったら歩いて回るような範囲を渋滞の道路を楽しみながらバスは汐留へ。婦人会の皆さんと別れて二人で松下電工ビルへ。ルオーの作品が初期の暗い色使いから晩年の明るい色使いに変わっていく様子をじっくり見た。単純とも思われる画面の構成や、繰り返し使われる構図に力強いものを感じた。別室にかかっていた常設展示も良かった。ところで松下電工のショウルームも驚きだったが、最新のビルというのはこういうものかとビックリした。エスカレーターで美術展の階から降りてこようとしたら壁だと思っていたところが突然開いて人が出てきた。多分そこはオフィスなんだろう。社内の人は皆首から社員証を下げていて、アメリカの映画にでも紛れ込んだような気分だった。カレッタ汐留に戻ってネスカフェの看板のコーヒーやに入ったらネットカフェだった。集合時間がくるので待ち合わせ場所に行こうと出口に向かったら「ここからは電通の社員しか入れません」と言われグルっと回ることになった。表示が親切でない。新しくて警備員がいっぱいでホームレスなんていなくてまた「ここにだけいたらじぶんがえらくなったような」気のする街だった。
翌日、花摘みをしながらラジオを聞いていたら茨木のり子さんの詩が朗読された中に「ルオーじいさんのように」という一節が出てきた。
妙に親近感が持てた。今度はいつのお出かけを楽しみに仕事をしようかな。もっとも仕事は仕事で楽しんだけど。



2003/5/7 再セットアップ

わー気がつかないでいたら、一ヶ月たってしまっている。それにしても慌ただしい一ヶ月だった。耕介の高校入学に伴って、自分で心配していた早起きとお弁当作りがなんとか軌道に乗り始めてほっと一息。朝の六時10分に家を出て夕方六時半頃帰ってくるサイクルにようやく慣れはじめた。豆腐屋のバイトの間眠くて、六時半に起きるのがぐずぐずしていたというのに、学校が始まったその日から五時半前に起きられるこの現金さ。自分ながらあきれる。それでもはじめのうちは一日のエネルギーを全て朝の一時間に使い果たした感じだったが、リンゴの花も咲き始めるし、トマトも大きくなるしで仕事も本気にならなくては。
ところが実家のパソコンがどうも固まりやすくなってしまい雨の降った日にいってみたところ、再セットアップしないとダメらしいということになった。それ自体は難しいこともなくできたのだが、小さいパソコンで大した仕事はしてないからと高をくくったのが大間違い。インターネットは繋がらない。プロバイダに電話したらフレッツで設定するようにとのこと。そうだった。そこでフレッツの設定の手順に従ってやり直したけど繋がらない。NTTに電話してどうやらモデムがインストールされていないというところにたどりつく。モデムをインストールしなおしてようやくインターネットに繋がったところで夕方の五時。朝からやってこれだもの。ホームページをプロバイダのファイルから落とすのは次回に回して帰って生きた。
そしてG.W.のある日の夜。貴泰を連れて続きをやりに泊まりの準備をしていく。ここで父からマウスがおかしいという訴え。そこでマウスなしでパソコンを使うのが得意な貴泰にビルダーをインストールして貰いながらマウスを解体して掃除をした。昔ながらのボールのマウスの中はほこりでべとべと。それをとって電池を交換してマウスも復活。小さいながらも一応実家の宣伝に一役買っているH.P.をプロバイダのサーバーから移して・・・ここで何故か繋がらず月夜野の「フエタモシステム」の原沢さんに夜分のSOS。今年のとうもろこしの忙しさがはじまる前に原沢さんの開発した画期的な産直ソフトを使いこなせるようにならなくては・・・やっと繋がり移すのに30分ほど。あと一時間でERが始まるというとき、すでに貴泰は布団の上で読書三昧。うーん私だって本持ってきたのに・・・と思いつつ「あらきえちゃったのね」と言われた住所録を入力。
皆さん。日頃からどんな小さなデータでもバックアップをとりましょう。




2003/4/6  バグダッド制圧

尾瀬ドーフのバイトが先月いっぱいで終了。うちの仕事もあそこまで頑張ればしっかり間に合うという具合でバッチリ風邪をひく。頑張り過ぎなんだよね。なんか仕事があるとやっちゃうたちなんで、根っから貧乏性というかこれが血なんだから仕方がない。
春休みのこどもとお出かけはジブリ美術館。そのあと行きたかった江戸東京たてもの園。ジブリでバッジを買ってたてもの園でえど丸を買ってカバンにつけた。ことしはアイディンティティが一つの主題。集合時間を決めて自由行動にしたら耕介は秋葉原のDVDショップへ行ったらしい。貴泰はヤフーカフェ。子どもは私の手を離れた感が強い。そして主人は私の預かり知らぬ処へ。ここはひとつ自分は何をやりたいかをしっかりさせておかなくては。
連絡が遅くなっているのでオーナーさんから確認の電話やメールをいただく。今、準備してますからもう少しお待ちを。私もアコムのような電話の笑顔を実践しなくては。そのままではけっこう愛想ないし。



2003/3/19 開戦

14日に東京に行って来たのだが疲れて、始末記を書く元気がないまま日にちが過ぎてしまった。冬の間働いたのだから、一日は遊びに行こうと思っていた。午前中は仕事をして、13時32分上毛高原発の新幹線でまず恵比寿へ。H.P.で調べておいたおかげで真っ直ぐ恵比寿ガーデンプレイスに行くことができた。そこの三越の二階にあるバラクライングリッシュガーデンのショップが目的地。どんなところだろうとわくわくして一時間は見て回ろうと思っていたが、その広さ(狭さ)に愕然。こ、これだけ・・・。でも床いっぱいに苗を並べて売るわけにも行かないわな。イケダグリーンセンターじゃあないんだから。なんてったて恵比寿なんだし。そこで種の売場の前に座り込んであれやこれやと手にとってナスタチウム、ロベリア、カリフォルニアポピー、ストックと、種類はお馴染みながらいつもの種とはひと味違う袋にニンマリ。恵比寿はあとは何も見ないで真っ直ぐ新宿へ。紀伊国屋サザンシアターは初めてなので場所を確認。終演後に東京発22時24分の最終に間に合わなくてはならないので中央線快速の乗り場を良く覚えてからタイムズスクエアを通って、サザンシアターへ。制作の人が私が電話したときに主人を覚えていてくれたので心ばかりの生ドウフを届ける。こまつ座「人間合格」は太宰治よりも番頭さんが面白かった。梨本謙二郎はむかしNHKの朝の連ドラに出ていたときから好きだったし、松田洋治は昔々、長山藍子と石坂浩二が夫婦役だったときの子供役で出ていたときから見ているのでなんかみんなちゃんとやってるな・・・と思えて嬉しかった。
ちょうどホワイトデーだったので高島屋の一階はジュエリー売場にカップルがいっぱい。いつもながら東京に行くと不用意に歩きすぎるので疲れる。恵比寿だけを生活範囲にしていたら、自分が何者かわからなくなってしまうような造られた街。今回は下調べがよくて冒険は無し。アッという間の東京行きでした。
その前の日に買った宮部みゆきの「ブレイブストーリー」にはまりきってます。本当は「マークスの山」が文庫になって加筆されたと言うことで読みたい気持が半分。合田雄一郎につきあうのは疲れるからと尻込みしているのが半分。それに比べて宮部作品は気持が楽です。楽しいし。



2003/3/10  魂

 最近疲れているのか口数が多い。へんにテンションが高く危険な兆候。今年の目標は「魂」の事を考えることだったのにすっかり忘れている。昔、「小公女」を読んだとき、その中で意地悪ばっかりしている女の子に主人公が「あなたはもっと聖書をお読みになった方が良いと思います」と忠告する場面があった。何か知らないが水を浴びせられたように「ドキッ」とした。こども向けに訳された本だったから、あとで文庫のなかにその一節を探しても見つからなかったような覚えがある。
自分の魂をこれ以上おとしめるようなことになる前に口をつぐむことができますように。久しぶりに祈った。

雪が溶けた日には、チューリップの芽がのぞいている。


2003/2/20  私の至福の時

中学生の頃から決まって同じ気持ちになるシチュエーションがある。それは思う存分本屋の本棚の前に立っていた時。なんかお腹が満たされたような、満足感に浸る。別にたくさん買わなくてもいい。ただ本棚の前であれこれ手に取ってみたり、立ち読みしたり。
今日は本を買いに行こうと沼田に行った。戸田書店、文真堂と回ってブックAおみに行った。本屋の梯子だ。それぞれにいい点、不満な点はあるが本棚の前に立って、背表紙を眺めながらお気に入りの作家の新しい文庫を見つけたときなどはやったねと思う。新聞で紹介されていたそれほど売れ筋でもない本などを発見したときも「前橋まで行かなくてすんだ」とホッとする。
バック・トゥ・ザ・フューチャーは見なかったけどマイケル・J・フォックスは結構好きだった。けれど「どうして映画に出ないのかな」なんて思ってたらパーキンソン病だったと今日知った。文真堂で二位にランクしていた本が「ラッキーマン」というその闘病記で、初めだけ立ち読みした。
パトリシア・コーンウェルがどうして続編を出さないのかあるいは出しても訳されてないのかよくわからないけど今度出た本は単行本だ。



2003/2/12  徒らの由来

そろそろこのページもはじめて一年になります。それでこのタイトルの由来をここに載せておきます。又、この言葉が身にしみる昨今であるからです。ここに揚げるのは新潮選書の「風景との対話」(東山魁夷)の中からですが、著者は村上華岳の手記の中にこの一節を見つけ感銘を受けたと書いています。また私がこのタイトルを付けたときはヘッセの「シッダルタ」のなかに同じ主題の文があったように思って読み返しました。そこでは全体としてテーマになっていますが、どちらかというと「あるがまま」ということに重きがあるように感じました。いずれにしてもこうした中から出てきた「徒ら」です。
《岸にせせらぎの音を立てて流るる河水よ、お前は休みなしにどこへ行く、「私は海へ行く」海へ去ってそれからどうする。それで終いではないか。「私は水蒸気となり雨となりまた河と流れ、斯くの如くまた海に注ぐ」水よそれはなんのためであるのか、徒らなことではないか、「私は何のためだかしらない、唯こうやっているのが私の悦びである》


2003/2/2 手数料
 
林檎亭では宅配便で送った荷物の料金は郵便局の振替口座に振り込んで貰っています。銀行とはあまり取引がないし、銀行では振り込みに手数料が高くかかるからです。郵便局では一万円を超えても手数料は110円。りんご農家ではこの手数料を負担しているところもありますが林檎亭ではお客様に負担して貰っています。もっとも中にはその分をひいて振り込まれる方もいますが。
さて先日家の次男が貯金箱にいっぱいになった小銭を両替しに銀行に行きました。およそ3000円以上あったらしいのですが、両替の手数料に350円を払い手取りが2800なにがしになったと憤慨していました。その時の行員の話では100枚を越えると手数料がかかり、また口座に入金するのなら手数料はかからないのだそうです。口座に入金するかしないかで変わるというのも現金な話。もっとも群馬銀行尾瀬支店には小銭を数える機械はないらしく窓口の人が二人がかりで人手で数えていたというから手数料もかかるかな。
尾瀬ドーフのよしこさん語録から・・・小銭を数えないまま袋に入れて集金していく農協の係を見て私が「ごまかさないのかな。」とつぶやくと一言。「そういう病気の人もいるけど病気の人べえじゃあないからたいがい世話あねえ。」なるほどね。人を見たら泥棒と思えと育った私とは出来が違うわ。こういう人に運もついていくのかな。歯医者で電話貸してくれって言うのが悪くて結局歩いて来ちゃったりして、人の世話はするけど自分は誰にも世話かけないんだよね。一年ぶりの良子さんネタでした。



2003/1/21 目標

年賀状がようやく書き上がってホッと一段落。だけどなんだか気が抜けて、次は何をしよう。ニードルワークがしたいんだけど。そんなに落ち着いてもいられないし。本は読むけど。何か良い芝居が見たい。どこかに行ってきたい。家の中を片づけたい。手近な目標を立てなければ。
松たか子がどこかのプレハブハウスのコマーシャルで「庭で採れたイチゴでジャムを作って食べるような生活がしたい。」と言ってました。いよいよ時代はスローフードに向いてきているようです。
インフルエンザが流行っています。うがいと手洗いをいたしましょう。



2003/1/13 正夢

皆さんもテレビを見ていてはぐらかされた思いをしたことがあると思います。「このあと衝撃の事実が明らかに」といってCMが始まったり、大した事実でなかったり。「これが衝撃かい。」とつっこむのもいい加減飽きてきて、衝撃の事実が明らかになると言い出したらトイレに立つとかしてみたいけど、だけどついつい気になって。でもこどもの頃からこれほど期待を裏切られてばかりいたら白けてくるのも無理ないんじゃあないかとおもったり。本上まなみが「癒されるなあ」って言ってるけど、そりゃああれほど広くて何もない部屋にいてあんな庭を臨んでいたら別に筆字を書いていなくても癒されるんじゃあないの・・・と言ってみたくなったり。ガッツ石松は本当にパソコンができるようになったのか。高倉健はできたのか。谷啓はできたんだろうか。わたしはまだ使いこなせてないけれど。年賀状の仕事ももう少しになりました。



2003/1/4 新年を迎えて

変わり映えのしない日記のページに訪ねてきて下さってありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
畑の片づけもそこそこに豆腐屋さんのバイトを始めたので暮れは一気にすぎてしまいました。いつも結構反省とかするんだけど全然しないで。したがって新年に当たっても念頭の思いも別にない。今目標にしていることは「よんどころない事情以外ではバイトを休まない。」こと。そのためにも風邪をひかないようにする。。じぶんで花摘みや秋の手伝いの人を頼むと休まれることがどういう事かよくわかる。朝7時からなので夜更かしはできない。でも自分の家ではないのでちょっと気楽。
しかし年賀状の準備ができてないのでうちに帰ってからも仕事が山積み。そんなわけでなかなか更新できてません。最近読んだ、ジプリがアニメーションを創るという「ハウルと火の悪魔」は面白かったです。



2002/11/26 ハリーポッターを見に

24日の日曜日に、伊勢崎まで行って来ました。こどもたちは今週に期末テストを控え、受験生にこの時期に映画に行こうと云うなんて何つう親かと思いながら、半日のことだしとみんなで行ってきました。私が運転したのではとてもいけない時間で伊勢崎に着きましたが、5時半の回まで売り切れ、その間に「チェンジングレーン」を見ました。お父さんは別行動。八時半に待ち合わせして夕飯を食べて帰りました。
思い出してみると、私は中学生になってからは親と一緒に映画に行ったことはありません。自分一人で行くこともなく、社会人になるまで映画は見なかったようです。沼田には映画館がありましたが暗くてトイレの匂いがきつかった。
こどもが文化に触れる機会というのは圧倒的に親の意志に左右される。特に山村で歩いていけるところに映画館などがなければハリーポッターだってこどもだけでは見に行けない。いくら入場料が1000円でもそこまで行くまでがたいへんだ。けして機会は均等ではない。
片品では映画の日に去年の「賢者の石」を無料で見られます。私は去年のはビデオでしか見てないので結構楽しみです。吹き替えですけど。


2002/11/12 売店を閉めて

9月1日に始まったリンゴ狩りの売店を一昨日で閉めた。さんさ、つがる、ひめかみ、早生ふじ・・・と順調に完売することができ、陽光も残り少なくなり、ぐんま名月、新世界も完売状態と嬉しい店じまいになった。ただここ何日かは片づけたりしていて、忘れていた注文が立て続けに見つかり大慌て。どちらも時期も種類も任されたものだったのに、すっかり失念していた。やっぱり、その日に受けた電話や、依頼のメモを必ず確認するゆとりが今年もなかった。最後の最後でまだリンゴがあるうちに思い出せたから良かったけど・・・。もし頼んだのにリンゴが届いていない方はすぐ言ってきて下さいませ。10月20日過ぎに店を手伝ってくれる人ができてからは良かったけど。始めの頃は忙しくて、10月は腰痛に悩んで、途中から大根が無くて大根を楽しみに来る人に謝ったり。昔だったらおずおずとしてまけてしまったかも知れない値引きの交渉にも「まけません」とはっきり言えるようになったし。いまでも店に入るなり煙草を吸う人は苦手だけど。
先日何かの用事で開店の年の顧客名簿をめくっていたら今年も注文をくれた人や、今年もリンゴ狩りに来てくれた人の名前があって「ああこんな頃からずーっと来てくれているんだ。」と嬉しくなってしまった。開店の年から毎年来ていたのに何年も姿が見えなくて「他にりんご園見つけたのかも・・・」とあきらめていた人が久しぶりに来てくれたり。20年ぶり以上で幼なじみに出会えたり。今年は嬉しいこともありました。いつも店が終わると何日かは伝票も書かないし、今年の応募券も箱に入ったままおいてあったりしましたが今年は早速抽選をしたり、毎日はいるふじの注文の伝票を書いたり、年賀状の準備をしたりして仕事を継続させようとしています。店は閉めても片品林檎亭が一年中活動しているようにしたいと思っています。



2002/11/1 初めての団体

10月31日。引き受けてからずっと気に掛かっていたりんご狩りの団体がやってくる日。その二日前。夕飯を終えたときにかかってきた電話。はじめは20人ぐらいと聞いていたのが「38人になりました」という明るい声。思わず絶句。「聞こえてますか」「はい、でもその日は主人も留守で・・・」「何でもお手伝いしますので言ってください」「はあ」電話を切って主人に話すと「引き受けたんだから仕方がない」「だって20人くらいって言ってたのに」
 ハリーポッターを読んでも話に入っていけない。「うーんどうしたら」そして本の最後の言葉「来たときに立ち向かうしかない」そうだよな。人事を尽くして天命を待つ・・・ってことかね。そこで30日。「全ては今日にかかってる」と袋入りりんごを作ったり、花豆をたくさん袋に計っておいたり、ジュースりんごを用意したり。準備を整えているうちになんか自信がわいてきて、用意さえしておけば怖がることはないと、忙しいと最近は頼んでいなかった手伝いのおばさんにその時間だけ来てもらうように頼んで。
 いよいよ迎えたその日。主人は中学校の文化祭で朝から留守。手伝いの三浦さんもいつになく早くでてきてくれてなんか意気込みを感じた。オーナーさんが収穫に来て、なかなか野菜を取りにいけない。ペットボトルを用意したり、余分の袋を用意したり。思いついいて1万円分を500円玉に両替してきたり。
 電話の声が小さくて「どんな人なのかしら」と思っていた幹事さんは地味な親切な人で、ちょっと遅れるみんなより一足先にやってきた。全員がそろったところで「りんご狩りのお客様に野菜がサービスです。キャベツなんですがお持ち帰りください。」というと「キャベツはうちで作ってるわ。」という答え。「大根はないでしょうね」「はい、いつもはあるんですが今年はちょっと失敗して大根がないんです」というと「ああよかったブットイ大根持ってげって言われなくて」
 りんご園に案内すると「ぐんま名月はどれ」「そうそう、テレビでやってた」「わいわいがやがや」はじめは「りんごは持って帰らない」と言っていた人も「かご貸して。やっぱり買って帰るわ。」結局半数以上の人が計って買っていった。会計の時はちょっと並んだけど私が自分でパニックにならなかったから大きな声も出さなかったし、まあ及第点。用意しておいた袋りんごは余り、花豆も全然売れなかったけど。ジュースがおいしかったと持ち帰った人。全然予期していなかったカボチャが売れたこと。終わってみたらなんか団体も引き受けられるかな・・・と自信がついた。 



2002/10/17 鹿に遭遇

 連休の忙しさからなかなか立ち直れずにいたので、今日は午後から出かけてきました。(その間にりんご園は大忙しだったようですが)夕方になってもう暗く、椎坂峠を耕介の塾の送りに間に合わなくてはと急いでいると、カーブを曲がったところで道路に人が・・・と思い急ブレーキをかけたら鹿でした。2bはあるかという巨体でゆっくり道路を横切っていきました。ぶつかっていたら車の方がへこんでいたかも知れません。角も立派でした。あのへんでは小さい畑にしっかり囲いがしてあると思ったらあんな大きな鹿におびやかされているとは農家も大変だなと思いました。
ハリー・ポッターの発売まであと一週間。その前に陽光の送り出しの伝票を作ってしまわなくては。目下の課題は貴泰とどちらが先に読むかということ。学校に行っている間は私も仕事で読めないし。何でこの時期に出すのかなあ。


2002/10/5 ジョイフル本田へ

 
じつは3日の木曜日、一日暇を貰って新田町に行って来ました。前から農協の朝取り野菜に出荷したハーブなどがどんな風に売られているのか気になっていたのですが、みんなが視察に行く日は都合が悪くて今回一人で行ってきました。ブレイスという農協のスーパーにお昼ごろつきました。私たちの出荷した野菜はそこの野菜売場にコンテナのまま積まれて売られていました。ハーブはあまり売れていませんでした。でも買い物客の人達は皆、片品のトマトと新田町のトマトを比べたり、片品のハーブと、SBのハーブを比べたり、みんな検討に検討を重ねて買っていく様子でした。はじめはきちんと積まれていた物が崩されたり、私の作ったラベルは水に弱いので濡れてよめなくなっていたり・・・。いろいろこれから考えなくてはならないことがあるのがわかりました。
この日は店を空けることの多い主人に「私だって休みが欲しい」と貰った休みの訳でしたが、隣の「ジョイフル本田」では安さにつられて秋まきのチューリップの球根をしこたま買い込み、あまりの広さにビックリしながら結局店で使う紙コップとレジバックを買って帰ってきました。帰りは桐生で買い物をして自分で運転しては20年ぶりくらいに沼田大間々線を通りました。桐生の町を全然知らないのでぐるぐる走ったあげくに本屋さんで地図を買い、道を教えて貰いました。とっても親切に教えて貰って、ちょっと感激しました。店に来たお客さんが私たちが普通に道を案内しても「親切だった」と感じて下さるようですがこういうことかなと思いました。
店番ばかりしていると、視野が狭くなってきて、自分がドンドン嫌な奴になっていきます。元々性格が接客にむいてないので悪循環が重なると朝起きるのが辛くなります。いろいろ予防策を講じて半分まできたリンゴ狩りの秋を乗り越えたいモノです。



2002/9/21 反省

主人の出かけた連休初日、いろいろなお客様が来ました。今日の失敗はお喋りしすぎたこと。高校出て事務員やっているときにさんざん反省した「余計なことは喋らない」というのをまたまた実感。口からこぼれでたことばは戻りません。そして同意をしてくれた人も気持の中の方では私を評価し直します。・・・だけどここまでしかないのも私ですから仕方ありません。
今日良かったこと。リンゴ狩りの家族連れの男の子がたいそう楽しかったのか、「帰らない、泊まってく」とぐずってくれたこと。とっても聞き分けが良くて「またね」と帰っていったけど。
主人がいないので友人の協力を要請。合間にたっぷり情報交換できたので満足。最終回だった夕べの「ER」のビデオを見た。誰の意見も聞かなかったカーターがベントンの説得には応じたことが良かった。あんなふうに誰かをバックアップする事ほんとうにあるかしらん。



2002/9/20 けがの功名

パソコンを購入する前はパナソニックのスララというワープロを使っていた。ずいぶん使ったがパソコンを買ってからはほこりを被っていた。次男が自分専用のワープロが欲しくてそれを引っぱり出してきた。電源を入れ、電池も入れてみたが「補助フロッピー」を入れるようにと言う指示が出てそこから進まない。あちこち捜してみるが見つからない。私の性格からしてきちんととってあるわけもなく、昔スララを使っていた電気屋さんを頼ってももちろんずいぶん前に処分してしまったらしい。生産はされていない。これはもうあきらめてノートパソコンを持ち歩けるように鞄を買ってこようと次男をなだめながら、それでもあちこち捜した。ついでに使っていないレターケースなども押入から引っぱり出して掃除したら、思いがけなく昔の手紙が出てきた。それは59年に実家が火事になったときの友人からの見舞いの手紙で私の昔の呼び名が出てきて妙に懐かしかった。そのレターケースの上に小さい箱があって開けてみたら昔のカセットレコーダー。コードを繋いだらちゃんと動いた。先日来、ウオークマンが欲しいと行っていた貴泰は早速お父さんに交渉してそれを貰い受けた。
もう捜すのをあきらめ、「手書きでやるぞ」と貴泰も寝たあとふと思いついて積み上げてある何年か前の本などを動かしていたらそこに無造作に置かれたフロッピーの箱を発見。いくつかのオプションフロッピーと一緒に「補助フロッピー」も入っていた。あとはもう生産されていないというインクリボンだ。確かワープロを使わなくなる前に農協の売店に在庫があるのを見ながら一つしか買わなかったことがあった。とすればほかの人が買わない限りそれはそこにあるはず。と思い、農協が開くとすぐ確認に。今は使われていない、元店舗の棚に確かに箱に入って二つあった。夕方になって試してみると何の問題もなくちゃんと動くワープロに何か感動した。貴の花も連勝してるし、桑田も完投したし、まだまだ捨てたモノじゃあないよね。



2002/8/28 自立

店が始まるとできなくなるからと寝室を掃除した。100のうち30位の掃除。子供に読んで聞かせた本がたくさんでできた。いわゆる読み聞かせが二人のこどもにどう影響しているかは解らない。たくさん読んだし、繰り返し読んだ。暗唱できる本もある。こどもに「覚えてる。」と聞いても今の言葉で「うざったい」と言われるだけだから聞かない。「うざったい」なんて私がこどもの頃はなかった。喧嘩を売ってみても始まらないが。
私自身が読んで聞かせているとき楽しかったからそれでいいじゃあないか。と思う。あの時目を輝かせて「明日のところはどうなるんだろう。」「ねえ、もう少しだけ読んで。」と言ったことが確かにあった。二台の除雪車が線路の雪を除雪していく本で「お兄ちゃんがロータリー車で貴がラッセル車な。力を合わせて雪を片づけるんだ。」となりきっていた長男が確かにあの日あの時にはいた。その記憶だけで宝物だよ。いつまでもこどもに寄りかかってないで自分のやりたいこと見つけて自立しなくっちゃ。



2002/8/2 マルチはぎ

白菜の畑のマルチをはいだ。ここ何日か天気が良く、マルチはまま乾いていて、何年か前ならマルチはぎ日和といったところだ。しかし、去年からマルチは燃してはいけなくなって農協が売っているマルチ専用の袋に詰めて出すことが義務づけられた。袋は有料。マルチを持って行くにも800円負担しなければならない。袋に入れるには野菜のクズ、土などはよく落とさなくてはならない。これが大変。(ここまできれいにすればまた伸ばして使いたいようだ。)誰もみていなければ燃してしまいたいところ。主人もはぐのが大変ならうないこんでしまうと言う。しかし、かりにも環境やゴミ問題に関心があるという立場の人間としてこのゴミ問題の渦中にある者としてここで引き下がったら負けだ。とばかりにたかがマルチの一反歩はぐのにいろいろ考えた。というのも半分は、作柄が悪く値段も出なかったので収穫しなかったところ。これははぐのも大変なら、乾かすのも大変。まあ負けと言っても自分に負けるわけだから、そのうち忘れてしまうけど・・・。今ここでこの仕事を入れるとトマトの仕事が送れるし、でもマルチの間に草が生えてきてはぐなら今しかない。そんなわけで実家に泊まりに行くのもこどもだけに行ってもらって、主人が競輪のついでに見てきた映画もあきらめてジプリの新作も先送りしてそのぶんでマルチをはいだ。まっ黒になって。



2002/7/31 かえる
 
昨日と一昨日、二回も大きなカエルを見てしまった。売店の下の花畑を草むしりしていて、はじめはスコップで掘り返したら一緒にカエルを掘ってしまったらしい。びっくりしたように私を見据えながら、お尻からまた砂の中に潜っていった。二度目はブラックベリーの藪の根本をむしっていて何か手応えがあると思ったらカエルだった。草かきがあたったが怪我はなかったのかのどをふくらませたりしながら私を見ていた。すぐにそこを離れたのでそのあとはどこに行ったか知らない。どちらも私のげんこつより大きい茶色いカエルだ。もようがチョット違うので一匹ではないらしい。もしかしたら家の畑の土の下には私の知らない社会が存在しているのかも。そして私が気ままに掘ったり植えたりしているのを迷惑げにかんじて首を傾げたりしているのかも・・・。



2002/7/26 コンビニ

こんな仕事をしているとエコに関心があったり、自然に親しんだ生活をしていると思われそうですが実はコンビニが好きです。けっこう行きます。今日も、SMAPの缶ジュースがあったので買ってきました。ちょっとオロナミンCの味がするというのが耕介の意見です。まだ一年ぐらいしかたっていないと思いますが、コンビニの冷蔵庫からジュースを取り出したときすうっと後ろのが滑り出してきて戻せなくなる仕掛けができたとき驚きました。店員さんが並べる手間を省くために傾斜をつけたのでしょうか。ちょっと嫌な感じでしたが慣れました。こういうのも丁寧に並べるという前提がなければなりたたない工夫だと思います。
コンビニも店によっていろいろ特徴があって面白いと思います。片品にはセブンイレブンとセーブオンしかありませんが。セーブオンにも他に負けないものもあります。TBSの時報がセブンイレブンからファミリーマートにこの4月から変わりましたが、最近時報マンのファンになりつつあります。時報を聞くのがチョット楽しみです。そういえば17号沿いのファミリーマートに寄ったとき、入り口の上に赤い回転灯がつけてあってその下に「これがついているときは非常事態です。警察に連絡して下さい。」と書いてありました。初めてみたのでビックリしましたまちのほうはどこもこんなのがついているのでしょうか。


2002/7/8 模倣犯

昨日は1日休んで前橋の県営陸上競技場にデビューの貴泰を応援に行ってきた。最後まで走ればもう合格点と言っていたとおり、あきらめずに走った。出番も見終えた1時半に敷島を出て、テアトル西友に「模倣犯」を見に行った。時間に余裕があったので七夕で混み合う町中もまあまあ落ち着いていられた。七夕飾りで彩られたとおりに向かう娘さんたちも色とりどりにゆかたを着てなかなかきれいだった。陸上競技場のユニフォーム姿の中学生とともに素直に「若さっていいな」とと思わせてくれた。
観客も20人ぐらいと少なかったが、原作とはかけ離れた映画の仕上がりに「ふーん。」と言う感じ。原作を知らないで映画を見たら私の読解力ではストーリーを追いきれなかっただろう。
SMAPが出てきたのは何年ぐらいたつのか。五人がそれぞれ個性があって楽しい。さいきんでは香取慎悟がベラベラで英語の暗記をしているのが目を引いている。私も青い本を買って寝る前に見ている。新しい家庭教師のC.M.も先生というより兄貴みたいだ。



2002/6/28 研修

生活改善グループが生活研究グループに名前を変えて始めての研修会。大間々の小平鍾乳洞、湿地植物園、富弘美術館、足尾銅山観光に行ってきた。運転はいつもの役場の小林さんで今日は高速は使わず赤城山をぐるりと回るコースだったのでアップダウンは激しいしくねくねするしでみんなきゃーきゃー言っていた。途中、大胡町の農産物直売所により、1キロ60円のジャガイモを購入。みんな花や、饅頭、とうもろこしなどを買っていた。早くいろいろな作物が取れて羨ましい。小平鍾乳洞は規模は小さいけどなかなかのもの。ホタルが飛ぶという公園一帯まで年間24万人もの利用者が来るという。渡らせ渓谷や富弘美術館ともあわせやすいコースなんだろう。
富弘美術館に行ってみたら前に来たときより更にグレードアップしていた。また広い美術館を作るので設計のコンペをしたというニュースも先日聞いたばかりだ。最近の作品はペン画や油絵のように塗り混んだ物などがあった。すでに来年のカレンダーもあった。
足尾銅山は始めていった。ここには子供を連れて半日勉強に来たいと思った。また閉山してからの環境問題の取り組みについてなどの展示があればいいのにと思った。それでもお金についての展示は興味深いものがある。帰りは足尾から日光に抜けて金精峠を通ってきた。中禅寺湖から霧が深かったがトンネルを越えると晴れていた。明日からまた仕事。



2002/6/18 科学的な努力

 仕事が本格的に忙しくなってきた。・・・と思っているのは私だけなのか主人は結構のんびりしている。こういう時に自分のポジションがわからなくなって困る。「ひとのことはどうあれじぶんはここまでやるんだ」という確固としたものはなく、何となく仕事をしているといつものようには進まない。と、ますます焦る。目標が具体性を失ってきているのが問題点。
 そろそろ気の早いとうもろこしの注文が舞い込み始めた。(正式には、まだ受付は始まっていません。)じぶんを「ひたむき百姓モード」から「ちょっと売店のおばさんモード」にスイッチしていかなくては。それにしてもこの間の暑さで思わずカットにいったら予定より短くされてしまってすっかり押しの強いおばさん顔になってしまった。池袋でデパートのインフォメーションで道を聞くとき可愛く聞いたんだけど、おねえさんが見ていたのがこのおばさん顔だったとは。自分では自分の顔は逐一見えてないモンね。



2002/6/14 ガンバレ日本

読書日記にも書いたように、梨木香歩の「からくりからくさ」を読んだ。まえの「西の魔女・・・」のときもそうだったがこのはなしでも出てくる人が私がこうなりたいと思っている、まさにそんな人だった。磨き込まれた古い廊下、一回一回の食事を大切にすること、物事を、人を自然に慈しむこと。そうなりたいと願いながら近づけないでいる理想像。きっと二酸化炭素の排出量も少ないんだろうな。私だって本当はうわさ話は好きじゃあないし、お肉よりも野菜を食べたいと思っているんだ。この人のように手仕事を大事にしたい。だけど現実は全然違う。人にへつらい、憎んだり、自分より立場の弱い相手にはそれとわかって無理を言ってみたり。

 ところが梯子に登りながら考えた。家が安普請のプリント合板の床で、掃除はダスキンモップだって良いじゃない。テレビドラマが楽しみだったり、サッカーの結果に喜んだり、政治家の不始末に腹立てたり、そんな小人物だって良いんじゃあないの。理想は理想、自分は自分。藍を植えたり、ワイルドストロベリーをつまんだり、朝顔に支柱を立てたり、十年前には考えられなかった進歩だ。昔からのひとつの目標、五十歳になったとき白い桔梗になること、これもちょっと先に延ばすようになるかもしれないけど。まだまだ色が抜けきれそうにない。



2002/6/11 近況

ごぶさたしています。というのもせっかく新しいパソコンを入れたのにホームページ関係のファイルが新しい方ではいじれないという事態でなにやら不便しています。早いトマトが植えて一週間で大豆粒くらいの物ができてきました。今年は苗の育ちが何か不安定で心配しましたが一週間経ったらしっかり根付いてひと安心。とうもろこしをまいたり林檎の仕事をしたりしながら花畑のことも考えなくては。
先日のお出かけの詳細は貴泰がホームページに書くというので付き添いで行った私の感想は、池袋防災館の消火器で実際に消火をしたのと、電話を使って通報のシュミレーションをしたのが印象に残りました。地震の体験もありましたが、本当の地震の時あんなに落ち着いているとは思えません。世界の地震の半数以上が日本でおきているという話がビックリでした。



20002/6/6  優先順位

日曜日に貴泰の用事で出かけるのでそれまでにトマトを植えてしまおうとチョット急いで植えた。ハウスの屋根をかけ、トマトを植、紐をつる。まだ紐はつり終わらないがとりあえず昨日植え終わった。その間にとうもろこしをまいたりすぐったりする仕事もあるので大忙しだ。ハウスをいじったり、トマトをいじったりすると手が汚れる。今日の課題は忙しさを優先して真っ黒になってしまった指先を回復すること。



2002/5/25 ニーズ

昨日、りんご園に不思議なお客さんが来ました。須藤澄夫さんの詩集を持って詩にでてくるところを訪ねているようでした。でも私は風ではがれたマルチをあちこち直していたところでもあって「何を知りたいのか」がよく掴めませんでした。詩の中の「農耕車優先の看板のそばにあるレストラン」、「竹馬の友がたてた休神の房」はあとで主人に聞くとどちらも私の知っている建物でしたがそのときはわからず教えて差し上げることができませんでした。さらにとんちんかんなことにりんご園やハーブ畑なんか案内してしまったのでした。ハーブにはかんしんがおありのようでしたが本当は「なぜ沼田から歩いたか」が知りたかったようでした。私は他の話にそらして上手に答えませんでした。そんな大したことでないのに聞かれるのがやだったのもありますがもう少し丁寧に答えて差し上げれば良かったとあとで思いました。
 こちらがいつも平静で気持ちが開いていないと「本当に求められているのは何か」よくわかりません。トマトが欲しいとか、とうもろこしがほしいとかならハッキリしてますが。それが考えられるようになりたいと思います。
1999年の松坂大輔投手の座右の銘は「目標がその日その日を支配する」というものでした。



2002/5/15 百姓

春はいろいろな仕事があります。特にトマトの仕事などは。今日は花摘みが本格的に始まりました。しかしとうもろこしをまく日にも当たっていたので早起きした主人がマルチを貼っておき、花摘みの人に挨拶をして、小学生の総合学習につき合ったあととうもろこしを播きました。更に夕方は林檎の農薬散布、帰ってきて夕飯を食べたあとでH.P.の更新。私はトマトの水遣り、林檎の袋の注文、一昨日からやっている小さい育苗用のハウスを建てる仕事、とうもろこし蒔き、白菜蒔きと続きました。
農家に来た最初は、林檎の仕事しかイメージしてなかったのに、促成栽培のアスパラを植え込む穴を掘る作業があって「私は土方をしているようだ」と気が付いたことがありました。あの頃から比べると力も付いたしずいぶん図々しくもなった。(と思う)昨日は主人が手伝ってくれるのを待てなくて細いハウスの資材のパイプを鋸で切ってました。小さいハウスなので屋根も一人でかけました。その前の日はパソコンのインストールなんてやってたのに。全くいろいろ仕事はあります。
主人の口癖は「まだやってないんか」そういわれると「言われる前にやってやるぞ」と思います。でもそんなにはできません。



20002/4/30 昨日は寒かった

 昨日朝起きてまどをあけると家の屋根が濡れている。「露霜か」と思い林檎亭に行くと防霜ファンが回っていた。耕耘機をかけた畑は一面真っ白な霜。露霜なんて穏やかなものではない。前日の天気に油断して外に置いたハンギングのキリンウェーブもパンジーも凍っている。日が高くなるにしたがってゆっくりと溶けて植物はみんな被害はなかったがリンゴはどうなんだろう。今のところはどうもないけど。
ところで今日久しぶりに富士通サポートセンターに電話した。パソコンの右上にある最大化や閉じるのボタンが突然数字に代わった。他にも変な表示が出てくる。使うのには困らないが何か調子が悪い。それで雨も降ったことだし半端な時間に電話してみた。そうしたらうちのパソコンはユーザー登録がされているけど今は有効でないので違う番号を選べとかなんとか繋がるまでに30分くらいかかってようやく教えてくれた。むこうはこんなトラブルは一日二百件も直しているのよといった感じでドンドン指令を言うけれど、私はsafeモードで立ち上げるのだって三年ぶりくらいなのに新しいマウスは対応していないらしく使えなくなっちゃうし、画面をスタートボタンとタスクバーで半分見えなくなってしまったり、あせってまた強制終了からやり直したり・・・。冷や汗をかいてしまった。結局直ったし、また困ったらここに電話するんだからと文句も言えないけど。こんどサポートセンターに電話するときは体調を整えて(そんな余裕があるときなら良いけど)、おどおどしないでかけなくては。だけど、実家の父にサポートセンターに電話するように勧めるのは駄目だと思った。



2002/4/22 週休二日になって

始めての第三土曜日の休み、貴泰はトマトのハウスを作る準備を手伝った。半年間放って置いた紐を使えるようにたぐり直して絡まったのを解く。一人でやっているとあきる作業だが貴泰が特にひどく絡まったものを解いてくれたので早く終わり、夕方から沼田に映画を見に行った。日曜日は半日、朝張った屋根のビニールを昨日の紐で止めるのにハウスの向こう側で因れないように引っ張るというまあいうなれば私の相手をしていた。自転車を乗り回したり、汚れたコンテナを洗ったり。午後は耕介に二時間の約束で土をポットに詰めるのを手伝わせた。並べたのはどうも思うようにいかなかったけど、15kgの培養土を五袋ずつ一輪車で運ぶのはコツが解らなくて大変だったようだ。無駄話にはちっとものってこないできっかり二時間で600個入れて帰っていった。こどもが手が離れると良いなといつも思っていた。今は役に立つけどちょっと淋しい。もっと小さかったときにいっぱい遊んでおけばよかった。



2002/4/17  輸入野菜の実態
農協婦人部の役員をやって4年めにして初めて、研修に参加した。今回の企画が「輸入野菜の実態」を見学するというものだったからだ。
 横浜に着いて昼食を済ませ、横浜港の積み卸し現場で野積みになっている輸入野菜を見た。青いポリタンクに入っている。小さいタケノコ、わらび、きゅうり、なす、にんにくなどのいずれも塩漬けにされたものです。今回の見学では今年になって輸入されたものが多かったですが、なかには5年積みっぱなしのワラビというのがありました。これは検査の遅れでそうなっているのかと誤解しましたが、安く輸入できるため、全体の何割かを販売すれば元が取れるので放って置かれているそうです。梅干しもありました。中国から来たものでこれは紀州など梅の産地にトラックで運ばれて行くそうです。落花生も輸入されてきて、千葉に運ばれて行くそうです。見学の後、近くの会議室で横浜港湾労働組合の書記長の話を聞きました。いくつかを要約して紹介します。

 まず、ラベルと中味が違うこと。産地がどこでも日本に入ってから少しいじると日本産になる。昭和60年7月におきた有毒ワイン事件ではオーストラリア産に勝沼産を少し混ぜて国産ということにした。また放射能汚染されたスパゲッティはイタリアで作られたものだったけど原料の小麦がチェルノブイリの近くで生産されたものだった。ヨーロッパ諸国ではこの地方の農産物は消費しないで日本への輸出用に加工した。次に現在日本では食品衛生法の基づく食品等輸入届出書の提出、審査が行われているが実際書類とモノをつき合わせて検査するのは全体の3.5パーセント。9割以上が書類審査のみで市場に出回っていく。日本では食料のおよそ6割以上を輸入食品に頼っているがその安全性は輸入に携わる企業の良心に委ねられている。この書類には添加物に着いて記載する項があるが、使用が禁止されている成分が含まれている場合は、記載されない。そしてそのまま書類審査を通過していく。検疫所は全国に103カ所あるが職員は所長など管理職を含めて264名。70年代からずっと輸入食品が激増していく中、職員の数はほとんど増えていない。また国家貿易品目や非自由化品目に指定されているものでも加工調整品として堂々と輸入されている。米とイカは単品では輸入が難しいがイカメシにして輸入がたやすくなること。オレンジ果汁はそれだけでは非自由化品目なのでつぶつぶを入れることで加工調整品になり輸入がたやすくなる。これから食料は全世界的に不足していくことが明らかになっている。そのなかで日本だけがますます自国の生産を減らし輸入を増やそうとしている。近い将来アメリカは食料を武器として使うだろう。つけくわえて残留農薬の問題も解決されていない。日本では使用を禁止されている農薬を生産し、それを東南アジア諸国に輸出、そこで使用して作られた作物を輸入している。地元で食べるものの20倍のも農薬を使用して日本に輸出する作物を生産する。それは日本の消費者が目で見てきれいなものを選ぶから。また輸送の段階でもたくさんの農薬が使用されている。検疫所では残留農薬の検査をするために防毒マスクをつける。またバナナの薫蒸作業(外国からの虫の侵入を防ぐために行われる)で使用する青酸ガスはアウシュビッツでナチスドイツが使用したもの。同じく使用される臭化メチルは諸外国では発ガン性から使用を禁止しているが日本では使用を義務づけている。日本では各作物ごとに検出されたら輸入できない添加物、農薬などの一覧表があってそれ以外はなにがでてきても輸入して良いことになっている。アメリカではでてきてもいいものの一覧表があってそれ以外は全く駄目というやりかた。食卓を守る政治も、農業を守る政治も日本にはない。こんな現場の近くで仕事をしながらこんなに喋って良いのかしらと思うほど熱く語って下さいました。話ながらじぶんでは否応なくそれらのものを食べているということでした。

 昨日は帰りが遅くなるかもしれないと思ってカレーを作っておきました。ジャガイモ、人参は家で穫れた物です。タマネギは国産だと思っていましたが自信はありません。肉は生協で国産と表示してありました。カレー粉はハウス食品ですがこれに至っては企業の良心に頼るしかありません。うちではうどんを作って食べますが小麦粉は輸入です。こどもたちが好んで食べるポテトチップやカップラーメンはどうか。学校で食べる給食はどうなのか。こんな田舎でも食卓の半分は輸入ということなら都会ではどんなことになっているのかと、今年高校を卒業して町へ進学していった近所のこどもたちのことを思います。
農業をやっている者と別に消費者としてもますます問題意識を持っていかなくてはならないと感じた研修でした。



2002/4/5  ATMはどこだ
昨日はこどもたちと「ROAD OF THE RING」を見に高崎の109にいった。耕介が部活があったので午後からの出発だった。風が強いこともあって電車で行くことも考えたが帰りの便を考えるとやはり車で行くことにした。高速道路が苦手な私の運転の話は尽きないほどあるがともかく三人で大スペクタクルファンタジー長編映画を見終わり、耕介は次の「エネミーライン」、貴泰は「ミスタールーキー」へと別れた。私は二本見ると疲れるので出かけに主人に頼まれた「現代用語の基礎知識」を買いに駐車場から車を出した。東口の正面から環状線に出て17号に突き当たる前に煥乎堂があるはずだと思って走っていた。広い通りに出たがこれが環状線かどうか自信が無く廻りに注意しながら走っていたらビスタ高崎が見えた。そこでよく見れば煥乎堂もあったのに右折の車線に入ってから左に煥乎堂があった。仕方なく右折してぐるっと回ってこようと思ったらこれが高架になっていて右折の出来ない通り。結局また東口からやり直した。だいたい結婚する頃にここのビックカメラに来たときはこの通りの左にあった気がするし、もっと道も狭かった。なんて勝手に思いながら煥乎堂へ。「現代用語の基礎知識」と「知恵蔵」のどちらにしようか検討しようにもしっかり紐で縛ってある。さらにどちらも付録があっていくらかが解らない。まあ言われたとおりに買っていこうと「現代用語の基礎知識」を買う。3000円を出してお釣りを貰うと、財布の中が思っていたより淋しいことに気づいた。これでは夕飯が食べられない。まあ、VISAが使えるところで食べて高速道路もVISAで払えば良いわけだが。それでも心配なのですぐ裏に群銀があったのを思い出して行ってみた。そうそうここにあるんだよね。ところが、営業は終了いたしました。7時までだった。さっき来てすぐ行けば間に合ったのに。まあ駅の方に行けばあるか。とおもって車を出した。不案内な高崎の町なので一本早く曲がったらなんか暗い通り。でも対向車はやけに続いていると思ったら競馬場の前の通りだった。じゃあこの先が駅だな。と直進の車線に入ったら、なんと駅前を通り過ぎて線路をくぐることになった。まあ、西口の方が賑やかなわけだからと右折していくといくつもそれらしい銀行の前を通るがみんな閉まっている。やっぱり人が集まるところでないと遅くまでやってないのかなってもしかして109の建物の中にあった群銀のATMはやってるんじゃあないのと思って戻ることに。駐車場に車を入れたのが7時59分。ATMにはまだ明かりがついていたが8時で営業は終了。なんとタッチの差。まあ駅の中には9時迄ってところもあるかなと連絡橋を登って西口方面に、ATMの営業状況をマーケティングすると思えばいいか。途中JAのATMがあったがシャッターが閉まっていた。たかしんの方はやっていたが群銀と連動しているかどうか疑問だったし、だれか使っていたので先に進んだ。西口に出て見回したが群銀の看板らしきものはなくアコムやプロミスの看板ばかりが明るい。いよいよになったらこどもの財布に入っている5000円を借りようと思って駅に戻ろうとしたが昨今話題のコンビニATMというのがひょっとしてあるのではと駅前のfamiiymartへ入るとなんとあるではないですか。次の銀行カードが使えます。というなかにも群銀の名前がある。よし、とカードを出して案内にしたがって現金が出てきたときはホっとした。
駅に戻ってモントレーの方を見るとなんと一番左に群銀のマークがあった。一応行ってみると九時まで営業のATMがずらり。うーん、ここにあったのか。捜したんだぞ。と言ってしかし駅から直接に入る道はなくしゃれたイスなど置いてあるが一旦道路に降りてから二階に上がらなくてはならないので不便だった。また目の前にあるデパートの中にはまた営業時間いっぱい使える機械もあるのかなとあとで思った。いつも沼田サティでは群銀のATMは込み合っているので隣の郵便局の機械を使うが駅の周辺では郵便局のカードが使える機械は見あたらなかった。

結局夕飯はVISAの使えるところで、ガソリンも10gVISAで入れて帰ってきた。ところでCMでは藤井隆がキップをVISAで買うシーンがあるが上毛高原ではまだ使ったことがない。もちろん券売機には入らないので窓口で買うことになるが窓口が一つしかないので誰かいるとつい券売機に行ってしまう。でも東京までいつも一万円で往復がやっとなのでカードが使えたら良い。
まったくなんとも徒なATM探しでした。


2002/3/28 尾瀬豆腐のワークシャエアリング
世の中がワークシェアリングを言い出すずっと前から尾瀬豆腐はそれを取り入れていた。週に三日勤める人がいる。二日だけ勤める人がいる。私は、土曜日曜以外は7時から12時。配達だけが仕事でそれが終わると帰る人。朝の4時から豆腐を造って作り終わると帰るおじさん。みんなで仕事を分け合っている。
 私も3月いっぱいでバイトが終わる。これからは畑仕事が本格的。三月は午前中はバイトで午後は剪定をしようと思っていた。ところがなかなかそうは行かない。半日休みなしで働くとお昼を食べた後つい昼寝をしてしまう。先週からは風邪気味だったので朝起きて仕事に行くために他の時間はほとんど休養に当てたり。頑張って畑に行ってみても外は結構風が冷たくぽかぽかの車からなかなか出られないというのが実際。沼田に本を買いに行くとかでなければ、私のような人間には半日みっちり働くというのは一日をそれに食われるということだった。
片品林檎亭では花摘みなどの作業は自己申告制の、十時三時はしっかり休みだったけどちょっと考えようかななんて思っている。ただ花摘みなどの作業は単調な作業の繰り返しなのでやっぱり15分の休みは必要かもしれない。。

2002/3/17 良子さんは格好いい
 良子さんは豆腐屋さんの奥さんです。いつも四角い豆腐を造ります。それから油を火にかけて厚揚げを作ります。注文に応じてしめドウフを作ります。忙しいときはざる豆腐も作ります。作り終わると機械や、桶を洗います。注文通りに豆腐が造られているか確認して午後は宅急便にだす箱詰めをします。お客さんのどんな注文にも応じます。一つといったら一つ送り、100個と言われれば100個送ります。オカラはサービスですがオカラがほしいと言っていた人に入れられなかったとき、次の日に送ったりします。週に二回ぐらい定配もします。誰かが間違ってもその人を責めません。「せわあねえや。こうすれば。」「こうしるからだいじょうぶさ。」と、言います。おじさんやおばさんが良子さんのところに来ます。仕事の手を休めて話をします。
 いつも少しだけお化粧をしています。昔の人のように「自分が」と言います。みんなのようにバンダナをしないで手拭いを被っています。そうして伝票を作るのはパソコンでやります。画面を見ながらマウスを操作して伝票を印刷します。今日はその横顔がなんかかっこよく見えました。

        



2002/3/15 横山大観展に行く
 昨日はお休みで前から行きたいと思っていた横山大観展を見に上野に行って来ました。
 上野は気の早い枝先の桜がほころび初めなかなか暖かいいい日でした。平日でも大変込んでいると聞いていたので、家を6時半に出て上野には9時につき開門を待つ列に並んで入りました。会場の平成館に歩くうちにテントが作ってあって「ああ込んでる日はここにも人が並ぶんだな。」なんてのんきに考えていたら、私の五人くらい後で入場制限が告げられました。 
 教科書で見たことのある「無我」や「屈原」、「夜桜」「紅葉」などの大作が本当に目の前にあるというのは感動です。「生々流転」は2列になっていましたがどうしてもよくみたい人の並ぶ前列に並んでみました。入り口で音声ガイドをかりたのでそれを頼りに一つ一つ丁寧にみました。これを借りなかったら、わからなかったことがいっぱいあったので借りて良かったと思いました。「生々流転」という作品で川の流れがやがて海に出てそうして最後に龍になるところなど。また岡倉天心や美術学校の人間関係、売れない頃の苦労、インドに旅したことなど。だいたい明治にインドに旅行するとはどういうことなのか、ついでアメリカ、ヨーロッパにもいっている。「すごい。」の一言に尽きる。作品は昔からの日本の画という感じのものが多く、冨士を書いたものなども誰でもがとりそうな構図だけれどやはり迫力がある。
 ただ本当に人が多くこれ以上いたら具合が悪くなってしまうと思い、最後に掛けてある「風蕭々として易水寒し」のところに出たらもう一度戻ろうという元気はなくなり、あとは図録で楽しむことにして早々に退散しました。
 本館の常設展示では会いたいと思っていた仏像には会えず残念でした。お昼も新しくなった上野駅までも行かずに本館の隣の精養軒で済ませました。でも私がのんきに見送ったテントに人がいっぱい並び、さらに日なたに入場を待つ人のかたまりがあっちこっちにあって「80分待ち」のアナウンスが流れていたのには「早起きして良かった」と思わずにはいられませんでした。食事の時に相席になったどこかのおじさんが「東洋館にはインドや中国の展示がある」と言っていたので、買い物はやめてそちらも見ていくことにしました。
 朝鮮半島の青磁、白磁、カシミール地方のペイズリー柄の織物、エジプトのミイラまであってなかなか面白かった。「つながってるんだな。」と感じました。ただおばさんの一行が「いい仕事してますねえ。」「キャハハハハ」と盛り上がっていたので、堪えきれずに注意してしまう前に外に出ました。こどもと一緒に科学博物館には何回か行ったけど、国立博物館は初めてだったので、今度また機会があったら常設だけでも行ってみようと思いました。とにかく画を見るのは疲れるのでせっかく行ったのだから他にも寄ろうというような欲は捨てて早めに帰りました。銀座に出て丸善に行くとか八重洲ブックセンターとか前なら絶対行ったけどなんか本も「どうしても欲しかったらネットで頼めばいいや」と思ってしまって。
 若いときは作品そのものしか見なかったけどやはりその作品が生まれる背景などもわかると「なかなかなあ」と思えてくる。
 横山大観は日本画の中で好きか嫌いかと言えば好きな方ではないがあの「生々流転」の波の一つ一つ、「紅葉」の葉の一枚一枚を描いたと思うと唸らずに入られない。「叭叭鳥」という作品では宮内庁に注文されて何枚も描き、そのうちの一枚がこれ、献上したのはもっと木が象徴的に描かれているらしい。思っていたより勤勉な人だった。