<ので無理なく楽しめる。細かな描写も楽しい。さらに三巻辺りから巧に政治的になってきた。闇の勢力の台頭を知っているものと、認めたくないもの。両者のせめぎあい。ハリーの成長を軸に周りの者たちのこと。

 仕事が忙しくてぜんぜん本を読んでいなかった。・・・と、思う。少しは読んでいたけれど。それでこの機会にハリポタを読み返した。映画を観ても分かるように「不死鳥の騎士団」を。続く「謎のプリンス」も。もう一つ戻って「炎のゴブレット」を読んでいる。最初の印象とだいぶ違うことに気づく。さらに記憶力が落ちているせいかまったく覚えていないところもたくさんあって、また一から楽しめるのが嬉しい。ダンブルドアが死の呪文に当たって塔から落ちていくところは臨場感たっぷりだ。

 先日、地上波で「秘密の部屋」が放送された。その最後に校長室でハリーが自分の出自を疑うところがある。トム・リドルと自分の共通点を考えると自分もスリザリンに行くべきだったのではないかと。そこで校長先生が言う。「どういう才能があるかではない。どういう選択をするか、それが大切なんだ。」と。
 晴れて、草があちこちで伸び放題。いよいよダンボールが届いたので間近に迫った出荷に向けて組み立てておかなくては。仕事はいっぱいある。でも私には帰るところがある。本の中に。


2007/7/19
プラダを着た悪魔

眠れなくて、貴泰と一緒にDVDを観た。友達の女性を演じているのがRENTに出ていた人だとか一緒に観ると自分が気づかないことも分かるので嬉しい。私も少しは彼の理解を助ける。DVDにはメイキングが付いているので、ほんとはこの部屋はすごく狭いセットだけど、鏡を駆使して広く見せているとか、カメラのアングルにも興味があるらしい。

ファッションに興味のなかった主人公がカリスマ編集長の秘書になって美しく変わっていく。ウエストも絞り、メイクも上達し、自分の身の回りを犠牲にして上司のわがままを聞いていく。そこで発揮されるのは彼女が本来持っている資質。そうして先輩を超えて重用されていく。パリに場所を移して上司が始めて弱さを見せる。パートナーから離婚を言い渡された。こどもたちはまた父親を失う、と、悲嘆する上司に慰める言葉もなく、何か出来ることはありますかと聞くと「・・・・仕事よ。仕事をしてちょうだい。」と上司が言うところがある。 今回はここが印象に残った。結局彼女を支えるのは仕事なんだ。そして主人公が求められているのは仕事をすること。

さて、草でもむしろう。


2007/5/15 
07婦人会旅行

恒例の春の旅行。今年は築地場外市場での買い物と、劇団四季の「キャッツ」と、沼田の樹葉亭で夕食という計画。役員ではなく連れて行ってもらうので気が楽だが事前にネットで検索したところ、数軒のすし屋以外は日曜、祭日は休業と出てくる。予想は的中。
シャッターが閉まったままの場外市場は十分も歩いたらすべてを廻りつくした感じ。そこで個人でとる予定の昼食を済ませ、みんなで銀座に移動。歌舞伎座の前をとおり和光の交差点で一時間の自由行動の開始。懐かしい教文館ビルへ。静まり返った店内にずらりと並んだ本。沼田の本屋にも並んでいる同じ本だがなぜか皆すらりと手に取るのを待っている。そこでずっと探していた、河出文庫の「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」を発見。手帳に名前だけ書いておいたけどどうしてこの本がほしかったのかも忘れていた。ほかの数冊ほしかったけど見つからずにいた本を確認し、あとで注文するために値段を確認して時間まで立ち読み。

キャッツはシャム猫とグロウルタイガーのやりとりとか、こどもの絵本がそのまま歌になって出てきて感激。

銀座に移動する途中で見たローズマリーの生垣。普段は出来ない近所の人たちとの情報交換。とくに今年計画している作物。初めて挑戦する花や野菜の希望を聞くことが出来てとても参考になった。こうした行事に参加すると自分で計画した旅行にはない偶然の発見がある。

さていよいよりんごの開花。

2007/2/22

18日に新治に行ってきた。昔から伝わる民話を片品でも残したいという林さんに誘われての先進地の視察。新治は確かに進んでいた。「たくみの里」は初めは4.5軒だったというがもう20年近い。広い平らに点在するいろいろな体験施設を巡り、野仏を巡る散策コースは自分のペースで体力に沿った過ごし方が出来る。今回は案内して下さった方のお知り合いで一番初めから営業しているという「和紙の家」に寄った。紙を漉く前に天然素材で染める。一回一回違う色合いになる天然ならではのやさしい仕上がり。

せっかくだからとアジサイで名高い泰寧寺に行く。ここの山門の天井はすごい。石段を登って見に行くだけのことがある。林さんによるとこの山門の十二本の柱のうち、十一本が一本の欅からとられているそうだ。それもすごい。とうとう、木槌で板を叩いて案内をこい、本堂も見せてもらった。古い欄間やしゅみ壇、裏張が透ける襖に書かれた龍の絵、近年寄贈された彫り物。「地域にこんなお寺があったら誇りだなあ」というのが感想。それは建物や石段に勝って案内してくださった若い和尚様によるもの。

お昼を食べるべく「まんてん星の湯」へ。合併しても村長を続けている方がいかに力のあるリーダーかと思わせるいくつもの橋を通る。広い道の脇には誘致された企業。村内に広い温泉施設が二箇所。地元の人が百円で入れる温泉が一つ。そうした施設には女性のグループが造る味噌、漬物などの加工品、新しい乳製品、そして農産物が並ぶ。

「まんてん星」の隣の民話の家で常設の影絵、紙芝居、ビデオの昔語りを観た。併設されている大衆演劇などが上演される350席のホールには、もとの「三国館」から移設された天井板や柱が使われているそうだ。そんな昔からこんな田舎に芝居小屋があったことが驚きだった。

一番楽しみにしていた「与謝野晶子紀行文学館」へ。充実した展示物の数の多いこと。驚いたのは鉄幹との間に12人の子供を生した事。失意の夫をヨーロッパに留学させ、その人恋しさに船の旅もものともせず自らもこどもを預けてまで地球の裏側に追いかけていったこと。明治という時代が一気に近くなった気がした。与謝野晶子という人をここまでに紹介してある熱意が伝わる。館長さんによると新たに歌碑を造ろうという話があるが二人の歌碑をそれぞれ造るというので、それなら二つを添う形で建てるように言ったそうだ。離して建てては心が宿らないというように話していた。

塩原太助という人は新治の出身。「あお」という馬と別れた後江戸に出て財をなした人だと思っていたが、この人の偉いのはそのお金を人の為に使ったことだった。悪路でみんなが困っているというので「無縁坂」(湯島)を改修したり、かつて自分が江戸に来るのに難儀した峠に「接待所」を設けたり、遠く四国だったか丸亀藩の海に灯台を作ったりしているのは初めて知った。

実に勉強になった一日だった。



2007/2/9

 倉本聡のドラマで「優しい時間」というのがあった。二宮和也が主役だった。そのドラマが重い話だったので今やっている「拝啓、父上様」はどんな内容なのか心配していた。それがぜんぜん違った。雑誌などでもコメディと紹介されていたが、ほんとうに気軽に見られる。主人公の気楽な妄想に突っ込みながら楽しんでいる。

でも本当はどうなんだろう。実は先日、こどもと本屋で待ち合わせた空き時間に少し立ち読みしたので結末を知ってしまった。話がどう動いていくかだいたいわかる。そうすると逆に細かい台詞や動きが意味を持って見える。昨日は八千草薫の演じる女将さんの様子が少しおかしかった。迎えに来た竜さんとの受け答えが普通じゃあない感じ。来週の予告でもちょっとそんな感じが見えた。同じ時間帯で去年やっていた「Dr.コトー」で泉谷しげるの演じる一人暮らしの漁師がコトー先生に、酒に酔って寝てしまいながら「俺の老後は頼んだぞ」とつぶやく台詞があった。「みんな老後が不安なんだな」とそのとき妙に納得した。

話は戻るが「拝啓、父上様」の一平(二宮クン)は16才で板前の見習いに入ったことになっている。中卒だ。だけど先輩や地域の大人を見て「男ならこうあるべき」というはっきりした価値観を持っている。これは高校ではなかなか教えない。昨日は周りからはわがまま勝手だと思われている若女将が実は一人で苦労を背負い込んでいることがわかった。ひとは余所から見たのでは解らないものだ。

2007/1/18
 
今年は時間があるので新聞でも何でも読んでいてわからない言葉があったら調べることにした。メールマガジンを読んでいてわからない言葉があったときは簡単だ。字が読めなくてもその部分を右クリックでコピーして、ネットで辞書ツールを開く。検索窓に貼り付けて辞書を選んでやればたちまち答えが出てくるというものだ。字が読めなくてもいいとことがすごい。結構字を知っているほうだと思っていたが知らない字も言葉もあるものだ。融通無碍という言葉に出会った。この文はWordで書いているので一回で変換されるが見たときは読み方も解らなかった。賢い辞書ツールのおかげで「一つの見方、考え方にとらわれるのではなく、自由にものを見、考え方を変え、よりよく対処していく。」ことだと覚えた。ある引用では「水の流れるように自由に」と書いてあった。

 「西施の顰みに倣いて」という謙遜するときに使う言葉もはじめて知った。中国春秋時代の美女だった西施が胸を病み顔をしかめている様子を見た醜女が自分も顔をしかめたら気味悪がられた故事に由っているそうだ。

 知っているようでいて知らない言葉もある。カタカナ語に多い。「メディア・リテラシー」は情報メディアを批判的に読み解いて必要な情報を引き出しその真偽を見抜き活用する能力のことだそうだ。単に情報を評価、識別する能力ともいえる。一般にもたらされる情報は正しいものばかりではない。また、様々に歪められたり、故意に隠されることも多い。ということを知っていてニュースを見なくては。

 高校を出て免許を取ったら、もいう勉強はなしだと思っていたのは大間違いだった。


2007/1/10

 杉山経昌という人については主人がブログに書いているがこの人の本を見つけたのは私だ。
 「農で起業する」というその本のなかにさりげなく書いてある。「日本ではほとんどのシステムが政治献金をたくさんする産業の要請で構築される。消費者の要請はつねに行列の一番最後に並んでいる。だから誰もシステムを信用しない。たとえ正しく作られたシステムでも、それを作り出した政治システムゆえに疑う。悲しいことだ!」言いえて妙ではないか。私もずっとこれを考えていた。うまく言葉にすることは出来なかったけど。頭の中にわだかまっている考えをこんなにはっきり伝えることが出来る文章能力をなんとかして身に着けたい。


新しい年になって           2007/1/6

 去年は、十年以上ぶりに冬のバイトをしない暮れだった。おかげで毎年の心残りになっていた年賀状をきちんと出すことが出来た。

 年末ジャンボ宝くじがはずれて、今年もしっかり働けということらしい。今年は春にワインをつくるのでそれをどう売っていくか模索中。

 十二月に草津にある片岡鶴太郎美術館に行ってきた。作品の中に「生きているのに死んでいるような人がいる。死んでいるのに生きているような人がいる・・・」といった内容の詞があって心に残った。NHKの紅白で歌われた「千の風になって」にもあるが死んだ人は何処に行ったんだろう。歌では「お墓にはいない、風になってあなたの周りを吹いている。」と言っている。元旦に何も読むものがなくて埃だらけの「アンの娘リラ」を取り出した。何度も読んだ本だ。私が一番好きだったウォルターが第一次世界大戦の前線に出て死ぬ。「笛吹き」の詩を残して。リラは兄の死を彼が最後に残した手紙にあった約束を果たすことで乗り越える。ウォルターの身体はヨーロッパのどこかに白い十字架の下にあるけれど心はいつも一緒にいると。年末年始はそんなことを考えていた。
 そういえば、紅白を見ているとき象徴的なことがあった。私は布施明が「イマジン」を歌うので見たいと言ったが主人は格闘技が見たくて画面をWにした。「イマジン」の横で殴り合い。

 バイトに出ないのでいっぱい本を読もうと、これも十年ぶりくらいに沼田の図書館から本を借りてきた。暮れにやり残した掃除もしたい。目標を持って今年をはじめます。


2006/7/25

尾瀬報告

尾瀬ヶ原

ニッコウキスゲのときに尾瀬に行きたいと思っていて今回、ようやく果たすことが出来た。主な目的は冬の間尾瀬ドーフで一緒に働いていた晶ちゃんに会いに行くこと。特別ガイドに貴泰を頼んで。ジブリの「ゲド戦記」の記事が載っている雑誌、梨木果歩の「西の魔女が死んだ」の文庫本、ざるドーフ一つ、渡辺製菓のパン一個、それと私が朝収穫したトマト、主人が集めたブルーベリーそれぞれ一回食べる分。これだけを届けたいと背負って行った。トーフを貴泰が持ってくれたのでぐっと楽に。ここ何年か尾瀬に行くというと婦人会の奉仕作業でいくばかりで自分で楽しみで行くという機会はなかなかなかった。大雨の被害の報道が続き、片品も被害こそ出ていないが山肌が露出しているところや、河川の増水には自然の脅威を感じずにおられない。こんなときになにも尾瀬に行かなくてもいいのにというかんじだったが、聞けば、木道は水につかってもいないし、行こうとしている日は予報も曇りなので大丈夫だろう、と準備した。

 ところが行ってみるとなんとこの日だけ晴れ。奇跡としか言いようがない。午後になってちょっと雲が出てきたが雨は落ちずに一日快適だった。 

 婦人会の行事というといつでもそうだが、漬物の品評会になる。おのおの自慢の漬物をタッパーに詰めて持ってくる。去年、横田代に登ったときもそうだった。果物や、煮物も背負って行く。確かに山の空気の中でペコペコになったお腹にはそういうものはうれしい。ただ、尾瀬は入れ物が空いたからと捨ててこられるところではないので、限りなく荷物と自分の体力のバランスを考えなくてはならない。漬物の水分、煮物の汁も撒けるわけにはいかない、そういうところなのだ。今回もすれ違う人が荷物のほかにゴミの袋を持っているのに多くであった。レジ袋にペットボトルや、お菓子の袋などを入れて別に持っている。ゴミも自分の荷物の中に、持っていったものは持ってくるもの、そういうところなのだ、尾瀬は。それを強く感じた。私もお土産ではあったけどトーフの箱と保冷財、それに本が入っていた袋は持ってきた。雑誌の付録も邪魔になるようなら持って帰ろうと思ったくらいだ。荷物になるからと財布も、いつもいっぱい入っているレシートやカード類まで家に置いていった。帰りは雨具と水とチョコレートだけの荷物で軽々帰ってきた。

山の鼻の先には杜若の群落があり、竜宮から帰りに回ったヨッピ沢の方にはキスゲとワタスゲがコントラストを作っていて見事だった。まさに「楽園」と言う感じ。湿原の池塘にはイモリがいた。ちょうど前日、ラジオで倉本聡がゴルフ場を森に復活させようとしている話をしていたがここは壊さないまま次代に受け継がなくては・・・と強く思った。

今度は大清水から入って尾瀬沼に行ったり、またアヤメ平に登ったりしたい。




2006/7/6
西遊記の案内を兼ねて白沢のアライトマトランドさんに行ってきました。
畑はすっかり整備され、休憩所の脇に手作りの水車ができていました。トマトと野菜はお薦めです。


2006/7/1



明日は菅沼のラベンダー摘み取り体験会。生活研究グループでは柏餅を作ります。早く売り切れるように幟を造りました。

2006/6/26

 昨日、花咲の湯で行われた尾瀬高校の吹奏楽部の演奏会に行って来た。
一年生から三年生まで20人ほどの部員が日頃の練習の成果を発揮した。尾瀬高に学校の行事などでいくといつも部室から演奏する音が聞こえている。去年は村民運動会にも演奏してくれた。花咲の湯のコンサートには欠かさず来ているという民宿みやまの恵美子さんは最初の頃に比べてもずっと上手くなったといっていた。呼吸法だけを一時間も練習する様子は運動部のようだとも言っていた。音楽でも運動でも、一つのことに取り組んで強くなったり上達するにはやっぱり自分と何処まで戦えるかに尽きると思う。大変だからと止めてしまってはそこまででしかない。今は大変なことを乗り越えなくてもとりあえず生きていける時代だけれど。

尾瀬高というと自然環境科とか、理科部とかが注目を集めることが多いがそれ以外にもみんながそれぞれ頑張っているということが伝わってきて嬉しかった。

2006/6/16

日本は少子化が進んでいる。政府の見込みはいつも甘くてどんどん危機が迫っている。なぜか。問題は親にないか。かとうかずこの台詞を待たずとも何処でもダンナさん(つまり男の子)は手のかかる長男になっていることが多いに違いない。うちも例外ではないが。女の子達はそうしたことを自然に見ていて家庭を持つことに二の足を踏む。更に結婚しても子供を産まない。教育費もかかるし、何しろ大変だからだ。今の日本には将来の夢も描きにくい。
 ところが片品に時代に逆行するようにこどもを持つ夫婦がいる。なんと六人。この時代に六人とは思いきったものだというのが一般の感想だろう。しかしよく話し合っているのかお父さんも良く子どもの面倒を見ているらしい。最近このお父さんの書いたものが雑誌に掲載された。とても感動したので引用させていただく。子育ての具体的なビジョンだ。「勉強はほどほどに他人を思いやり、男の子は正義感を持ったやさしい大人に女の子は子どもに好かれ家庭を大事にする大人になってもらいたい。」つまりこれは夫婦二人の毎日の行動の指針というわけだ。なかなか具体的でいい。片品の自然の中でもより自然に近く暮らし、目的のはっきりした子育てをする。これが一つの理想の形に思えた。

2006/6/13

長く更新しなかった。この間一つのことに取り組んでいました。それは酒類の一般小売業免許を取るということです。4月の末に婦人会の旅行で「奥利根ワイン」に行ったとき林檎亭の林檎を使ったワインを作れるという話を聞きそれなら作りたいと思ったところ作っても免許がないと売れないと言われました。そこで免許について調べ、税務署に聞きに行き、まず林檎亭を登記しなければならないことになり、法務局に行き、登記について調べ、役場に行き、必要な書類を揃え、大工さんに書いて貰ったり、昔の図面を引っ張り出したり、結局現況の図面は、プロに頼むことにして一緒に巻き尺を持って計ったり。その間に自分がいかに世間から離れているか思い知ったり、お役所仕事に腹を立てたり。とにかく書類は提出し、あとは免許が下りるのをまつのみ。とりあえず平均二ヶ月はかかるというのでおとなしく待つことにしました。一般小売業免許では群馬県より外に通信販売するとこができないし、ネットで直接売買できる免許を取るには実績が必要と言うことでしばらく先になりますが。だいたい美味しいワインができるかちょっと賭みたいな所ですけど。そのためにも林檎の仕事に力が入ります。

2006/5/20

捜し物をしていると必ずはまる物がある。もちろん、本。今日は「ダヴィンチコード」を探していたがずっと昔に買った宮崎駿の「シュナの旅」という「もののけ姫」の原点のような本が出てきた。最近見かけないけどどこに置いたかなと思っていた本だ。ついでに萩尾も都(う〜んもはどんな字だったか思い出せない)の「メッシュ」さらにかったあと一回きりしか読んでいない「ミヨリの森」。結局「ダヴィンチコード」は見つからないけど。誰かに貸したのかな。ミヨリの森なんて全体に暗い感じの本だけど「環境と人間」とか「食育」とかすっごく今の問題を扱っていて面白い。やっぱり人間は住むところに依ると思う。片品は住むには適してます。
さてさて、ハリーポッターも読み終わったしそろそろ仕事モードにシフトしなくては。第六巻は読みやすかったです。ハリーが血を流すところも少なくて、どちらかというと七巻につなげるというかハリーを廻る人間関係に主力が置かれて、だんだん大人になっていくのが頼もしい。それにしても「例のあの人」もマルフォイやハリーも誰も子どもか、どんな血を引いているかに結構左右されるのはイギリスというお国柄なのか。ところで謎のプリンスはセ☆☆☆でした。あ、失礼。

2006/5/15

今朝の霜は凄かった。最近にはない遅さだった。去年などは4月の末にしか霜はなかった。そんなことで油断していた。今のところ被害はないが朝起きて車の窓が白くなっていたこと、畑が一面白くなっていたのには驚いた。きのうとうもろこしを植えなくて良かった。
様子を見るためもう一日とうもろこしを植えるのを延ばすことにする。ハウスの中は3度まで下がった。苗は別に異常はなかった。

2006/5/7

雨が降ったのでハウスの中でトマトを拡げる作業をした。24日に来た苗はすくすくとだいぶ大きく育った。今年から接木の苗にしたので少し勝手が違う。ポケットラジオで日曜討論を聴いていたら医療制度改革について討論していた。高齢者の窓口負担を増やすという改革らしい。70から74のお年寄りの窓口負担分を一割から二割に増やす。「まあうちのおばあちゃんは87だから当てはまらないね。」と思ったが、なんとあと12年で主人は70歳。がっちり当てはまってるじゃない。しかもこれは2011年までの処置。それをすぎたらもっともっと増やされるかも。安心して年もとれないねまったく。
 私がさだまさしの詩が好きだということをいつも主人にひやかされていた。だからなんとなくひいていたんだけどもうこの年だし、すきなものはすきいいものはいいと言っていいと思う。最近の詩は知らないが「償い」や「掌」にあった日本語の使い方、この人にしかできない言い回し。こうしたものに立ち返りたい、そう思うこの頃。

2006/5/3

今年は思いのほかからだが動かない。いつもならもういろいろ播いたり先へ先へと気持ちが急くのにどうしたことだろう。これが長男が進学で家を出たことの影響かしら。
さて婦人会の旅行で深谷市のガーデンフェスタに行ってきた。取り組みについてはいろいろ参考になることもあったし実際、花を植えることも刺激になった。中心となっている会場の何カ所かに写真を撮るのにいいスポットがあった。ベンチがあって係の人が「どうぞ座って写真を撮ってください。」と勧めてくれる。れんがで覆われコンテナガーデンが整えられたその場所がひとつ林檎亭にもほしいと思った。

2006/4/28

大変な本を読んでしまった。「食品の裏側」という今結構売れている本。セブンイレブンに届くのを待ちきれないくらいのおもいで取りに行き、丁度雨だったこともあって読んだ。コーヒーフレッシュが実は乳製品ではないこと。ハムに注射器でゼリー状の増量剤を注射するところはぞっとしたが、昨日、スーパーで安いと思って買ってきたハムを裏返してみたらそっくり糖類、大豆たん白、卵たん白、乳たん白、リン酸塩、増粘多糖類、着色料、亜硝酸Naと本に出てきた添加物がそのまま書いてあった。わお。そうか、コンビニでかったサラダがいつまでも悪くならないのはこのせいか。ミートボールが安いのはこのからくりか。挽肉買ってきて作ったらこんな風にはできないもんね。知らないで食べていたものを知ってるからこのくらいにしておかないとと、変えていこう。とりあえず漬け物は生の野菜で作ること。みそ汁のだしは煮干しからとること。はやく野菜がとれるようにならないかな。塩もそんなに安心できないし。おばあちゃんが去年播いておいたほうれん草を取りに行ってしばらくはショックが収まりそうにない。

2006/4/18

生活改善グループの利根沼田連協の総会のあと、7月17日のおやこ劇場の「西遊記」の後援依頼を出しに沼田の教育委員会に立ち寄った。市役所の受付で聞いて向かいにある中央公民館の2階にある教育委員会に行ったが何となく気後れがしてドアの前で立ち止まってしまった。丁度外から戻ってきた人がいたので用件を話した。係の人を呼んでくれたが用意していった後援依頼は受け付けてもらえず規定の様式に書き換えるようにと言われた。とりあえずそのまま、用紙を貰って外に出た。今日は出せないか。昨日のうちに決まった様式はないか確認するつもりだったのに、何となく預かったものをそのまま持ってきてしまった。片品に向かいながら「こどもの使いだねまるで」と呆れた。ユニクロの交差点で赤信号で止まった。これが私の仕事だろうか。こんな風にいつもシッポを巻いて帰るんだっけ。直進のレーンにいたのを右折のレーンに移った。ハンコがあれば出せるんじゃあないの。会長の名前の三文判があれば。あとは落ち着いて持ってきた紙から貰った用紙に書き写すテーブルとホットコーヒーでもあれば。ビバタウンの100円ショップでハンコを買ってモスバーガーに入った。コーヒーを頼んで席に着き間違えないように丁寧に書き写した。ハンコを押してできあがり。だいたい今日は妙に暑くて頭がぼーっとしてるんだよね。一枚脱いで袖をまくりいざ公民館へ。
教育委員会はドアを開けるとすぐにそこにいた人が用件を聞いてくれた。係の人は内容をよく見て、営利が目的でないか、ひろく誰でもチケットを買うことができるかを確認して審査してから通知をすると言った。そういえば第一回の公演の時もそんなこと聞かれたような。13年経っても心臓にはまだ毛は生えてないみたい。

2006/4/12

念願だった猿ヶ京温泉の満天星の湯に行ってきた。何回か近くまで行きながら休業だったりして入ったことがなかった。たくみの里で喫茶店をやっている昔の知り合いを訪ね、満天星に行きたかった。それが叶って凄く嬉しかった。途中赤谷湖畔を走ったら昔々に友達と花火を見に来たこと、まだ関越自動車道が開く前に何度も三国を超えて新潟へ行ったことを思いだした。三国峠を下りたところに珈琲屋があったっけ。帰りに回り道をして水上に抜けた。道も広く、あっという間に水上に出たので驚いた。そういえば私がこどもの頃は水上は有料道路だったんだよね。道は変わらない。辺りの景色は変わったけど。街も進化してる。私も成長しなくっちゃ。

2006/4/10

耕介の入学式に行った帰りに山種美術館に行った。千鳥ヶ淵の桜は半分ほど散ったところでまだまだ花見の人で賑わっていた。その流れか美術館も人出があってあまりゆっくり見られなかったのが残念だった。雨が振ってきたり日が射したりと落ち着かない天気に閉口しながら地下鉄の麹町駅まで歩いて有楽町に行きシネスイッチ銀座に行って「かもめ食堂」を見た。場所を確認してから時間をつぶしに歩いていたら緑でいっぱいのtearoomを見つけた。地下にあるのに緑であふれていた。そこでお茶を飲んでいたら開演の30分前に戻ったというのにすでに立ち見になっていた。それでもせっかく来たのだからと映画を見た。東京駅に着いたら上毛高原に止まる新幹線が出たばかりで次の各駅停車までは一時間以上ある。高崎に車を置けば新幹線でも在来線でも何本もあるが疲れてるところに、また高崎から運転するのを考えて上毛高原に車を置いてしまった。30分ばかり本屋をひやかして出発ホームに並ぶ。
千鳥ヶ淵から麹町の駅までの道の静かなことと池袋の街の汚さ。対象的だった。ただこの間の引っ越しの時も感じたけど地方から出てくる人が多いせいか池袋の店は結構親切だと思った。

2006/3/29

雪が降った。仕事にならないので映画を見に行った。前から観たかった「ボピーとディンガン」。貴泰がついていくというので始めてETCをつけた乗用車に乗った。この車を運転するのは三度目。。白沢より先に行くのは始めて。高速にはいるところでETC車線に入りながら通行券を取ろうと一旦停止してしまった。「後ろから来てれば追突されるよ」と助手席の貴泰に怒られる。風が強く、流されて大変。前橋インターを高崎方面に出て合流できずに後ろから来たトラックに入れて貰った。走るのはいいけど駐車が心配な初めての車。東口の駐車場の一番止めやすいところが空きそうなのでそれを待って止める。帰りは貴泰の目当ての弓道具店を目指す。ナビがあと300bと言っているのにすぐの信号で曲がってやり直し。ところがもう少しというところで「案内を終了します。」と言われてしまう。見たところ周りにはない。しかも一方通行。路肩に寄せて歩いて探すように子供を降ろす。目的の店は次の路地にあった。自分がナビやETCに慣れなければ、何度も使って覚えなくてはと思った。

2006/3/24

 私もWBCの50パーセントを越えたという瞬間視聴率の一端をになっていた。貴泰とすっかり本気で応援していた。途中から見たのでリードしていたが川崎のエラーや滑り込んだときの際どいタッチにハラハラドキドキ。「大塚はパドレスにいたからここが本拠地だったんだよ」とか俄仕込みの知識を披露して一緒に優勝を喜んだ。それにしてもパリーグの選手が多いせいか本当に聞いたことのない名前が並ぶ。松中とか西岡とか全然知らないし。上原と松坂とイチローぐらいしか知らないのだからひどいものだ。
 実家の両親が巨人ファンだったこともあって昔遊園地に行った帰りどこに行くか知らされないまま、まだドームになっていなかった頃の後楽園に行ったことがある。外野席の上の方だったからよく見えなくて飽きてトイレに行ってる間に王選手がホームランを打った。 中学の頃、ラジオを聞くのにナイターが始まると妙に大きく入る韓国語か、野球かしかなくて結局野球を覚えた。いろいろなことに関心を持てば世界が広がるというものだ。
 
2006/3/10

 いつも春になって桜が咲くと「ああ、また一年生きてしまったなあ。」と思う。無為に。怒ったり、笑ったり、がっかりしたり。そんなことに取り紛れているうちに時間だけが過ぎていく。自分であることに精一杯で大切なことを気づかずに来てしまったような。漠然とした後悔。
 ただ今年は梅や桜を見に行きたい。そんなふうに思う春。

2006/3/2

 なぜか休みの木曜日に限って学校の用事が入る。先週は授業参観とPTA総会。今週は学校保健委員会。一年生の学年委員長さんとしては参加してくださいと言うことで行ってきた。二時からの会議では保健室を利用した生徒の内訳と分析。とにかく多いのが虫さされ。そこで体育館の夏が異様にアブが多いことが判明。アブは夏の校庭でも大量発生しているらしい。そこへ参加した薬剤師の方から発生する夏ではなく卵のうちに発生源を突き止めて薬剤を散布しなくてはならないと意見が出された。あとは今年度、頭髪や、ワイシャツの丈のことで指導を受けた生徒がやったどぶさらいがどの程度の効果をもたらすか期待することで決着。
保健室の利用でダントツに多いのが相談。異性や人間関係の悩みから学習についての相談まで保健室に持ち込むらしい。校長先生からは「今はどこの高校にもあることなんですよ」と説明される。。いわゆる保健室登校は含まれていないのでこの件数はかなり多い。しかも10分以下の相談はカウントしないというからそれを含めれば先生は大忙しなわけだ。保健の先生が若くて相談しやすそうに感じるのがやはり生徒を引きつけているんだろう。相談係になっている口ひげを蓄えた男の先生の所には一人も相談に行っていないことからも窺える。それをまた月別に、相談の内容毎に統計を取っているのだから凄い。
 会議は40分ほどで終わり三時からはネモト心理テストセンターの根本樹宏氏の講演。脳のマッピングの話やら、鬱の話。痴呆症の話。どういう事をすると前頭葉が活発化して受験にも役立つかなど、タイトルの「生徒の心の健康・・・」と言うこととはちょっと離れたかに思えたが実に興味深い内容だった。任天堂DSの話題のソフトより自分の作ったテストの方が認知症に効き目があるというおはなしだった。
 最近進んだ研究で脳のどの部分がどういう働きをするかがだいぶ解明されてきた。その研究にアメリカの犯罪者の脳を研修したものやイラク戦争で傷ついた兵士を治療する過程でわかってきたことも多いという話だった。講演はわかりやすく具体的だった。

2006/2/27

ずっと昔読んだ本で、普遍的無意識とかいうのがあった。「民族がその歴史や風土から培った全体の意識の下の合意」みたいなことだったと思う。何かを考えるときいちばん良く考えられる人が考えた事が民族全体の考えになって今度はこっちの人の考えに沿って進歩し次はさらにその上をいく考えを持った人の優れた考えが国をリードしていけば凄いんじゃあないかと思っていた。しかしそうはいかない。一人一人考えがあって自分の考えに従わせようと思えば相手を負かさなければならない。誰かひとりが優れていても社会全体が進歩するわけではない。いやあそこにもここにも優れた考えを持っている人がいてそれが足し算されてどんどんすばらしくなっていけば・・・


2006/2/20

私がスマップの面々を好きなのにはわけがある。ずっと昔木村拓哉が何かのドラマの収録に本読みから全ての台詞を覚えていてたと老練の共演者が言っていたのを聞いてからだ。アイドルはただキャピキャピしてかっこつけてればいいのかと思っていたがアイドルを続けて行くにはすっごい努力がいるんだなあとそのとき思った。周りのちやほやするのに惑わされず足を地につけて努力を積み重ね、常に勉強し、自分を磨かなければ捨てられてしまう。大変な仕事だと思った。香取慎悟が英語を勉強し、草g剛が韓国語を話せるようになったのも驚きだ。バク転と歌だけではやっていけない。
誰でも毎日努力しなくちゃ。

2006/2/13

原田の失格は痛かった。次々と脚光を浴びる若い人たちの中でこの歳でも世界の舞台で勝負できるんだと思いたかった。
 ホリエモンの失脚は起業に進路を求めた若者にはどう映ったのか。マスコミや自民党が手のひらを返す様をこれほどに見せつけられて、価値観を見失わないでいられるだろうか。悪いこととはなにか。儲かるとわかっていても紳士なら手を出さない、そういう昔ならあたりまえだったことが当たり前でなくなってきた。と嘆く論調があるがそういう考えに甘えていたのではなかったか。地震で倒れるような建物を建てるはずがないと思って審査を怠ったり。いみじくも立ち退いた被害者が言っていた。「役所の考え方が性善説の上に成り立っている。」と。
どうしてニュースにいちいち反応するのかと言われる。株なんて持ってないのだから関係ないと。昔そういう考えだった。いつか、沼田のちぐさ幼稚園の亡くなった園長先生と話したとき「世間のことをちゃんと知らなければダメだ」と言われた。そのころ話題だった原辰徳選手の結婚のことを私が知らなかったふりをしたときだ。なにか印象に残る言い方だった。

2006/2/5

  理不尽な思いを抱えた一週間だった。しかしなにもかも納得のいくことばかりの人生のはずがない。悪法もまた法なりと言ってソクラテスも毒をあおいだのではなかったか。
 今年は春にハリーポッターの本の発売がある。
 また7月にはジブリの新作「ゲド戦記」の公開もある。それを楽しみにしてH.P.を開いてみたら制作日誌などが実に細かく書かれていてすてきだ。ますます楽しみになった。「自分ばかりが大事になってしまった現代において、どういう映画を作るべきか。」から始まった企画に期待しています。
 私でも今に生を受けたには訳があるはず。この時代にあって私には何ができるのか。


2006/2/2

今更ながら太陽の力は凄い。昨日の霙から一転、晴れ渡った今日一日で国道は沼田までほとんど雪が無くなった。途中、椎坂峠では壁面から落ちた雪を片側通行止めにして除雪していた。止められたときにちょうど太陽が当たり木の枝についた雪やら氷やらがキラキラと光って輝いていた。雪国にいなければ味わえない美しさだと思った。
最近、見たい映画が多い。「ミュンヘン」「単騎千里を走る」「オリバー・ツイスト」どれも見たいがしばらくはおあづけ。本の方は戸棚から「裏庭」(梨木果歩)を見つけてまた読んだ。作者の初期の頃の作品に対する思い入れや一生懸命さが伝わってくる思いがする。今年は、ハリー・ポッターの発売もあるので楽しみだ。自分で見たい本や映画があるうちは大丈夫。これがなんにも見たくない、何も読みたくない状態になったら要注意。
 下記の頭痛は解消に向かっています。スカイ診療所でCTを撮ったところ異常のないことがわかりました。目下肩こりをほぐす体操を実行中です。また、春の健康診断に向けて体重を少し落としたいと画策していますがいかがなります事やら。


2006/1/30

 土曜日から頭痛が続いていた。夜中あまりの痛さにに泣いた。隣で寝ている主人が救急車を呼ぼうかと言うほどいたかった。何度目かの鎮痛剤が効いて眠った。朝もまだ痛かった。痛いところが熱があるように感じた。炎症かもしれないと思った。心なしか耳が腫れているようにも感じた。仕事を早退して日曜だけど医者に行った。自分では運転できなくて連れて行って貰った。CTをとるのか、もしかして入院するのかと思った。急患室で診て貰った。熱はない。内科と思われるお医者さんはチラっと私を見て肩を触り、住所を見て「肩こりですね。雪かきしすぎじゃないの。」と言った。確かに脳がどうかしているにしては字も書けるし話もできる。看護婦さんが血圧を測るとこれは高い。153の111。結局、鎮痛剤を貰って帰った。「今は、頭痛もあって高いのかもしれないから、家でもときどき計ってください。血圧を下げるためにも適度な運動をしてください。もし直らないようなら診療所に行くように。」と言われた。
主人が良く行く整体にかかって温泉に入って帰ってきた。去年買ったまま開いていなかったヨガの初心者向けの本を開いて体操をした。
 寒さのために固まってしまっていたのは私でした。

2006/1/13

暮れから正月に掛けてテレビで盛んに東京三菱銀行がUFJ銀行と合併しますと伝えていた。私には全く関係ないよと思っていた。ところがほぼ毎月振込をする先が東京三菱銀行だった。もう、ずいぶん前に振込カードを作って使っているので銀行の名前は忘れていた。それが今回振込をしようとカードを入れたが機械が振込銀行を聞いてくる。そこで東京三菱と入れようと五十音表から「ト」を選んだがそこに東京三菱銀行が出てこない。「なぬ」とホントに思った。
もう一回戻っても「トマト銀行」や「徳島銀行」はあるのに東京三菱銀行がない。だいたい東京三菱UFJになったんじゃあないのか。始めて機械の横にある受話器を取った。事情を話すと東京三菱はUFJと合併して三菱東京UFJになったから五十音表が出たら「ミ」を選択してください。ということだ。あんなにコマーシャル・メッセージを見ていたけど三菱が前に出たことには気づかなかった。請求書を持って行っていたので一から入力し直して新しい振込カードを作った。
暇な日で良かったと思った。

2006/1/9

今日は晴れ。ようやく物事が考えられるようになった気分。
昼前は掃除をして、午後は花の駅に今年初めての温泉に行く。ちょっと込んでいたがゆっくり暖まった。最近出会った宮沢賢治のすてきな詩を紹介します。
  
     あそこの田はねえ
             宮澤賢治
これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
きまった時間で習うことではないんだよ
きみのようにさ
吹雪やわずかな仕事のひまで
泣きながら
身体に刻んでいく勉強が
あたらしい芽をどんどん噴いてどこまで延びるかわからない
それがあたらしい時代の
百姓全体の学問なんだ。
ぢゃ さようなら
雲からも風からも透明なエネルギーが

そのこどもにそそぎくだれ

2006/1/8
新年あけましておめでとうございます。
大雪の年明けになりました。今年も林檎亭と星野典子をよろしくおねがいします。

暮れから例によって尾瀬ドーフでバイトをしています。新しい人と出会ったり、何より世の中に出るのはいいものです。
暮れに尾瀬ドーフには新しいコピー機が入りました。ファクスが送受信できるので複合機だと思います。今までのと違いコピーやファックスは原稿を上向きにセットします。仕上がりも早いです。これがしゃべります。「ファックスを受信しました。」とか「プリントを終了しました。」とか「原稿が残っています。」なんて言います。私は「ご苦労様」と答えます。今日、できあがりが気になって出てくる前にコピーを取ったら、「コピーが飛んでいきました。」と言ってました。
世の中に自分の知らないことがいっぱいあるのは楽しいことだと思います。今年は、本を読もうと思い、新年早々、二冊買ってきました。早く読み上げて感想をアップしたいと思います。





2005/12/21
片品は沼田に比べて格段に雪の量が多いが、除雪の体制が整っているので沼田より道はいいですよ。というのが私の自慢だった。ところがこの例年にない積雪には流石の片品の除雪体制も追いつかないかと先週の土曜日には話し合ったものだった。予算も削られ、出動するには積雪が一センチ足りないといった状況が去年もあったとかいわれた。しかし、日曜の夜から降り続いた雪がやんだ昨日、道路は平に除雪が行き届き、ロータリーの出動で道幅も確保され、半日日が当たればすっかり乾いた路面を普通に走ることができるまでに整えられた。あとは日陰の残っている雪や溶けたのが凍った路面を徐行で乗り切ればいい。用事は昼間のうちに済まして凍り始める夕方や特に歩行者が道に出る時間帯には走らないようにする。時間に余裕を持って家を出て、除雪車が道をふさいでもいてイライラしなくても済むようにする。
片品は観光で生きている村ですからスキー客の誘致のためにも除雪の徹底は基本だとおもいます。
降ると夜中働いている除雪の皆さんにお礼を言いたいです。


2005/12/19
これは下小川の須藤金次郎さんが作っている木酢液の中で、いちばん良く蒸留してあるもので飲料に使います。コーヒーなどに一滴たらして飲みます。一年ほど使っている人は白髪が目立たなくなったそうです。試してみようと思い買ってきました。今買うと小分けできる瓶(スポイト付き)がおまけだそうです。


2005/12/12


今年の反省。一番は作ったのに物にならなかった物達。ひとつはスティックブロッコリー。あとから播いた方はほとんどとれなかった。ズッキーニも畑が遠かったこともあって特に後口のアラジンはダメだった。播く時期をもっと遅らせて店に並べられるように播かなくては。今日、おばあちゃんに片付けたか聞かれて思い出したのが大豆。播いたまま鹿に喰われ、収穫にならなかった。もっともこれは私のアイデアではなく主人の思いつき。枝豆で売ろうという考えらしかった。収穫にならなくても鹿よけに張った網を片付けるのを今日の今日まですっかり忘れていたからひどい物だ。
売るにはやはり播くのが早すぎたのがセロリ。これは春播いたのが今でも食べられる。夏の間は硬くて生で食べるのは難しい。今頃のはちょうどいいけど雪をかぶってしまった。写真は雪の溶けた合間に収穫したセロリを甘酢に漬けてみた。ピクルスのようで美味しい。ひと瓶詰めて楽しみにしていたら店で飲み会をした人たちに食べられてしまった。漬けた翌日だったけど味は付いていたのかなあ。


今年は今までになく加工にチャレンジしました。青唐辛子の三升漬けは、来年まで楽しめそうです。あとから漬けた方は店に置いてあるので寒くて発酵できないみたいですけど。
カボチャのパイや、タルトも作りました。タルトはやってみたら思いの外簡単で何回か作りました。ただカボチャを消費するにはあまり役立ちません。少ししか使わないので。
農業でいきていくならやはり加工は避けられない選択だと思います。下仁田の五人の生活研究グループが開発した下仁田ネギを使ったドレッシングは特に際だって美味しいとかではないけれど原料がわかっているだけに安心できるから他の物よりも選ばれると思う。
何か加工品を開発しなくては。それと手を抜かず手間を惜しまずにいい作物を育てること。これが来年の課題。


2005/12/5

先日の大白祭の慰労会ということで岩鞍リゾートホテルに行って来た。尾瀬ドーフの社長の講演、そのあと昼食。食事は何品もあって豪華だった。久しぶりに尾瀬ドーフで働く人たちと話した。社長の講演の中で「全ての失敗は原因は自分にあること」、「売る物の品質は高く保つこと」などの話が印象に残った。
品質といえば先週の「危険なアネキ」の中にタイムリーなエピソードがあって驚いた。宮崎の潰れた芋焼酎の会社を復活させたい姉弟にスポンサーが現れる。初めは大喜びする姉弟だがやがてスポンサーが考えているのはいかに売るかであって瓶の中身に関心がないことが露呈する。焼酎は東京で造るからと宮崎の職人達を断る。要は中味は何でもいいということだ。これにはそれまで焼酎の事には消極的だった弟がスポンサーに断りを入れる。
時流に乗った販売戦略では一時は売れてもやはり長くは続かない。問題は瓶の中身だ。焼酎なら原料となる芋、その土地の水、空気、人の手などがその味を創り出す。全ての農産物、加工品にいえることだと思う。
社長の話の中にも片品の大地がいい大白大豆を作っていると言うところがあった。ますますいいものを造って片品の誇りにしたいと思った。

2005/12/3

そろそろ今年の反省をしなくてはならないがもう少し努力の時期を猶予させてもらってもっぱらテレビ漬けの毎日を送っている。昨日は「ハリーポッターと秘密の部屋」を見てしまった。今日は「野ブター」を見た上に「終わりに見た街」も見てしまった。
実はこれが最初に放送されたとき(まだ高校卒業後何年目か)ぼーっと見ていた私は
エンドロールの中に知ってる名前を見つけて驚いた。
特殊メイクのところで中学の同級生の馮啓孝さんの名前が流れた。
これは日本では同姓同名とは考えられない。星野典子じゃあごろごろいるけど。
馮さんがメイクの道に進んだのは知っていた。しかしこんなに早く一線で活躍するようになるとは。
その後も活躍はめざましい。同級生が活躍しているのはいつでも励みだ。

2005/11/24

先日、婦人会のミニバレーボール大会の打ち上げで7人ほどで食事をした時のこと。そのなかで一番の農家の奥さんが言ったこと。「こどもにはとても百姓はさせられない。」「え」と思ったけど言い返せなかった。白菜の値段が低く安定した頃に比べとうもろこしの産直とりんごの売店で野菜を売ったりするようになってこんなに売り上げが伸びたんだとか、消費者との直接の相対はこんなに励みになるんだとか具体的な数字を示して話したかった。そこにはこれから百姓を始めようとする人もいたのに。
声の大きい人に負けてしまった格好だ。私自身も大まかな手応えは感じているが直売の良さを説得力を持って説明するには至ってない。
ただ今日、一緒にその場にいた人と話してみてやはりこどもに云々よりも本人がまず百姓に魅力を感じていないことが問題なんだと思う。楽しく仕事ができないことが。
何年か前、片品は大根で名前を取った。ひと朝、何十万という収入になったという。人を使い、大きくやることがもてはやされた。早起きを競い、出荷量を競った。今でもちまちました儲けの話の時には「そんなくらい大根がチョット良ければ」と軽くいなされてしまう。しかし多分もうそんなときはこない。あっても半年作って十日か二十日だ。それでは半年分の人件費、資財をまかなうには相当頭を痛めなくてはならない。

ちょっと説得力に欠けた意見だけど百姓もそんなに悪くないと思いますよ。

2005/11/19

婦人会の役員をしているのでついでに一区の「小さな自治」の委員をしてます。
昨日は利根沼田県民局の局長さんが来てそもそも小さな自治とは何か話してくださいました。
つまるところ小寺群馬県知事の推奨する「小さな自治」とは村や県といった大きなくくりでなく菅沼や
学校区のような顔のわかる地域の中で多種多様の構成員の意見をくみ上げ実行していくこと。
地域が新しい時代に即した連帯づくりをしていくということ。
それにははっきりとした目標の設定など地域がまとまった意思を持つ事だといってました。
いずれにしても大切なことは個人が自分にできることを地道にやっていくことです。
成果を見るまでには根気がいります。

会議は二時間半ほどでしたが雨戸を閉め切った会議室でストーブを燃やし、
幾人か愛煙家がいたこともあって途中、苦しくてたまらなくなり窓を開けられないかときょろきょろしていたら
司会の人が換気扇のスイッチを入れてくれドアを少し開けてくれたので助かりました。

2005/10/1

沼田に住む陶芸家の吉沢恵介さんの作品です。
「ぺったんこ」という題です。林檎亭にあります。







2005/8/14 今年初めての失敗

今年は発送の失敗をなくそうと大きなカレンダーを作った。一日一日に、先の注文で日にち指定があるものを書き込むようにした。ところが失敗は明日発送の注文だった。これには相当落ち込んだ。
その日は大口の注文をまとめて入力した。いつもは最後にその日に入力した中ですぐに発送する分を確認する。しかしその日はまず翌日発送する分を印刷しておいてその後、先の発送分を入力したので最後の確認を怠った。印刷した分だけを発送してしまった。
入力の作業はたいてい夜の仕事だ。夕食の後片付けを終え、9時頃からはじめる。注文の量にも依るがすっかり片付くのは12時過ぎになることもある。疲れてパソコンの前で寝てしまい、また起きあがって始めることもある。注文によって普通便かクールか時間指定があるか、代引きか運送会社の指定はあるかなど一つ一つ確認することは多い。これからみらいが始まると詰め合わせというのも出てくる。5kgと10kgも確認する。
今のところ発送当日に準備がづれ込むことは避けられている。毎年本当に忙しくなるとそういう結果になってもう、グチャグチャになってしまう。今でも発送済みの伝票の整理はできていない。入金の確認もしていない。だいたい入金の確認なんて毎年 9月中旬になってやっとできるようなもんだ。今回の失敗は夜になって大口の注文の入力をしようと思っていたのでお昼に来たFAXを昼休みにちょっと入力したのがそもそも元だった。そのとき、印刷もしておけばよかった。
また発送当日もお昼頃、パソコンをあけて入力した伝票を先の分まで確認して落ちがないか見たりする。発送予定日が今日なのに印刷してない伝票がないかどうかチェックする。しかしこの日はあさから番狂わせが続いた。8時までに作る野菜の詰め合わせなんてのがあった。普通野菜はとうもろこしの出荷の仕事、トマトの出荷、これが一段落してから野菜セットに取りかかる。お昼前に終わればベストだ。それが8時までという時間指定。さらに一つだけと思ってつくったら注文は二つだったことが判明。時間に間に合わせようとちょうどしか用意しなかったためもういちど全部の畑を回ることに・・・。このミスが後を引きいつもは10時に終わる仕事が11時になりお昼に終わる仕事が一時になり結局確認なんて暇はなくなった。また忙しくなって机のまわりも一杯になり、入力済みのFAXを置く場所が他の印刷したものと混ざってしまったことも失敗を引き起こした大きな要因だ。
いつでも失敗はいろいろな要因が重なり合って引き起こされtる。

ああ、たっぷり反省した。落ち込んでいても次々注文は来る。顔を洗ってまたはじめるしかない。



2005/7/28 慣れ

メガネが突然壊れた。先週の木曜日だった。予備のメガネをかけて沼田へ行った。メガネをかけたことのある人ならわかると思うが普段と違うメガネをかけるとものの見える大きさが違う。新しくしたメガネはレンズはそのままでフレームだけを変えたのだが微妙に見え方が違う。ビールの350ml缶が500ml缶に見える。「え、これ安い。」とか思ってしまう。パンやコピー用紙も大きく見える。「これが本当にA4かなあ」と納得できない。
まあ小さいキュウリを収穫して主人に怒られたのがそのせいかどうかはワカラナイが。もう少し慣れるまで注意が必要だ。



2005/7/23  ドライブ

 今日は月夜野町の農村改善センターで行われたハーブの講習会に行ってきました。大竹さんが乗せていってくれたので初めて望郷ラインを通ってみました。四月頃一度通ろうとして除雪して無くて引き返したことがありました。道は月夜野側に二本のトンネルができたこともあって片品からちょうど一時間でお昼を食べる「あすか」に着きました。ハーブの講習は基本的なことや、知っていることの確認もできてとても参考になりました。
 帰りにずいぶん久しぶりに17号のバイパスを通ったことがわかったのははじめて見る店が二軒あったことだ。しかも川場田園プラザ道の駅なんていつも行っていると思っていたら奥の方にぐーっと広がってレストランやらパン工房やらが並んでいる。そばやもあった。これには驚いた。広い芝生と川が流れ何時間でも過ごせそうだった。いつもは忙しく通り過ぎる道もたまにはゆっくり通ってみるのもいいものだと思った。



2005/7/20  レモン哀歌

  ラジオの本の紹介のコーナーで高村光太郎の智恵子抄が紹介された。智恵子の臨終の時を詠った「レモン哀歌」。売店で発送する荷物を作っていたが、中学生の時、暗唱しながら歩いた道の風景までが蘇ってきた。
特に「かなしく白くあかるい死の床で」という節や「その数滴の天のものなるレモンの汁は」というところを調子を取りながら暗唱したものだった。若い頃に覚えたものがすっと思い出せるのは不思議なものだ。そうしてラジオのレポートに頷いたり、一緒に感動したことを思い出したりするのは楽しい。
林檎亭から500bほど行った紫陽花畑の傍らでシートベルトの一斉に引っかかった。国道に出るときは確実にしているシートベルトだがちょっと農協までと思って油断していた。たまたま財布を持っていたので不携帯は免れた。「六ヶ月以内に違反してますか。」と聞かれ「はい、やっぱりシートベルトで捕まってます。」と言ったけどあれは去年だったから六ヶ月は過ぎてるか。



2005/7/13 涼

昨日は朝から雨。久しぶりに昼寝をした。夢の中で尾瀬ドーフの社員旅行に行く。
着いたのは大きなホテル。宴会場があったり、大きなお風呂があったり。ところがそこここに幽霊がいる。普通の人のように掃除をしてたり、浴衣で歩いたりしているが私には見えているのに他の人には見えていない。テーブルのまわりにみんなで座ってお茶を入れると一緒に座って彼らだけで普通に会話している。思わず、「いったいなんなの。」と言ったところで目が覚めた。夢だとわかるまでちょっと間があった。それくらいリアルだった。



2005/7/11 尾瀬奉仕

 先週の水曜日に尾瀬に行ってきた。片品村の婦人会が毎年交代で行ってきた奉仕作業だ。前回参加してからもう10年くらいは経つが、その間にずいぶん変わった物になっていた。前は作業といってもゴミ拾いくらいで原を只行って帰ってくる感じだったが、数年前から抜いた草を土ごと持ちおろしたり、結構本格的になっているらしい。今回は鳩待峠からアヤメ平方向へ登った途中にある横田代湿原で昨年植えて着かなかったポットを回収する作業だった。また今年の秋に植えるための土も採集した。根付いた植生を傷つけないよう土の流れ出しを止めるための竹を伝ってポットを集めた。放っておいても土に帰る素材らしいが今年の秋に新しくやり直すとき邪魔になるのでよく見て生えていない物を集めた。最後に自分たちの足場になっていた竹を集めて終わった。人数卯が多かったので作業自体は時間がかからなかったがそこに行くまで一時間急な登りが一q、だらだら登りが2q帰りはそれを戻ってくるので結構疲れた。でも湿原には見たこともない小さい花がたくさん、それこそ一面に咲いていて凄いの一言だった。
 東山魁夷は天皇陛下にどこの景色が一番好きかと聞かれて尾瀬と答えている。尾瀬のどこを見たのだろう。どこから尾瀬に入ったんだろう。そう考えながらの半日の行程だった。



2005/6/27 僕の成功の秘密

 宮藤官九郎のドラマを見たのは初めてだったのではじめはびっくりした。現実とフィクションが交錯するし、同じ人が次の場面では江戸時代の扮装で登場する。しかも毎回違う落語が題材。でも一番の衝撃は「落語ってこんなに変幻自在な芸能なんだ。」ってこと。確かに今までも新作落語は数多あって、文珍のパソコンネタなども「落語って何でもあり」って証明してたわけだけど。古典を現代に移し替えてやっぱりちゃんと通用するんだ。と認識しました。まあ作者のインタビュー記事からはこの作業がいかにむづかしいものだったか、またどれでもできるわけではないとも言われていました。落語ブームなどと言われはじめていますがドラマと一緒に終わってしまわずに進んでいったらいいと思います。それには岡田君のような落語家がほんとうに登場するのが待たれます。
ただこれは主人のようなファンには受け入れられないようでした。たぶんそれは話の展開が早すぎてついて行けなかったからです。「タイガー&ドラゴンなんてどこが面白いんだ」と、思っている方は多分自分の頭が柔軟でなくなってきているのだと思います。
さて、簡単にあかされてしまった成功の秘密。しかしそれは実現するのはとても難しい。・・・ことでした。つまり私はこう思います。成功するにはいい人に巡り会うこと。寝食を忘れて働くこと。製品のクオリティを落とさないこと。そしてもちろんドラマはドラマ。



2005/6/23  背景

林檎亭の前の美智子さんの畑でひまわりが毎日大きくなっている。片品ではここ数年花を作る農家が多くなってきた。市場ではまだ名前が売れていないが高地で作る花は色も時期も他にないのでこれからが期待される。
前からニュースやバラエティ番組で使われている花が気になっていた。去年だったかめざましテレビの背景の造花のが二月くらい全然変わらないことがあって気になって仕方がなかった・最近では片品でも作っているスモークツリーが報道ステーションの古館キャスターの後ろにあるがイキが悪いように見えてニュースに身が入らなくて困る。こういう番組の花を生ける担当の人がどんどん腕を上げてくれて片品産の花たちが画面を彩ってくれることを楽しみにしている。



2005/6/17  野州麻紙

生活改善グループの研修で鹿沼市の隣にある粟田町まで紙漉体験に行ってきました。ここはグリーンツーリズムの先進地で伝統食のそばで村おこしをしたところです。だあれも訪ねてこない山奥の地区にそばを植えることで一年を通じて都会からお客さんがやってくるようになったという話を聞き、日本でここだけという麻による紙漉体験をしました。麻ははじめてみたものではなかったけど畑で成長しているところは初めて見ました。着物の柄にある麻の葉がほんとうに植物の麻の葉の形を模した物だと言うことがよくわかりました。
今回、八時の出発までにようやく間に合ったので顔を洗ったままで飛び出したのですが私より目上の人全員がきれいにぬってきたので驚きました。S.A.の鏡で自分の顔を見てあまりにも真っ黒なのがショックでした。
まあ鏡を見ない限り自分の顔は自分で見えないので気にならないというのが本音です。野州麻紙がちょうどこんな色に仕上がります。



2005/5/16  雑感(ってこのページそのものが雑感なんだけど)

 先週はいつになくこどもと過ごす時間があった。貴泰のめがねを新しくするために夕方から出かけ電車で出かけていた耕介を駅まで迎えに行き、一緒に帰ってきた。そんなときの耕介はテンションが高い。久しぶりに昔一緒に行った水族館やずっと見ていたテレビドラマやアニメの話で盛り上がった。通学のバスの運転手に丁寧な人とそうでない人がいる話とか授業中の話もした。本屋では時間をかけて参考書を選ぶ貴泰に中古だけどほとんど使ってないのがあるからそれをくれるという。
 いつもはギリギリの時間に起きて大急ぎでバス停に送っていく間と決まって7時15分にバス停に迎えに行くだけの繋がりだ。何か話すといったら「明日は弁当が要らない」とか「今月分の小遣いをそろそろくれ」とか「サスケのえさがおわるんだけど」とか決まったことだ。

 神戸で小学生が殺害されたときや長崎で屋上から幼児が突き落とされた事件の時、年齢が近かったこともありなんだかこどもが怖かった。そうした行動に出るこどもとうちでは部屋に入ったきり食事と風呂しか出てこないこどもとの間に違いがあるんだろうか。他のことに追われていつもこどもを第一にしていたとは言えない自分は自信がなかった。
それがなんとなくではあるが「このまま行ったんでいいんじゃあないの」と思えた。今は受験が何とかうまくいってくれることを願うばかりだ。そうしてこどもが離れていったとき自分が目標を失わないように自立しなければ。



2005/5/10  そこから学ぶこと

次男が通う尾瀬高校に職業講話というのを聴きにに行ってきた。群馬県労働局主催の「高等学校における職業意識形成支援事業」の一環。生徒の職業観や勤労意識の育成およびフリーター増加防止が目的。講師は富士スバル(株)の営業推進部部長関口清司氏。ご自身の高校時代のアルバイト経験の話などから社会が求めている人材について具体的に話された。「きほんのき」とでも言うような挨拶ができるかといった話から、かつては主に工場内で言われていた5S(整理、整頓、清掃、清潔、躾)が今は顧客に直に接する営業や、事務所の中で言われるようになったことなどの話があった。自己紹介にもあったが教頭先生のお知り合いらしい。
 生徒の後ろで保護者が10人。母親ばかりが一緒に話を聞いた。司会の先生は45分間ずっと立ったまま。これもすごい。

 話は変わるがJR福知山線の脱線事故とその後のJRの対応が毎日ニュースになっている。JR西日本の企業体質や、安全に対する認識、プロ意識、果てはマスコミもどこまで追いかけたら気が済むんだ、現場の空を飛ぶヘリを一台にできないのかと言ったコメントまで飛び出す。
 その日のうちにみんなでボウリングをしたとき上司に「今日はやめたほうが」と言い出す人がいなかったと言う報道はショックだった。そんな思ったことも口に出せない人たちと遊んで楽しいのか。「今日は休んでここでけが人の救助にあたります。」と言い出せない上下関係ってなんなんだ。こんなにみんなで遊びに行くんだから代わりの運転手くらいいそうなものだと思うけど。
 しかしここでふと考える。何かことが起こると「誰のせいか」ということだけに焦点が集まる。林檎亭でも同じだ。とうもろこしの注文が落ちたりする。お客様から確認のメールが入る。私は主人が注文のメールを印刷してないという。主人は私の散らかり重なり合った注文メールのプリントアウトを疑わしく見つめる。大きな事故が起こる前に些細な出来事を報告する人間関係が築けているか。まあ、何があっても人命には係わらないからまだいいけど。




2005/5/8  これは何

毎年必ず反省材料になる林檎亭の雑草。今年はとりあえず今日、はじめて草むしりをした。
 トマトのハウス寄りのアルケミラの根元をむしって、前に枯草を燃したところにはえたばかりの矢車草を植えた。これはポットに移植する手間を省くため。ただしまだ小さいので雑草に負けないように気をつけていないと。ほかにもあいているところを掘り返して苧環の苗を植えた。これは去年種をまいたものでポットのまま冬を越し、今年新しく芽を出したものだ。今になってみるとこんなにあいているところがあって草を生やしているのになぜ去年のうちに植えておかなかったのかと不思議だ。
 ところがもっと不思議なことがある。店の脇で冬を越したポットは4箱あった。そのうち三箱は苧環なのだがもう一箱がなんだかさっぱりわからない。同じように葉っぱがでてきて元気いっぱいなんだけどそれがなんの苗か全然思い出せない。葉っぱの様子を見ても全くわからない。昨日まではボリジだろうと思っていた。しかし今日、草むしりをしていたらボリジの芽を見つけてそれとは全く違うと言うことがわかった。ではいったいこれはなんなんだ。ハーブには違いないと思ってハーブの本をひっくり返しても見た。しかし該当するような葉っぱを持った植物はでていない。もう少し育って花をつけるまでこの疑問は解けない。



2005/5/2 ショッピング・イン・沼田

 次男の入学祝いのお返しを配りながら買い物をした。欲しいものがいくつかあったがなかなか買う機会がなかった。ひとつは財布。ボタンが壊れたまま二月くらいたっていた。車をニコニコパーク(下之町の駐車場)に入れて「KASAMA」へ。じつはこの店は私の中学の通学鞄を買った店だ。いくつかの候補の中から時間をかけて選ぶ。青いポケットのいっぱいついた財布に決めた。次はヤカンの注ぎ口の長いもの。カインズホームなどでみてもふつうのヤカンはいっぱいあっても注ぎ口の長いのがない。コーヒーをおとすのにどーしても欲しかった。中町の「カナイヤ」に行く。ここも独身の頃から寄るのが楽しい店だ。欲しいものが必ずある。コーヒーのコマーシャルで使っていたのと同じイメージのシャレたヤカンをGET。ついでに塩のミルを買った。これも欲しかったがなかなかみつからなかったものだ。さらにはは次男が高校に通うのに新しい自転車を買ったときいった税務署の前の「小林自転車」。私が会社勤めの時もここで自転車を買った。今回は次男に用済みにされた自転車を修理してもらい私が乗る予定。実家の母の日のプレゼントは寄せ植えの花かご手頃な値段で豪華なものが見つかった。「みずいし」は私が小学生の頃から花を売っている。そのころからいるおばさんが今日も掃除をしていた。
 私が沼田に行く5割以上がグリーンベルのなかの尾身書房に行くのが主たる目的になっている。今日は予定ではなかったが一応寄った。そうしたらちょうど頼んでおいた本がきたところだった。
 沼田は本町通が歯が抜けたようになって寂しい。服地のアカシヤはグリーンベルの中に残っているがいそだやは無くなってしまった。菊屋は営業を続けているが去年まではあった種の「金具屋」も本町通店は無くなってしまった。不便だ。ほかでは見つからないものがあったのに。それでも「ベル」だったケーキやさんは「樫の木」になって駐車場のはす向かいにある。ケーキは今もおいしい。駐車場の信号を渡ったところにある「宮前薬局」はじつは夜、10時半まで営業している。
 しかしこうして何軒もの店を回る元気がいつもはなかなかでない。つい億劫になって不本意なものでも間に合わせてしまおうと思う。
 ところで環状線が開通してグリーンベルに行くのがとっても便利になった。前述したとおり私の沼田行きの五割は目的地が尾身書房なのでこれは段違いに楽になっている。東電の貯水池の手前の信号で右折。ヤマダ電機の角から環状線にはいる。そのまま榛名坂の上まで信号も少ないし、道は広い。その速さはワープでもしたみたい。おまけに今日はハナミズキが満開。とてもゴミゴミしたのが信条の沼田の道とは思えない。どこかべつの街のようだ。
商店街の人たちにも頑張って沼田を盛り上げてもらいたいものだ。と切に願う。



2005/4/28 最後の春休み

 トマトの苗の管理が始まり私の仕事に明け暮れる毎日が始まる前に半日休んで高崎に行ってきました。沼田である「煙が目にしみる」(加藤健一事務所)の前橋労演の例会に参加するためがまず最初の目的。せっかく前橋に行くのだから外にもどこかに行こうと新しくできたシネマテーク高崎に「パッチギ」を見に行き、空いた時間に高崎タワー美術館に上村松園・松篁・淳之ー松柏美術館名品展を見に行きました。
 松篁・淳之の作品はいずれも自然に対する時間をかけた観察、揺るぎない愛情が感じられました。1948年に画かれた古木の根元を書いた作品は、画家には世の中の慌ただしさは伝わらないのかと先日来痛ましい事故のニュースに心を奪われているものとしてはその平静さが衝撃でした。
松園の作品が直に見られることが一番の楽しみでした。まだ20代の初めに銀座の山種美術館の常設で落とした照明の中に浮かび上がる「序の舞」の張りつめた空気に感じた思いは忘れられません。作品はいずれも余白の部分が多く、構成の妙が称えられていますが今回も、「虫の音」や「人形つかい」がそういう作品です。今回嬉しかったのは「花がたみ」があったことです。図録や写真では何度も見ていますが本物は確か初めてです。
謡曲に取材した作品です。もみじの散り敷く中に立つ照日前の「狂い」は「喜び」なのか「恨み」なのか。「狂いながら気品が漂う」と説明にはありましたが実際本物の迫力は凄かった。
例によって出かけるときは直前がメチャメチャ忙しくて夕飯の支度が中途半端で、行きも帰りも道に迷い、なんとか時間には遅れなかったけど、空腹に急いで食べたので胃痛を抱えて観劇に臨むというパターンは変えられず、それでも今年の目標、「みたいものをあきらめない」をひとつクリアしました。映画と芝居の感想は「芸能日誌」に書く予定です。



2005/4/23 はまった

今朝はトマトのハウスを張るので早起きをしたが、寝不足でひもに足を取られ舗装道路に膝を打ち付けてしまった。思いがけない青あざ。じんじんした痛みは一日中続いている。
「自己憐憫」という言葉が印象に残っているのはこの冬に読んだ「キャノン姉妹の一年」の中でトレイシーが妹のティナに向かって言う辛らつな言葉の中にあった。いじけるティナに容赦なく放たれた言葉は「何を期待していたの。あやしてもらうこと」「「なるほどね。あなたはそうやって自己憐憫を楽しんですばらしい時間を過ごしてきたのね。」そういって出て行ってしまった姉にティナは腹を立てたが省みると確かに両親を失い姉と引き離されたときから数年間、心から悲しんでいるうちに悲しみに愛着を持ってしまっていた。そして、真っ正面から向き合ったり順応する努力もしないできた、ということに気づく。そこからティナは進み始めた。
二月に安住アナウンサーがでるというので一、二回「水戸黄門」をみた。一つの話はいつも印籠を持っている格さんがごまのはえに盗まれてしまい、仲間の力を借りて取り返す話だった。はじめは格さんもいじけていた。自分の不注意はわかっているから何とか自分で取り返そうとしていた。そのうち助さんに怒鳴られる。「自分の失敗に酔っているんじゃあない。」と。
なんかこんなちょっとしたところにけっこうはまっています。


2005/4/20 利根沼田生活研究グループ連絡協議会定期総

少し前まで生活改善グループといっていた生活研究グループの定期総会は沼田駅の西側に新しくできた県民局で開かれました。
次第に沿って16年度の事業、決算報告、17年度の新役員の任命、17年度の事業計画、予算案の承認がが滞りなく進められました。その後は設備も真新しい調理室に場所を移して記念事業の「キュウリの醤油漬け」の実習。引き続き弁当を食べながらの懇親会、歓送迎会でした。16年度は山下惣一さんを講師に招いてのイベントを沼田で開くなど会長さん、役員さん達には忙しい年度でした。来賓として挨拶された利根農業事務所農業振興課の課長さんは「県の財政も厳しく人員が削減される中だけれどますます頑張ってください」と話されました。利根村の普及所にいた女性の普及員さんは今年からパスポートの発行の仕事に移ってしまわれました。
そんな中、群馬県生活研究グループのこれからの活動目標は
1.生産者として、信頼される農産物の生産と情報の発信。  
1.地域に根ざした食文化を時代につなぐ。            
1.栽培体験を通して子供や消費者に農業の大切さを知らせる
1.農産物の加工、直売活動で地域を元気にする。       
1.学校給食に地元農産物の活用促進。            と
掲げられました。 今まではとかく役場に頼まれて消極的に参加していましたが私たちが進んで活動していることに役場の担当者が関わりたくなるような前向きな活動にしていきたいものです。
各地の農家の人と行き会って情報交換するいい機会にもなっています。



2005/4/19 こんなところに
 
どんなときが嬉しいときかというと、そのひとつは欲しい本があったときだ。貴泰は、恩田りくの「Q&A」というのを探していて、ないので尾身書房に注文してあった。私は、高崎の本屋で見かけたけど買わずにしまった「文藝春秋」の別冊「言葉の力」というのを注文した。それが来たと連絡があって、ほかの用事がてら取りに行った。注文から私のは一週間くらいかかっていた。取りに行くとちょうど、「Q&A」も届いたところでこちらは一月くらいたっていた。
その帰り道ビデオを借りたついでに文真堂で新書の棚に行った。どーせないよなと思いながら背表紙を目で追う。なんの本を探していたかを忘れて三冊ほども立ち読みをしてそこを離れるとき、欲しかった本が見つかった。
「あった。」ルンルンでレジへ。その後、夕飯の買い物にスーパーへ。レジの横にある本のコーナーをひやかすとなんとそこに「Q&A」が一冊。さらに私の買った文藝の別冊は平積みになっていた。思わず「君たちはいつからここにいたの」と聞いてしまった。
ネットで注文してカード決済にするのがやはり片品では一番早く手間もかからない方法だろう。しかし本屋の棚に欲しい本を見つけたときの嬉しさを味わいたくてまた探しに行く。


2005/4/14  基本

 半月ほど前からガス台の具合が悪くなった。火口が一つつかない。魚焼きのグリルもつかない。食事の支度に時間がかかってしまう。何が原因なんだ。またおばあちゃんがなんかふきこぼしてそのままにしといたんじゃあないの。とすっかり人のせいにしていた。だいたいただ火をつけようとしただけで「お知らせランプ」がつくってどういうことなんだ。危険なときにつくランプなのに。
しかたなく冷蔵庫の目刺しを食べるために焼き網を買ってこようかとスーパーで探したが今時焼き網なんて売れないのか店頭にない。とりあえず取扱説明書を見てからにしようと、みそ汁をかけながら説明書を広げた。
「故障かなと思ったら」の「火がつかない」「お知らせランプがつく」の両方に共通しているのが電池の消耗。まさか電池じゃあないよね・・・と思いつつ2000年問題の時に買ったまましまってあった電池と交換。点火を押すとさっきまでとは全く違う点火の音。チチチチというのが「そういえば買った当初はこういう音がしてた。」と記憶の底からよみがえる。こうして生き返ったガス台でした。


2005/4/3 旬の話題ではありませんが

 あっという間に三月が終わり世間もテレビも新学期を迎えています。それで旬をすぎてしまいましたがドラマの感想を書いておきます。このシーズンは私としてはじつに良くドラマを見ました。毎回必ずではありませんでしたが火曜日の「救命病棟」「みんな昔は」木曜日の「優しい時間」金曜日の「金八先生」土曜の「ごくせん」日曜の「義経」「Mの悲劇」さらに録画して「ER」もみてました。多分見なくなるだろうと予想していたにも係わらず結局最後まで見てしまったのが「Mの悲劇」でした。話が美沙の復讐から発展していって「どこかで自分も誰かを傷つけていたのかもしれない」と納得させられました。「ごくせん」はこれから活躍しそうな卵達が輝いていて、それが回を追うごとに様になっていったりするのが楽しみでした。「やっぱり人に優しくするには自分が強くなくてはならないな。」というのが素直な感想です。ヤンクミがどんな気概を持っていてもそれを通すにはあの強さが後ろ盾だと思うとコミックの世界の話かな。
 去年の秋から心配だったのが金八先生の「しゅう」のことでした。最終回で彼が初等少年院に送致されたときはそれが妥当な処置で見ている人たちにも覚醒剤をやればどんな事情があってもこういう判決が下るんだとわかり良かったと思う。二回ほど前の回では禁断症状で暴れるしゅうを見せ物にしていいのか、学校の廊下で生徒に手錠をかけるのかと驚いたけど一緒に見ていた次男は「逃亡しようとしたからじゃあないの」と至って冷静だった。しかし彼も連行されるしゅうを校庭でほかの学年の生徒が見ないように先生が配慮しないものかと怒っていた。
 私が今回一番楽しみにしていたのは「優しい時間」だった。「北の国から」はほとんどみていないので先入観はない。寺尾聡と二宮クンが楽しみだった。北海道の冬というのが陶芸の作業場でこんなに窓が広くて天井が高くて仕事ができるだけの室温を維持できるのか。というへんなこだわりを引きずっていた。決定的だったのが母親の事故の原因だ。いくら息子が自分の体に入れ墨を入れたからと言って運転してるのを妨げてはいけないでしょう。お話では自分が死んでしまっただけだったけど運転していたこどもが大けがしたりなにより歩行者をはねたりしたら取り返しがつかない。脚本に文句をつけても仕方がないけどこの場合大竹しのぶは自殺だよな。それで息子の責任負わせちゃまずいよな。いろいろいいところもあったけどどうもその点が不完全燃焼していた作品でした。
 アメリカの放送からずいぶんたって日本の地上波で放送されるのでその間のいろいろなギャップが楽しい「ER」ですが今回はグリーンがとうとう死んでしまいました。カーターがエリザベスからの手紙を読み私もみんなと一緒に悲しみを噛みしめていました。ところがスーザンの一言に長男と同時に「えー」と言ってしまいました。それは「早すぎるわ。まだ38なのに。」という一言でした。38ってあの頭で・・・。ただ私は長男と共感できるものがこんなところにあったのかちょっと嬉しかったです。
 さて今年思ったより楽しみにできそうなのが「義経」です。始まる前は暴れん坊将軍が弁慶なんて・・・と思っていました。五条の大橋のシーンではいくらなんでも桜が散りすぎでしょう。月が大きすぎでしょう。と思っていました。ところが平泉に行ったあたりから滝沢君は義経にマツケンは弁慶に見えてきたから不思議です。今まで義経びいきで悪感情を持っていた頼朝も育つ過程で「自分が主流、ほかは支流だと母親から教え込まれた」という先日の台詞でこれからの展開が楽しみになってきました。「まあ義経は見てるからね」というのが私が今のところ受信料を払い続けている理由でしょうか。


2005/3/11 CM雑感

去年の秋、なんにもやる気がしないとき、ドラマの間のCMに励まされた。宮沢りえがでているシャンプーのコマーシャル。「大声で笑いましょう。ときどき泣きましょう。」というのと「おはようと言いましょう。みんなに言いましょう。」というバージョンとある。「毎日を丁寧にいきよう。」ってことかなと思った。まだシャンプーは買わないけど。この間から「ていねいに恋しましょう。ていねいに喧嘩しましょう」というバージョンが加わった。
LIFE CARDのCMはずっとオダギリジョーを使っているけど少し前までの沖縄でボーとしてるのとかモンゴルかどこかでハーモニカ吹いてるのとはチョット違うミョーに油っぽいCMが流れ始めた。彼がどちらにつくのか楽しみだけどネットにアクセスしなくても続きが見られるのかどーか気になる。
「SK−U」という化粧品のCMを小雪がはじめたのでショックだった。ずーっと桃井かおりがやってたのにこんなに若い人に変わってしまうのか・・・と。そしたら桃井かおりがセスナ機(?)に乗ってるのがあったのでちょっとホッとした。「50代の化粧品」(商品名は憶えていない。)のほうはいしだあゆみから風吹ジュンに変わってしまったし。

私がどんなにテレビっ子かばれてしまったので次回はこのシーズンのドラマについて書きます。いろいろなドラマがいよいよ佳境に入ってきました。



2005/1/13 新人類

 尾瀬ドーフで働く人の数が年々多くなって驚く。女の人だけでも私を入れて総勢7人。平日に来る人と土日に来る人とあるがすごい数だ。去年から一線を退いた社長の奥さん(ずっと前にこのページにも登場したスーパーウーマン)がいかにたくさん仕事をこなしていたかがうかがえる。
 いろんな人がいて面白い。一人きりラジオを相手に草むしりに明け暮れる夏とは違う変化に富んだ毎日になっています。


2005/1/10  謹賀新年

 暮れに起きたスマトラ島沖地震による津波のニュースが毎日続いている。新潟中越地震の後で、異様に暖かい十二月が終わり、やっと雪も降ったがやはり自然は何か言おうとしているのだろうか。それにしてもこれほどの犠牲とは。
 新しい年を素直に寿ぐこともできない重苦しい日々の中で、それでも新年を迎えると去年の失敗をリセットできたような気がして、もういちど新たにやり直せるからちょっと嬉しい。「今年は何を蒔こう、今年こそ去年の失敗を繰り返さないように」そんな思いの年明けです。
 尾瀬ドーフで今のところ働いております。去年忙しくオープンしたホームページを手直ししています。一年の間に畑の写真なども入れて置いてくれたのでだんだん充実しそうです。去年の暮れからいじっていてどうしても表示されなかった画像が今朝突然表示されるようになりました。いろいろうまくいかないこともあるけどできると嬉しいです。


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